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[2023-2024]年末年始あれこれ①

あけましておめでとうございます。
年始からこころ痛む出来事が続いて、しんどい思いをしている方も多いのではないかと思いますが、少しでも穏やかな時間を過ごせていますように。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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【2023/12/31】
わたしの三連休初日。世間は大晦日で、ぼんやりしていたら焦燥感の波にのまれてしまいそうだった。いかん。わたしはわたしのペースで年末年始を乗り越える(もう敢えて言う、「乗り越える」と!)のだった。マイペースマイペース、大丈夫わたしはわたしを信じて良いぞ…と無駄に力んでしまう。
体に力が入っているわたしをふと俯瞰すると、あーもったいない、と思えるのだった。あーもったいない。窓でも拭くか。

大掃除はしなくてもいいや、越してきてからちゃんと掃除してるしね、と思っていたけれど、ふと窓の汚れが目についた。この部屋は気密性が低いのか、結露が目立つ。窓が結露するということは、カビが生えやすいということだ。アレルギー持ちのわたしにとってカビは大敵。窓拭きは日常だと後回しにしてしまうので、大晦日というイベントに乗っかってやってしまうことにした。
そんなに汚れてないやろ、と思っていたが、拭き終わるとガラスの透明度が上がったように見えて満足。気持ちも晴れ晴れ。

晩ごはんの蕎麦の準備をして、この連休に読むと決めていた本を読み始める。マルセル・プルースト著「失われた時を求めて」だ!

明るすぎて見にくくてごめんなさいね

「読書が好き」と公言するならば、この大作は読んでおかないといけない気がする。ずっとそう思っていたけれど、なんせ長いので取りかかる勇気が出なかった。読みたいと思ったいまがタイミング。

内容やあらすじなどはさておき、読み始めて、ともかく一文が長いことに驚いた。
例えば、物語の冒頭からこのような調子の文が続く。

しかし私の場合は、そんな位置でなくても、ベッドそのものに寝ていて、睡眠が深くなり、精神の緊張が完全にゆるむだけで十分だった、そのとき、私の精神は、自分が眠りこんだ場所のわきまえをなくしていた、そのようにして真夜中に目がさめるとき、自分がどこにいるのかわからないので、最初の瞬間には、自分が誰なのかをいらないことさえあった、私は動物の体内にうごめくような生存の感覚を、その原初の単純性のなかで保っているに過ぎなかった、私のなかにあるものは穴居人よりももっと欠乏していた、しかしそのとき、回想が――いま私のいる場所の回想ではなく、かつて住んだことがあったいくつかの場所、またはいつか行ったことがあったらしいいくつかの場所の回想が――天井からの救のように私にやってきて、自分ひとりでは抜けだすことができない虚無から、私をひきだしてくれ、私は一瞬のうちに文明の数世紀をとびこえ、そして石油ランプの、ついで折襟のワイシャツの、ぼんやりと目に浮かぶ映像によって、すこしずつ、私の自我に独特の諸特徴を再構成するのであった。

マルセル・プルースト著「失われた時を求めて1」p11

一文でこの長さ。
句点を入れたほうがずっと自然に見える箇所も目立つが、原文を尊重した訳なのだろう。日本語にすると違和感を拭えない一文の長さである。一文が一ページの半分以上に渡ることも多々。学校などでこのような文章を書いたら添削必至だろう。フランス語はもともと一文が長いのだろうか? 日本語にはうまく訳せない接続詞などがあるのだろうか? それともこの訳者(井上究一郎)の個性? フランス語はまったくわからないので推測だけれど…。

決して読みやすい日本語ではないのだけれども、それに勝る表現の美しさ。華美で大袈裟でデコラティブすぎやしないか?と感じないことはないが、わたしはこういうの、とても好みだ。良い影響を受けたい。

本を読んでいるうちに夜になる。お風呂に入って晩ごはんにお蕎麦を食べた。牛肉を甘辛く煮て、たっぷりの葱とわかめを乗せ、卵も入れて月見にする。七味を盛大に振って「いただきます」。

残りの作り置きおかずを整理がてらつまみつつ、だらだらとごはんを食べていた。この後、夜がもう少し更けてから、友人と年越し大トーク大会(オンライン)を予定している。おやつは何にしようかななど考えていたら、携帯電話が鳴る。
親のパートナーくんからの連絡だった。あんまり読みたくない内容。長くなりそうなので省くけれど(吐き出しがてらここに書くかもしれない)、一気に気持ちが落ちてしまった。
自分でも些細な一言に反応しているな、という自覚はある。でもどうしようもできなかった。健やかに過ごしている年末が…わたしの一生懸命作り上げた年末が…と思いつつ、他人のことはどうしようもないのだ、と切り替えようとする。すぐにはうまくいかないけれど。

泣きたくなった。わあわあ声をあげて、なんだよお、勝手にしてくれよお、わたしを巻き込まないでくれよお、と叫びたかった。
ジェットコースターが落下のターンに入ったみたいに、一気に気落ちした。自分で驚くほどの、この反応の速さ。同じように落ちても、落下速度が速いということはエネルギーの量も大きい気がする。

この後控えた友人との時間も急に面倒になってきた。素でいられないというほどではないけれど、ちょっと気を遣うメンバーだしな、と自分の中で拒絶モードが広がっていく。でもいまさら何ていう? 他愛ない話をしていれば気も紛れるかもしれない。よし。切り替えのチャンスだ。

というわけで予定通り参加。おやつを食べる食欲は失せてしまったけれど、他愛ない会話で笑っていると、本当に気が紛れてきた。よかった。脳をだますのは簡単だなんて言うし、今回の反応はその程度だったのかもしれない。(いや、友人との会話は本当に楽しかった。少々皮肉だけれども、深いこころの時間をともに過ごすような友人でなくて、おいしいものかわいいもの欲しいもの行きたいところ等の話題に終始する友人で助かった)

年が変わる少し前、「やっぱりこれから蕎麦茹でる!」と友人のひとりが台所でがちゃがちゃやり始めた。
「年越し間に合う?」
「いけるいける」
「えー、二リットルの湯を沸かして、だってよ(蕎麦の袋の裏面を見ながら)」
「おお、突然の難関」
「多めの湯とかで許してもらいなよ~」
「うん、大きな鍋出すの面倒だし二リットルは無視やな」
好きに言い合っていたら、わたしの携帯電話が「あけましておめでとう」とLINEスタンプを受信した。23:47、年明けにはフライング。スタンプの主は時差の大きい国に帰っているひとだった。相手は日本時間の半日以上前を過ごしている。時差を考えて送ってくれたんだ。うれしかった。
「できた! 間に合う!!」
友人の蕎麦をすする音を聞きつつ、年越し。

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長くなっちゃったので、続きます。
完全にわたしの個人的記録ですが、おつきあいいただける方はぜひ、また!


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