「ワールドエンドヒーローズ」が好きだという話、或いは書き捨てた恋文
※ワールドエンドヒーローズ(以下『ワヒロ』)のネタバレを含みます。
配慮はないです。
Q.「ワールドエンドヒーローズ」の好きなところを教えてください。
A.登場人物がそれぞれ異なる価値観を持っているところ。
メインストーリー100話のタイトルが好きだ。
「自分の正しさ」。それは自分だけのものであって、他人の正しさとは別物だ。
100話にて、北村倫理は三津木慎に告げる。「ボクはボクの正義のために戦う。だから、君も君の正義のために戦えばいい」
北村倫理は一般的に想像される「正義」とは趣の異なる「正義」を持っている。その「正義」は作中の誰とも完全には共通しないし、だからストーリー内で他のヒーロー達と対立することもある。
ワヒロは彼らの「正義」――価値観の対立を肯定する。
正義や価値観が違えば、当然、考え方の違う他者の言い分を理解できないこともある。
ワヒロはそういう「分かりあえない」場面を何度も書く。正義や価値観の違いで、ヒーロー達は衝突することもある。(しないこともある)
世界を良くするため、崇高な理想を実現しながらヒーロー活動を行う頼城紫暮。余命幾ばくもない中、ヒーロー業という「おもしれーケンカ」に生きる価値を見出す矢後勇成。
作中、ヒーローを容疑者とする「ヒーロー襲撃事件」が起きる。状況証拠から矢後勇成に疑いの目が向けられるが、矢後勇成は「んなつまんねーケンカしねぇよ」と一蹴する。
頼城紫暮も反論する。「暴力行為を嗜好性で区別している時点で、お前にヒーローとして戦う資格がないことは明らかだ」
どちらの言い分もワヒロは贔屓しない。ただ、彼らはヒーローである、ということだけを書く。
登場人物はみな異なる価値観を持っている。しかし、どの価値観が正しいかを明言することは絶対にない。様々な考え方が提示されるのみである。
その姿こそワヒロの美徳で、好きなところだ。
Q.「ワールドエンドヒーローズ」の好きなところを教えてください。
A.ヒーロー達の高潔さ、登場人物の人間臭さ。
ワヒロはヒーロー物だ。ヒーロー達には守るべき市民がいる。
市民にも色々いる。ヒーロー達と友好な関係にあり、救助の礼にトラックを貸してくれる――このトラックは後に電飾で派手にデコられたりもするんだけど――市民もいれば、いわゆる愚かムーブの強い市民も当然いる。彼らの愚かさにより進むストーリーも作中ではいくつか存在する。(そんなに多くもないけど)
愚かさをもつ市民らの、ワヒロでの書かれ方に、どうしようもなく惹かれてしまう自分がいる。
彼らの愚かしさは、なんていうか、凄く……後ろめたくなるくらい、共感できる。共感できてしまう。だから惹かれてしまうんだと思う。
例えば。ヒーローの高潔さに嫉妬し、逆恨みする元ヒーロー候補生であるとか。息子のような存在にどうしようもない愛着を抱き、世界を終わらせる手伝いをしてしまう人物であるとか。
――影響力の大きな存在の理不尽な死について、「誰かのせい」にしないと耐えられず、原因を特定のヒーローに擦り付けようとしてしまう人々、とか。
彼らは確かに愚かだ。でもなんとなく、彼らの言い分に人間味を感じてしまう自分がいる。
私も目の前の理不尽に耐え切れず、誰かを恨みそうになったこと、何度もある。近しい記憶に限定しても、意味を持たなくなった舞台チケットをコンビニで払い戻した時。愚かだって分かってたけど、誰かを呪わずにいられたかっていうと、勿論そんなことはなかった。
でも、ヒーロー達はそうではない。彼らには信念がある。信念は高潔さを生む。
本編よりも過去の時間軸において、ヒーロー候補生「星乃慧吾」がヒーロー活動中に死亡する事故があった。戦場で起こったヒーロー同士の揉め事が原因だった。見るからに理不尽な死だ。
