【ep1】帰国子女の女性フォトグラファー 第4話(群像の中のプロフェッショナル)
皆さん、ごきげんよう。橘ねろりです。
高層ビルが立ち並ぶ都会の雑踏の中―。
人々が急ぎ足で向かう混み合った路上の真ん中で、
ふと立ち止まってみたことはありますか?
通りすがりの大人たちは、一体どこから来て、
どこへ向かおうとしているのか―。
地方から進学してきた人、都会で仕事に励んでいる人、
外国から研修に来ている人、
または旅の途中の人や、人生休暇中の人…。
いろいろな人が行き過ぎるも、
きっと誰もが、何かに向かって進んでいる途中なのだと思います。
だから、そんな通りすがりの人々を呼び止め、あえて尋ねてみたいのです。
「あなたの夢は、叶いましたか?」と。
理想の人生を追い求めて、今どんなステージで活躍し、
そして何を目指しているのか。
「その足跡」と「これから」をインタビューするシリーズです。
【episode1】
人生は、なんという偶然の集まり!
~東京在住の帰国子女 女性フォトグラファーの場合~
第4話
さあ、海外移住へ! ~アメリカの高校に転校するということ~
カリフォルニア州、サンノゼ。
そこは半導体やコンピュータ関連の企業が集まるシリコンバレーの中心都市であり、「シリコンバレーの首都」ともいわれる町です。
つまり、父はシリコンバレーにある支社に転勤になったということでした。
この町にはもともとヒスパニックやラテン系、アジア系も住んでいますが、私のように海外からの転勤族で移住してくる外国人も多くいました。
両親が用意した家は2階建ての一軒家。警備員が立つゲートを入ると、隔離された住宅街に通じ、そこは外部からは見えないエリアで、セキュリティーも十分な住まいでした。
そして学校は、アメリカ国内で優秀な学校として認定されたブルーリボン賞を受賞している高校に決まりました。両親が探してきてくれたのですが、アジアを含む各国から入学してくる生徒が多くいて、日本人としても馴染みやすい学校だと思われました。
兄はカレッジに通うことになり、高校に通う私は入学前に英語のテストを受け、ESL(English as a Second Language:第二外国語としての英語)のクラスに入ることになりました。
ESLはレベルが5段階あり、日本で勉強していればレベル3のクラスに入れるものでしたが、私は英語が苦手だったので、レベル2のクラスからスタートすることになりました。
4月になり、いよいよアメリカでの高校生活が始まりました。
父が運転する車で、いざハイスクールへ!
クラスに行ってみると、そこには日本人は一人もおらず、中国・ベトナム・カンボジア・マレーシア・メキシコ・エチオピアなどの国籍のクラスメイトが集まっていました。
ESLが基準なので、英語力はみな同じくらい。
私のほかにエチオピア人とウガンダ人の生徒が一緒に入学しましたが、日系人の先生やクラスメイトから優しく声をかけられ、初日はほっとしたことを覚えています。
アメリカの高校は、義務教育なので日本の高校のように入試がなく、転校もスムーズにできました。
そのうち、マレーシア人・ベトナム人・エチオピア人の友人と仲良くなり、学校生活にも慣れていきました。
授業は1学期に取れる単位が6単位しかなく、ESLクラスでは英語のほかにUSヒストリー(社会)、理科、数学、体育などがありました。私は数学と体育は成績が良かったため、なんとレギュラークラス(アメリカ人と一緒のクラス)に入ることができ、レギュラークラスで初めて本物のネイティブイングリッシュに触れることができました。
ネイティブの英語は早すぎて聞き取れませんでしたが、その代わり数学は私の方が上でした。
最初の授業では3桁の数字のかけ算のテストがあり、アメリカ人はみんな計算機を使うので、計算機を使わずに筆算で解ける私は、とても優秀だと驚かれました。アメリカでは、サイン・コサイン・タンジェントなどの計算問題も計算機に打ち込んで解き、出てきた答えを書くだけなので、こちらの方がびっくりです!
レギュラークラスの友人たちは、英語が話せない私には、よりフレンドリーに接してくれたので、おかげで友人もたくさんできました。
この高校では、音楽の授業がなかったため、ブラスバンドのクラブに入りました。中学時代には吹奏楽部でフルートを吹いていたため、ブラスバンドでもフルート担当でクラブ活動を行っていました。
アメリカの高校らしさを感じたところはほかにもあります。
アメリカでは16歳で車の免許が取れるので、自分で運転して車通学している生徒もいました。また学校内には託児所もあるため、10代で出産した生徒が子連れで登校する姿もありました。日本とはずいぶん違う世界です。
高校生活はたった2年間でしたが、その間に友だちも増え、ESLもレベル4のクラスに上がりました。日常生活に支障のない英語力で友人たちとも不自由なく付き合えるようになり、アメリカの生活にもどんどん馴染んでいきました。
そして、その後の進路を意識するころに、フォトグラファーへの道も切り拓かれていくのです。
★橘ねろりの記事「Bitter Orange Radio」
「自己紹介 橘ねろり」
「コンテンツグループのメンバー紹介/ライター・フォトグラファーのプロフィール」
「群像の中のプロフェッショナル ーあなたの夢は叶いましたか?―」
「セラフィーナとエクリプサ ChatGPTとの秘かな戯言 【第1夜】」
「セラフィーナとエクリプサ ChatGPTとの秘かな戯言 【第2夜】」
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