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言語化されると安堵する


2023/12/16

高校生の時に卑屈で屁理屈でじめりとした自身の病を治したくて、不愉快に感じたものや好きなもの、嫌いなことや得意なことを理由づけして、なんで自分がそういう気持ちになるのか言語化しようと考えた事があった。

言語化できると、嫌いな理由の好きな理由も苦手な理由も得意な理由も、ある程度の説得力を持って人に話せる事ができるしそれを伝えられるというのは、自分の性格や内情を人に上手に伝えられて理解されるという事で“自分なんて”っていう後悔とか色々不快でネガティブな感情から一時救出されると思った。

そんなこんなで、考えながら話したり人にどうしてそう思ったのかを説明していると自分の輪郭がはっきり見えてくる。

最近はそんな自分を問い詰めたり、疑ったりする時間がないから全く曖昧で、理にかなってない筋の通ってない事ばかり口から放り出している気がするけど。

言語化にこだわっていても、やっぱり自分の語彙の引き出しは限界というものがある。
そんな時に漫画やアニメや映画で自分の少しのモヤモヤが言葉に出されると第三者の視点ではっきり明確に言ってくれるので勝手に救済されたような気持ちになって安堵して涙する。

気持ちに名前がつくととっても楽なのだ。

99のコメントが高評価だったとして1つでも低評価なものがあれば、それを引きずるのが私という人間だから大体嫌な記憶ばかり保管してる嫌な人間なのだ。
与えられた良かったことに目を向けるべきなのだけど、そんな嫌な記憶が多いせいか度々 売れっ子漫画家×うつ漫画家の矢春の考えている事や言動や所作の理由についてはリンクするところがある。

壊滅的に何もできないし本当に動けなくなる時がある。元々低血圧と低体温とか、今は症状が緩和されてる持病のせいだと思うんだけど。諸々の悪循環なんだろうな、と思う。
低血圧で低体温で体がうまく動かなくて自律神経が乱れまくって、持病が発動する。

この間ふとした時に急に元気になる自分がいて怖かった。

そのうち病院に行こうと思うけど、投薬なしでしか生きられない私の情緒なんてもはやそれは私ではないし、したところで“マイナス100がマイナス20くらいになるだけで、マイナス20でいる時間なんて少ないのだ”、そう、これは全くその通りなのだ。

卑屈な自分に別れを告げようと思って、第一歩で始めたことは“人と目を合わせること”だった。
合わせることによって、コミュニケーションがとりやすくなりはしたけれど自分の薄汚い心が見え透いてそうでとってもいやだった。
人がどういう言葉を欲しいのかわかったからその言葉を与え続けていたら心が削れていた。毎晩泣いてた。

人の顔を見て話さないからその前後の記憶が歪んで言葉も顔も、全部悪い方に引きずられる。

だから明確な説明があったことに救われた。

その時はそこまで思っていないのに時間が経つと
徐々に感情が蝕まれて記憶が変形していってるって
嫌なことを何度も反芻してると
どんどん怖い記憶になるんです

売れっ子漫画家×うつ漫画家

人間は病気じゃなくても
記憶の改ざんや忘却を
日常的にしてるらしいですよ

脳は自分の行動に後から理由付けする
性質があるって本に書いてありましたし
ほら…いじめっ子といじめられっ子との間の記憶に相違はよく
あるじゃないですか

売れっ子漫画家×うつ漫画家

クレッショフ効果…
同じ真顔の人間を見ても
その直前に見た映像次第で
真顔の人間に対する感情の解釈が変わる……

…ってことはその時の状態や感情次第で世界の見え方が180度変わっちゃう可能性があると

売れっ子漫画家×うつ漫画家

あぁーなるほど。そういうことだったのかと勝手に納得して勝手に救われたわけです。

幸せ張り裂けそうだ

頼むから
愛しさと
怒りを

侮蔑と
恋しさを

同じ場所に
置かないでくれ

青野くんに触れたいから死にたい

降参なんだよね、白旗🏳️

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