読書日記・入院編。『海が見える家』はらだみずき著
初版からずいぶん時間が経ち、シリーズ化されているくらい人気の小説だけれど、わたしが手に取ったのはこのタイミング。決め手はタイトル。20代の頃からの夢が「海が見える家で暮らすこと」だったからw。
子どもって、自分の父親や母親について知らないことが多い。わたしの場合で言えば、若いうちはそもそも興味がない(ごめんなさい)。わが家の親子関係は良好だったし、時々喧嘩くらいはしても、不仲ではない。それでも、自分の人生が動き出してしまうと、そのことに必死で余裕がない。親元を離れて暮らしていると尚更ない。
親の人生に興味を持って昔話を聞く余裕が出てくるのは、自分の人生も一区切りついて落ち着いた頃ではないだろうか。
主人公は、疎遠になっていた父親の突然の死によって、行き詰まりかけていた自分の人生を見直すことになる。自分が知らなかった父の、親としてではない一個人としての過去を知り、生き方を知り…。
主人公ではなく、父世代の身としては、時代背景を含め、父のほうに感情移入してしまったりw。どんな青春時代を過ごしても、若き日にどんな夢や理想があったとしても、親になるって、子どもを育てるって、こういうことなんだなと思い知り、改めて、自分の両親に感謝した。
私事だが、亡き父が50代の頃、「定年後は房総半島に移住したい」と言い出したことがあった。当時、わたしは東京住まい。何のことやらと思いつつも、下見に行くという両親の房総旅行につき合った。
本州最北端の雪深い平野のど真ん中で生まれ育った人間にとって、温暖な海辺の暮らしは憧れである(事実、わたしも石垣島が大好きw。そして、石垣島で働く青森出身の人にかなり出会った)。
父は温暖な地で畑でもやりながら余生を過ごしたいと考えたらしい。が、それはあくまで夢で、本気で叶えるつもりはなかったようだ。晩年、雪片付けの苦労から解放してあげたくて房総の老人ホームの入居を勧めたけれど、あっさり却下された。結局、故郷やわが家がいちばんだったらしい。
いまの自分は、この小説の主人公同様、「蛙の子は蛙」なんだと思わなくもない。反発しようが、受け入れられない時期があろうが、年齢を重ねるごとに、結局根っこの部分の遺伝子を感じてしまうw。
20代前半の主人公と同世代の人はもちろん、彼の親世代の人が読んでも、何かしらの道が見えてくる気がする小説だった。いちばん大事なものは何? いちばん優先したいのは何?
やりたいことはやり残さないで生きたほうが良い。明日、命があるかなんてわからないから。
人生の優先順位を「やりたいことから」にすると、外野から「楽なほうに流れて甘い」とか「やりたくないこともやって初めてやりたいことがやれるんだ」とか否定的に言われるけれど、そんなことは決してないw。
それこそ、やりたいことができない人の言い訳だと思う。「子育てが終わったら」「定年したら」と言って、その前に死んじゃったり、重い病で臥せるようになったら、もうできないからね。
人気作品である理由がわかった。シリーズを全て読んでみようと思う。