理不尽な死を受け入れられなかったヒーロー候補生の一部は、星乃慧吾の死を、同じ戦場に立っていたヒーロー候補生の一人、戸上宗一郎のせいだと思い込むことにしてしまった。戸上宗一郎は「諸悪の根源」を求める群集心理により選ばれた生贄だった。
戸上宗一郎は折れなかった。
言い訳をするでもなく、「態度で示していくしかない」と愚直にヒーローとして活動を続け、悪意に晒されても――石を投げつけられてもなお、人々を守るという信念を貫き通した。
ヒーロー達の高潔さが好きだ。
彼らの高潔さは、ヒーロー達の信念そのものだ。みんなそれぞれ、異なる信念を抱えている。
逆に、信念――「守るべき理由」を持っていないからこそ、守るべき世界や「自分自身」を知るために戦うヒーローもいる。翻ってそれは、やはり一つの決意なのかもしれないなと思う。
「守る対象」も、ヒーローによって全然違ったりもする。
守る対象を選ばない、全てを守ろうとするヒーローらしいヒーローもいる。し、守る対象を限定し選ぶヒーローもいる。
守る対象を意図的に選ぶその指先に、彼の人生が――信念が滲み出ている。
強い信念と意志を抱え、ヒーローとしてあの世界に生きる彼ら15人が好きだ。
ヒーロー達の持つそれぞれの正義が貫き通される「未来」が、物語の完結に添えて描かれるであろう日を、楽しみに待っている。
Q.「ワールドエンドヒーローズ」の好きなところを教えてください。
A.直接は言及されない、でも確かに存在する「青春」の描かれ方。
主要登場人物であるヒーロー達はみな高校生だ。ワヒロは言ってしまえば「高校生に世界の命運を託し戦場に向かわせる」話だ。大人たちの不甲斐なさに泣けるが、しかし如何ともしがたい理由がある。
ワヒロ世界におけるヒーローとは、地球と「リンク」し、地球から戦う力を与えられた存在のことを指す。地球とリンクするには「血性」が高くなければならない。血性は一般的に、10代で上昇を続け、20歳から落ちてしまうと作中で説明されている。血性のピークは中学・高校生。
(余談だけど、作品のコンセプト(高校生ヒーロー)を「そういう作品だから」で片づけず、論理的理由を以って設定するところもワヒロの好きなところだ)
彼らはどんなに高潔で、人並外れた力を持っていても、高校生なのだ。
……ということを時々忘れてしまいそうになることもある。だって彼らは強い。それは力が強いとかじゃなくて、精神が強い。抱いた信念の強さがそう感じさせるのかもしれない。
でも、忘れた頃にワヒロは再び突き付けてくる。「ヒーロー達は高校生なのだ」と。青春を歩む「未成熟の青少年たち」なのだと。
頼城紫暮は一見して完璧超人のように見えるキャラクターだ。公式サイトの紹介文にも「完全無欠の紳士的な副社長」って書いてあるし。ヒーローでありながら、「大企業の社長令息として副社長を務めるビジネスマン」でもある。(これも公式サイトに書いてあった)
その紹介文の通り頼城紫暮は副社長業、ヒーロー業どちらについても完全無欠に振る舞う。サイドストーリーでは副社長として部下のミス(仮)をリカバーする姿が書かれる。
ヒーローとしても高き理想に邁進する。彼は元々、ヒーロー適性とも言える「血性」値が決して高くない。血性値をミュータント化手術で引き上げることにより、ヒーローとして活躍している。
ミュータント化手術の副作用である右目の金の瞳を指して彼は言う。「平和のために身を挺した者の勲章」だと。
まあ当然、滅茶苦茶忙しい。副社長業もヒーロー業もそれぞれ忙しいのに、頼城紫暮はどちらにも手を抜かない。必然削られるものは自由時間、睡眠時間である。完全無欠であるために、頼城紫暮はそれらを平然と削る。
