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願望の調節ネジがバカになってる。

人生の活動量計の針がピクリとも触れない午後にふと考えた。
そうだ。私の膿んだ人生の原因は、一点に帰する。

それは、「ポテトチップスをひとりで一袋食べたのに世界が崩壊してくれない」せいだ。

幼き日の夢は色々とあるだろう。宇宙飛行士とか、スーパーヒーローでも、自称コンサルタントでも、クライム・シーン・インヴェスティゲイターでもいい。(1)(2)

ただ、ひとつの願望として、ポテトチップスをひとりで一袋食べきりたいという夢は、だれしも共通して持っていたのではなかろうか。
兄弟姉妹がいる家庭、もしくはポテトチップスを主食とするヌメリけのある生物を飼っていたご家庭なら、なおのこと共感していただけるであろう。

そして、ときはたち、残酷なくらい不用意に経ち、ひとりで暮らしながら、ポテトチップスなんぞを購入すると、それはもうひとりで食べることになる。
となると、それは幼少よりの願望がかなったことになる。いうなれば、ある種の人生の到達点である。帝国を打倒したルーク・スカイウォーカーのように、家族を自分の都合のいいように書き換えたマーティ・マクフライのように、その地点こそがピークといっていい。(3)(4)
ただ、悲しいかな人生は続く、不可解なほどつづく。明解ならざる神のおもわくのように、明解なディズニーのフランチャイズ存続方針のように。
生活はエンドロールが流れて終わりとはいかないのだ。

そうして、私は欲望のピークを体験したはずなのに、人生を継続している。
あれほど願っていたことも、もはや思い出となってとおざかり、あとは自分で新たに願望を設定して、続編を描いていかねばならない。

しかれど、私は生まれたときの慣性だけで生を続行しているフシがあるので、できれば、単作で完結してくれるような明朗なストーリーが好みだ。

たとえば
ポテトチップス一袋食べたら世界が崩壊してエンドロール。これが理想だ。もはや、初めてひとりで食べきったのがいつだったのかも思い出せない。

そうやって、満足は、ただの見知った感触になり、実感は記憶とは呼べないほどおぼろげなものとして遠ざかるわけだ。(5)
人生がこれで全部だとは思っていないが、これで全部な方がわかりやすいのにとも思うのだ。

ほんとうに、宇宙は存在するなどという面倒なことをしなければいいのに。(6)



脚注:ただのぼやきも、数字を割り振ると立派な脚注に。

(1)夢:幼き日の夢、を羅列するにあたって、5秒ほど想像を巡らせてみたものの、どうにも現代にフィットしたものがあまり浮かんでこない。幼稚園児に訪ねたら、インフルエンサーとか、火星移住とか言ったりするのだろうか。

(2)クライム・シーン・インヴェスティゲイター:これですぐにCSIと出てくるひとは海外ドラマの見すぎ。

(3)スター・ウォーズ:一時期ディズニープラスに加入していたとき、クローン・ウォーズとかマンダロリアンとかを見ていたけど、もう記憶がロケット鉛筆方式に、押し出されて何も覚えていない。ロケット鉛筆という表現は伝わるのだろうか。

(4)バック・トゥ・ザ・フューチャー:真面目くさったハッピーエンドとしては、夢よりも家族を優先させた父親を尊敬できるようになる、という終わり方になるのではなかろうか。

(5)満足は遠ざかる:ハイパーノーマル、超正常刺激、欲望のトレッドミルとか言われるやつ。にしてもトレッドミルってその場から動かないから、喩えとして失敗してないかな。

(6)面倒:なんか引用芸みたいなものを身に着けたいと思って無理やり言っている感。

宇宙はなぜ、存在するという面倒なことをするのか。

―― スティーヴン・ホーキング『ホーキング宇宙を語る』

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