自分とかいう存在
2024/01/23
私は至って穏やかな方
人との相性がいいと、本当にゆるやかに1日を過ごす。
相性があんまり良くないと、気が立って忙しなくなる。
気が立って情緒が安定しない、それこそ限界状態の私になるのだ。
他責になって人を責め尽くしたり、そんなことをした自分を呪ってみたり、でもそうなった原因ってお前だよね、と本当に怖い気の持ちようになる。
それが著しいと今でも気づいてる通り、ちょっと自分の様子がおかしいと気づく。
私が正気の沙汰じゃないのは別に今に始まったことじゃないのだ。
死にたいといった漠然とした気持ちの概念とは、小学生の頃からの付き合いだし、
子供の頃はすぐキレ散らかしては、怒りに任せて泣き叫ぶ。嫌なことがあればゲームのセーブデータを脅しに使って弟を泣かせていた。
主観的に個人的に、小学生が袋持って叫んでストレス発散しないだろう。
まあとにかく、癇癪持ちだとか、その上短気で、死にたがりな厄介な子供だった。
母親には当時、「あんた病気なんじゃない」と言われている。小学生の娘にいうことか?とも思うが、子供が一丁前に情緒を振り翳して暴れてたら少し怖いなと思うし、事実病気だと思う。
多分、環境とかそういう色々な要因で私は小さい頃から情緒の基盤はおかしいと思う。
友人には「ボーダーだろうね」なんて言われる始末だし。
ある程度そんな自分を理解して落ち着いた方だと思うが、そんな私の努力も無に返すのが人との関係である。
普通の人間関係でもそうだが、いくらこっちが落ち着こうとしても神経を逆撫でするような悪気がなくても、そういった言動が行われたら、こっちだってどうにかなってしまう。
家にいるのはダメだけど、職場は平気なんて人もいる。夫が無理だけど、職場に夫はいないから、とか単純にそういう環境の話であるように、その逆だってあり得るのだ。
家にいると錯乱者だけど、職場では落ち着いています。というもの。
ただ、ここの落差がひどいと、環境で自分がおかしいのに、自分丸ごとおかしいのかと思う事もある。
ただ、私は比較的落ち着いたりできるだけで、常時自分が丸ごとおかしいとは思う。
常時自分はおかしいのには気づいているし、気づいているからこそそれが平常運転で慣れてしまったし、小さい頃の呪いも相まってそういう病院に行こうとも行きたいとも、行くの文字ですら出なかった。
そもそも上記の内容にも私の中には私が3人ほどいつも議論している。
おかしい事には気づいている自分←症状が酷くないから、知らないふりをしている自分・情緒が激しいと暴れる自分←暴れていることをわかっている自分←その情緒の落差にお前は病気だといっている自分←落ち着いてる環境にいれば、常人くらいには情緒を操れるからこれはただの不足の事態だよといっている自分
こんな感じなので、自分でも思うが大変生きづらい。
いつこれがフラットな1人になるんだろうか。
意外と何もなかったりしてねー、と
意外と人類それくらい考えてるよー、とか言われたりして
あーよかった普通なのかよーやっぱそうだよなーとなりたくもあるし、
やっぱこんな、落差の激しいもの持ってるのは変だよーとなったりすると安心したり。
落差の激しいっていうのも実は心外で。
自分の中ではちゃんと段階があるんだけど、
1️⃣ 2 3 4 5️⃣
で( 2 3 4 )はうまく伝えられてないとか、そんな感じがしたりしなかったりもする。
伝え方のムラが激しいのかもと思ったり思わなかったりする
働くの向いてないよ、とかいわれたら普通に落ち込むかもしれない。
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