[am 5:00]というタイトルのSSRカードがある。その時間まで起きている日もある……ってことだ。(多分)(引けてない)(明日の無料ガチャで引く)
作中、別のヒーローから評されることもある。
「すごい。大人ですね、頼城さん……!」
「あんだけされたなら、もっと恨んでもいいのに。本当、頼城さんって「大人」って感じですね……」
副社長業の最中、不法な手段を用いたとある企業社長への対応を、私的制裁ではなく法的に済ませた頼城紫暮への台詞だ。
頼城紫暮は「完全無欠の大人びた超人」である、かのように見える。世界を良くするため、そうであるべく振舞っているとも言える。その無茶とも言える生き方をワヒロは否定しない。
……が、しかしそんな彼もやはり「高校生」であるという一面を覗かせる。頼城紫暮の年相応に幼い表情を見たとき、そこに確かに存在する「青春」に思いを馳せてしまう。
一般的に言われる青春物語のような毎日を頼城紫暮は送っていない。だから、青春らしい青春が描写されることはない。
でも、彼もまた青春の最中にいる未成熟な青少年である――ということを思い起こさせてくれるワヒロが好きだ。
頼城紫暮をメインに据えたイベントストーリーが好きだ。
一つは雪の日の話(タイトル「窓の外の雪景色」)。幼少期より社長令息として忙しい日々を送っていた頼城紫暮は、雪遊びを知らない。そんな中、ある雪の日、他のヒーローに「遊び心」がわからないやつに未来は作れない、と煽られる。
煽りを受け「人々を導く者の務めとして」雪遊びを始めた頼城紫暮が、雪に跡をつけ雪像を作りそり遊びに興じ雪合戦に励み、最終的に「理想のかまくら」で一晩過ごしてしまうくらい夢中になる。
垣間見える頼城紫暮の、年相応の少年のような一面がくすぐったくて好きだ。
(でも、かまくらで一晩過ごしながら「温度管理や災害救助」のことを考えてしまうチグハグさも好きだ)
頼城紫暮の業務をバックアップし、いつも忙しい彼に息抜きとして雪遊びを思う存分楽しんでもらおうと暗躍(?)する頼城紫暮の周囲の人々――幼馴染であるとか、付き人であるとか――のコミカルな描写も好きだ。
もう一つ、無人島でサバイバルする話もある(タイトル「みんなの!無人島サバイバル」)。
頼城紫暮の発案で、ヒーロー15人で南の島バカンスに向かう予定が、飛行機操縦士の手違いで無人島に来てしまう(テニプリのドキサバみたいだが、ドキサバと違い意図的なサバイバルではない)。
迎えが来るのは三日後。危険動物ひしめく無人島でのサバイバルで、頼城紫暮は言う。
「これも仲間たちと青春の一幕だと思うと……こう、ちょっとワクワクするだろう!」
でも、現況を本当にただの青春だとは考えられないのが頼城紫暮だ。彼はバカンスの発案者として、事態に責任を感じている。
責任を重く受け止めているからこそ、皆を不安がらせないため、敢えて陽気に振る舞うのだ。「青春の一幕」なんて欺瞞まで口にして。
「窓の外の雪景色」とは逆だ。青春に言及したからこそ、彼の青春の一幕がどれだけ尋常ではないものなのかを浮かび上がらせてくる。
だからこそ、救助が来ると確定し幾らか荷が降りた後(イベントストーリー終了後)の場面を描くカードストーリーに、頼城紫暮の本当の「青春」がチラリと垣間見える。
無人島で食料を集めるべく奮起し、誰よりも大はしゃぎし笑顔を見せる頼城紫暮は、多くを背負った責任を決して唾棄せずに! たくさんの荷物を抱えたまま、彼なりの「青春」を謳歌するのだ。
染み込むようにさりげなく存在する、彼らの「青春」の書かれ方が、私は好きだ。
Q.「ワールドエンドヒーローズ」の好きなところを教えてください。
A.奥行きを伴って組み上げられた設定とストーリー描写。
