一重コンプレックス14年〜ブスな私と生きてきた〜
指で携帯の画面をスクロールしても、スクロールしても、くりっとした可愛らしい目がこちらを見て踊っている。
見飽きて電源ボタンを押すと、真っ暗な
画面に自分の顔が映し出される。
斜め下からの最悪のアングルに、苦笑いをする。
自分の顔を見るたびに思う。
「ブっっっっス」
小学5年生の時、初めてアイプチをした。
「アイプチしたら二重の癖つくかもよ」と母が貸してくれた。今思えば、母も悩んだ末に貸してくれたのかもしれない。
その頃はまだ、自分の一重がそこまでコンプレックスではなかったけど、二重になった自分を鏡でみて、「目が大きくなるとこんなに可愛くなるんだ」と嬉しくなった。
それからアイプチを続けた。中学生になると毎日アイプチ。アイプチをしていない姿を家族に見られるのも嫌になっていった。
朝アイプチをしている途中で、母親が部屋に入ってきた時はブチ切れた。
ブチ切れながら、目の前が滲んで行き、手を震わせながら二重にする姿を思い出す。
高校生になっても制服のポケットの中には必ずアイプチ。絶対に手放せない。どこに行くのも一緒だった。私の服のポケットはアイプチのノリが固まって付いていた。
アイプチをする自分、留学する夢も諦めた。
恋愛も人間関係も諦めた。
だから、高校を卒業すると同時に二重整形をした。当時、10年以上前は今みたいにインフルエンサーが「二重整形しましたー」とYouTubeにあげてくれるわけではなかったから、インターネットで調べまくった。どの先生が良いのかも誰かのブログを読みあさって決めた。
術後、ダウンタイム鬱みたいなものになった。(もちろん当時はそんな言葉知らない)
顔に馴染んでないクッキリ二重を鏡で見るたびに、「手術しなければよかった」と思い、病院にも電話。
「目が腫れています。もう糸取りたいです」
119番に電話するかのような、逼迫感で迫ったけど、なだめられた。
母親にも泣きつく。
「私やっぱり二重辞めたいーー(泣)今後結婚する人にも嘘つくことになるーー」
もう自分でも自分がどうしたいのか分からなくなった。
母は「一重でも、二重でも愛してくれる人は現れるから」と励ましてくれたが、そんな人いるわけないじゃないか、と泣いた。
泣けば泣くほど目は腫れていく。
それから数日したら二重も馴染んできて、気がついたら二重の自分をすんなりと受け入れて、自信を持って人とコミュニケーションを取れるようになった。大学時代は本当に楽しかった。
月日が流れ、私がやった二重手術は埋没法といい、糸で留めているだけなので、徐々に一重に戻ってきた。
またアイプチ(アイテープ)をする日々。
また一重を誰にも見せられない日々。
検索欄は「二重切開」で埋め尽くされた。
何度も同じサイトを見ているのは分かっていた。
夜布団に包まり、有名な美容外科の先生のブログの更新がされていないかのチェックと、症例写真と同じようになる自分の顔を想像しながら眠りについた。
そんな時に夫と出会った。付き合い出した当初は、彼が眠ってからアイテープをとり、彼にも一重を見せなかった。
こんな日々が続いていくの嫌だなぁ、結婚してもずっとこれ…?と漠然とした不安が押し寄せてきて、意を消して、彼が家に来るのを一重の姿で待った。
やっぱりアイテープやろうかな…
彼が来るまで机に鏡を置き、何度も一重の自分を確かめては、指で二重の線を作る。
怖くて、怖くて、逃げ出したかった。
なんて言われるだろう、、私の顔をみてどう思うだろう。
彼が部屋に入ってから最初は目すら合わせられなかったけど、どれだけ時間が経っても彼は何も言わない。
私の顔についてなにも触れない。
「今日化粧キラキラつけてるね、可愛い」って気づいてくれる彼が何も言わない。
拍子抜けした。拍子抜けと同時に救われた。
「私、一重でも、二重でもそんな変わらないんだ。」
15年以上ずっと背負ってきた何かが、スッとなくなった。
それから彼の前で一重でいられるようになって、外でも、人に会う時も一重のままでいる。
学校の休み時間、トイレの個室の中で、隠れて焦る気持ちを必死に堪えて、アイプチをしていたあの頃の私を抱きしめてあげたくなった。
「和は、一重でも、二重でも良いんだよ。あなたの魅力はそこじゃないみたいだよ」って言ってあげたい。
一重の私を彼は毎日、毎日、可愛いと言ってくれる。
だから、今は一重の自分を受け入れている。
それでも鏡を見るたびに思う、
「ブっっス」
昔より悲観的ではないけど、挨拶がわりぐらいのテンションで思う。
昔より悲観的ではなくなったのは、コンプレックスという執着心がなくなったから。
もちろん二重になりたいなぁと思う時はあるけど、昔みたいに、絶対二重じゃないと嫌って感情がなくなった。
容姿のコンプレックスから生まれる負の感情って本当に、本当に、しんどいよね。
執着から解放されるって難しいと思う。たまたま私は解放してくれる人に出会えたけど。
「みんなそれぞれが美しい。容姿に優劣はない」って言う有名人も、きっとこの執着心からたまたま逃れられた人なんだと思う。
そんな言葉を聞いても全く心に響かない気持ち、分かる。
コンプレックスからの解放方法なんて上手く説明できない。
「いろんな人に出会ったり、旅してみるのも良いと思う。カウンセリングを受けても良し。
どのタイミングで解放されるきっかけに出会えるか分からないけど、根気強く、今の環境や考え方から離れる機会を作る。 」
みたいなやんわりしたことしか言えない。
コンプレックスから解放されたあと、鏡を見ると
「マジでブス。」って
自分の存在に泥を吐くような言い方から
「マジでブス。」って
労わってあげるかのような優しさを含んだ言い方になる。
ブスは変わらずブスなんだけどね笑
いつか「自分は美しい。自分の容姿はこのままで美しい」って言える時が来るのかもしれないけど、私は来なくなても良いと思っている。
私はこのままで、ブスでも、可愛いくても、私という人間は変わらないから。
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