メインストーリーが佳境に入ってからというものの、ストーリー更新分を読むたびに思う。
まるで、「ワールドエンドヒーローズ」というパズルのピースが、一つ一つ美しくハマっていく様子を見ているようだ、と。
過去、自身の手の届かないところで友人を失ったために、「守るべきものの危機に、自分の手が届かないというのは、恐怖だ」と語るヒーローがいる。その彼が、今度は目の前で仲間を失う。
両親に従い生きてきた環境ゆえ『自分の意思』の存在証明に揺らぐヒーローが、記憶喪失の少年の「……僕は、どうすればいいのかな。教えてくれたら、そのとおりにがんばるよ」という言葉に動揺する。
ワヒロの作劇は、この繋がりを強調はしない。
前述の彼が目の前で仲間を失った場面で、守るべきものを守れない恐怖を再度吐露したりするようなことはない。ただただ、目の前で仲間が失われていく事実を書き表していく。軽快なまでのテンポ感で。
けれども読者は既に知っている。彼が、守るべきものを守れないことに恐怖するヒーローであることを。
だからこそ読者は、行間に想像の余地を見い出し苦しむ。
物事は複雑に絡み合い、繋がっていく。
過去の出来事が人格形成に強く影響されることもその一例だ。
キャラクターの人格が、「どのような人生を歩んできたか」が垣間見えるたびに実在性を――熱を伴っていく。ストーリーが更新されるたび、熱がより強く宿っていく過程を楽しむことができる。
ヒーロー達はそれぞれ信念を抱えているって書いたけど、彼らの信念はこれまで歩んできた人生の凝縮でもある。
全部を守ろうとする青臭い信念を抱えたヒーローには、父親の暴力を目の当たりにしてきた過去がある――、と、かなり後になってから明かされた時は頭を抱えた。彼の青臭い信念は「そういう性格だから」ではなかった。
彼はきっと父親の暴力から母親を守りたかったのだ。その経験が、全てを守ろうと足掻く高潔さを彼に与えたのだろう。
……なんて書いてるけど、いや、これは私が勝手に行間を読んだだけなんだった。ワヒロはご丁寧に書いちゃくれない。
ワヒロは、一人のヒーローが「旦那さんから逃げてきたばかり」の母親を亡くした過去を持つ、という事実を淡々と書くだけだ。今読み返したら暴力振るわれてたことすら書いてなかった……。(別の状況証拠からして、ほぼ確定でDV父親だと思うけど)
Q.「ワールドエンドヒーローズ」の好きなところを教えてください。
A.軽快なテンポ感。
ある意味では前項の続き。
ワヒロには重い設定、辛い展開もある。「父親の暴力」なんてまさにその一つだ。
でもワヒロはその苦しさを強調しない。ただ、「このキャラクターの母親は父親から逃げてきた」という事実を書き記すのみである。
この、くどさを一切感じさせない描写が、テキストに圧倒的な軽快さを与えている。
ワヒロのイベントストーリーが好きだ。基本、全11話。1話を読むのにかかる時間は5分もないだろう。
公式がイベントストーリー1話を丸々公開した動画がある。
動画の長さ、1分25秒。他の話についてもテキスト量に大差ない。
私の場合、一つのイベントストーリーを読み終えるのに平均30分強ってところだった。まあテキストを嚙み締めすぎてもっと掛かることもあるけど。それでも1時間掛かった覚えはない。
決して長くはない量でありながら、しかし内容はいつもギュウギュウに詰め込まれていた。
イベントストーリー、話そのものの面白さは勿論、垣間見えるヒーロー達の素顔が好きだった。読むたび、キャラクター像の輪郭がより一層くっきりしていくようだった。
今にして思えば、長くはない分量に多くの情報が詰め込まれていたのは、ひとえにこの「何事をも強調し過ぎない軽快さ」が理由だったように思う。
前述した通り、ワヒロは「目の前で仲間を失ったヒーロー」が「誰かを守れないことに恐怖を覚える」キャラクターであることをわざわざ再度書き直さない。
でも、読者はキャラクターの人格を――前提条件と言ってもいい――既に知っている。だから、当然のように行間を読んでしまう。
テキスト分量の短さと、実際に読者が受け取る情報量の多さ。この差はワヒロのテキスト表現方法に理由があったのかもしれない。って今思った。
ワヒロのテキストは、不公平なまでに何かに偏った描写に文字数を割くことは決してなかった。いつも、軽快にテンポよく、ありのままを描写してくれていた。
軽快なテキストの行間に埋め込まれたギュウギュウの伏線を、脳に叩きつけられるような感覚が好きだ。
前述の通り、ワヒロには確かに重い設定も辛い展開も存在する。でも、私はワヒロを「暗い雰囲気の物語」だと思ったことは一度もなかった。
テキストに、物事をニュートラルに見る視線を感じられたからだ。
どれだけキツかろうが、ツラかろうが、ワヒロはそれを殊更に強調したりしない。全ての事象を公平に描き出す。
そのニュートラルさがあるからこそ、重い過去も辛い展開も、「悲劇の安売り」にはならなかった。
ヒーロー達や、ヒーロー達と対峙する「UNKNOWNS」と呼ばれる人造人間。彼らのキャラクター造形はどれも多層的で、悲劇的側面を持ち合わせていることも多い。
でも、彼らはその悲劇的側面をひけらかさない。
故にワヒロは絶対的に「悲劇の物語」ではないのだ。
ヒーロー達も、ワヒロという作品も。悲劇を安売りせず、ハッピーエンドを渇望している。その姿勢が好きだ。
Q.「ワールドエンドヒーローズ」の好きなところを教えてください。
A.コンプライアンス意識の高さ。
好きなところ、とはちょっと違うかもしれない。安心感とか信頼と言うべきかも。
ワヒロ、作中で無意味に性的要素を感じさせる描写はなかった。人種であるとか、LGBTとか、そういう物事に対する差別的表現もなかった。
ライターさんが物凄く気を遣ってテキストを書いてくれていることが感じられた。好きだ。やっぱり好きなところだ。
作劇の都合に誰かがsageられることもなかった。ヒーロー達の正義、価値観、言動を作品に否定されることは絶対になかった。
まあ個人的なことを言えば、ぶっちゃけ私自身は上記要素が入ってたって平気で読めるタイプではある。でも、気にはなる。「自分以外の人間が読んだとき、嫌な思いをするのではないか」って脳裏に過っちゃうと、気になって集中できなくなる。
ワヒロはその点ノンストレスだった。安心感は作品への信頼に繋がる。
作品を信頼させてくれるワヒロが好きだ。
一応、ほんのわずかに「男」とか「女」とかに言及する場面もある。
ヒーローの一人、武居一孝が、対峙する敵の性別を気にした時だ。
武居一孝曰く、「俺よりでかかろーが、髪がクラゲみてぇだろうが、女相手に大剣叩きつけるのは、正直、主義に反する」。男女の話というよりは彼の主義主張の話だ。
返答。「なんでもいいの、そんなこと」「すべての定義は、七見くんが決めること」「男とか、女とか、関係ある?」
更に武居一孝の返答。「ま、それならいっか。てめえが言ったんだ、後悔すんなよ」
武居一孝は「女に大剣叩きつけるのは主義に反する」という価値観を持っている。でも、目の前の敵が「男とか女とかどうでもいい」というのならば、それで納得してしまう。
性別に言及することで武居一孝のキャラクター造形を深めつつ、しかし性別なんてどうでもいいと言う主張をも是とする。
未来志向だと思う。ワヒロの、時代に即したテキストが好きだ。
Q.「ワールドエンドヒーローズ」の好きなところを教えてください。
A.全ての主要登場人物間に存在する関係性の厚さと濃淡。
A.叙述トリックに気持ちよく騙される爽快感。
A.対比構造の美しさ。
A.「名前」に込められた思いと意味の重さ。
A.設定、演出に論理的説明がなされるところ。
A.武器設定の「分かってる」間、戦闘シーンの戦略性の高さ。
A.立ち絵芸などに見られるコミカルさ。
A.軽やかに紡がれていく会話の掛け合い。
A.言葉選びの美しさと慎重さ。
A.比喩、暗喩の巧みさ。(巧み過ぎて全然把握しきれてない)
A.ストーリーの実装順により、読者の把握している情報内容が完璧に操作されているところ。リアルタイムで、実装された順番通りに物語を読むのが、「一番面白い」楽しみ方になるように配信してくれたところ。
A.テーマ設定。「運命を変える」――バタフライエフェクトのためにあがく少年たちの姿。「運命が、未来が決していても、過程はドラマを描く」ところ。
A.無限にあるな……全部は書ききれないな……(当たり前体操)
Q.「ワールドエンドヒーローズ」の好きなところを教えてください。
A.清潔で清廉としたイラストであるとか、キャラの服装のセンスであるとか。ヒーローものとして盛り上がりを演出する――空気を変える――音楽であるとか。ワヒロを構成する要素全部。
どうしてもワヒロのテキストが好き過ぎるので、いつもその話ばかりしてしまうけど、それだけじゃなくてワヒロの絵も好きだった。
ワヒロのイラストはいつも清廉で澄んでいた。それは色使いが透明感を想起させるということでもあるし、イラストに媚びた空気を必要以上にまとわせないということでもある。
いや、私個人としては媚び媚びのイラストも好きなんだけど。でもワヒロの場合は敢えて清廉さをイラストに乗せていたように思うので、そこが好きだという話だ。ワヒロの清らかな世界観を構築する一助として、イラストに大きな魅力があった。
特に好きなカードイラスト、載せたいから載せておく。自分が持ってるカードから選んだ。持ってないカードでも、絵が好きで所持できていないことに地団太を踏むイラストがいくつもある。(明日のガチャで全部引く)
夏の追憶。描かれた空気にどうしようもなく懐かしさを覚え焦がれてしまう。少年時代、青春時代への憧憬が画面を覆っているよう。好き。
こちらも夏。夏の喧騒が、しかし上品に聞こえてくるような色遣いが好ましい。霧谷柊の優しさが滲み出た控えめな微笑にも惹かれる。好き。
更に夏。夏の終わり。
色遣いの深さ・暗さ故だろうか、あるいは人通りの少なさを思わせる場所のせいだろうか。どこか(夏の終わりの、あるいは青春時代の終わりかけの)冷えた温度を感じさせる。
でも、光が見える。冷えた場所での「仕事」を終えて、志藤正義は仲間の待つ花火大会の会場へと――光の方へと向かう。青春はいつか終わるけれど、まだ終わらない。好き。
こちらは逆に冬。イルミネーションは煌びやかでありながら、画面を上品さが貫いている。美しい光の表現と、振り向きざま微笑む斎樹巡の不敵な表情。好き。
明け方の澄んだ空気が、ワヒロが用いる透明度の高い塗りと奇跡的なまでに合致している。屋上から見える夜明けは「一日の始まり」を感じさせる。
今日もまた一日が始まる。例え彼が、駆け抜ける一瞬の風のように生きているのだとしても、余命幾ばくもない矢後勇成の「今日」は嘘ではない。好き。
ワヒロのBGMが好きだ。話を盛り上げる曲、不安や悲壮を引き起こす曲、コミカルで明るい気持ちになれる曲、どれも好きだ。
一番好きなのは戦闘BGMだ。ミッションのフォーメーション選択時に流れる曲が特に好きだ。今から戦いが始まるという高揚感を至上に引き立ててくれる。
週刊少年ジャンプ出身だから戦闘シーンはシンプルに心が沸き立つ。その盛り上がった感情を乗せて駆け抜ける戦闘曲の爽快さが好きだ。
公式動画で聞けるのないかなって探してみたらOP曲だった。忘れてた……。せっかくだから動画を貼っておく。ワヒロの動画、できるだけ消されずに残しておいてほしいけど、どうなんだろう。(個人的に保存はしようと思ってるけど……)
Q.「ワールドエンドヒーローズ」の好きなところを教えてください。
A.作り手の方々は作品を大切にしてくれているのだと感じられるところ。
ソシャゲ的なことを言ってしまうと、ローテが平等だった。消費者から見て、たぶんこのキャラ人気あるんだろうな~って子もいたけど、売上のために誰かを特別超優遇するようなことはなかった。
ストーリーでも主要登場人物15人全員に活躍の場があった。メインストーリーは勿論、イベントストーリーでも、特定のキャラが多岐に渡り不必要に目立ちすぎることはなかった。イベントストーリーでは15人全員が出る話が多かった。
自分以外の人間が何を考えているかなんて当然分からない。だから、製作者が本当に自身の作品を愛しているかなんて私には分からない。こいつ自分の作品嫌いなんじゃねーの、って作者に対して思ったこともある。真実は知らんけど。
だから、ワヒロだって、製作者の方々が作品のことをどう思ってるかなんて、本当のところは分からない。
――でも、ワヒロの作り手の方々は、作品への態度は常に真摯だった。
ローテの平等さからも、製作者の方々の真摯さは充分に伝わった。勿論それ以外の面でも、真摯に作品と向き合ってくれてるんだなあ、と思ったことは数知れない。
作品に対して真摯だから、きっと製作者の方々は作品を大切にしてくれているんだろうなって前向きに信じさせてくれるワヒロが好きだ。
作品を徹頭徹尾信じることができる、って体験をさせてもらえて本当に良かった。
自分語りになっちゃうんだけど、ワヒロと出会うちょっと前、好きだった作品が続編で「作品の魅力、設定全否定」されたことがあった。私が好きだったのはその作品のナンバリング2作目だった。多分シリーズの中ではかなり人気が高かったと思う。2作目の人気の高さに、作者はあんまり良い思いを抱いてなさそうな発言をすることもあった。で、その後、続編で2作目はボロクソのカスにされた。
その時、「もうこの先、製作者を信用することはできないんじゃないだろうか」と思った。
でも大丈夫だった。ワヒロは私に、作品と作者への信頼を取り戻してくれた。ヒーロー達に救われたと言っても過言じゃないかもしれない。クサいか。
作り手の方々が大切にしてくれたワヒロという作品が好きだ。
8月にワヒロは完結を迎えるけれど、きっと私が見たかった「ハッピーエンド」を見せてくれる。そう信頼している。
ハッピーエンドを信じさせてくれるワヒロが好きだ。
恋文として/結びのあいさつ
頑張って書いたのに、書いても書いてもワヒロの好きなところを書ききれないし、ちゃんと書き表せてる気もしない。感想を書くって本当に難しい。
もっと上手にワヒロの好きなところを言えればいいのに。悔しい。好きの気持ちと、発露される文章とに釣り合いが取れない。いつも気持ちを持て余している気がする。
この駄文を書くに当たって、記憶違いをできるだけ防ぐためいくつかストーリーを読み直した(※もし勘違いによるミスがあったら教えてください)。
読むたびに改めて思った。ワヒロのテキストが好きだ。全部が好きだ。「ここ好きポイント」とか全文に一言書き添えられる気がする。ワヒロが好きだ。
きっと私はこれからもずっとワールドエンドヒーローズという作品を好きでい続けるのだと思う。
ワヒロのテーマ曲に「別れの曲」がある。ショパンの有名なピアノ独奏曲だ。
印象深い場面で、「別れの曲」は度々BGMとしてワヒロの世界に姿を現す。
きっとこれから先の人生、ずっと、「別れの曲」を聞くたびにワヒロのことを思うのだろう。