毛糸とハーブティーとお菓子と
なるべく誰にも迷惑をかけずに生きていきたい。
自分が迷惑者だからではなくて
自立した人間で在りたいから。
他人に自分の傷を癒してもらうのではなくて
自分の傷は自分で面倒を見られるようになりたいんだ。
深く傷つく度に
傷の癒し方を学んでいく。
幼い頃は
完璧に物事をこなして
成果を出すことで
周りから褒めてもらって
できた心の傷をやり過ごした。
傷口を見て見ぬふりをして
手当てをせずに
その痛みや傷を忘れられるもの
そう、周りからの承認を求めた。
社会に出ていろんな人に出会った。
部下に当たり散らす人。
自分の家族自慢をする人。
自分が手柄を上げることだけを考える人。
そんな人たちは
どこか寂しそうだった。
社会に出て自分を知った。
上司からの承認がないと不安な自分。
失敗を自分の人格否定の材料にし精神的に常に不安定な自分。
周りから責められないために周囲をコントロールしたり言い訳をする自分。
私は、傷つくことを極度に怖がった。
自分は守られるに値する人間ではないと信じ込み
寂しさを感じる資格などないと言い聞かせた。寂しさを感じないなんて無理だから、感情を見ることをやめた。その結果、自分の感情を恐れるようになっていった。
傷つくことは避けられない。
避けようとすると
人とのコミュニケーションの目的がら意思疎通から自己防衛に変わり、会話の内容がマウンティング・言い訳になってしまったり
仕事の目的が、社会貢献から承認獲得になってしまったり
本質がズレていってしまう。
何度も言うが、
生きている限り傷つくことは避けられない。
生きるのは苦しいけど、生きるという仕事からは降りることができない。
ならば、苦しさを承知の上で生きるしかない。
仮に、他人からナイフを刺されても、その相手を攻撃する必要なんてない。いってぇなと呟き、痛みを味わって、手当てをする。その傷と向き合って得られた気付きを言語化し、よりあったかい自分に成長する。ただそれだけのこと。
刺されるのはめちゃくちゃ辛いけど、自分の行動次第で成長材料にできる。だから、刺されたって大丈夫。
自分なりの心の治療法を見つけて苦しさを切り抜けていくしかない。映えを狙ったようなキラキラしたものじゃなくて良くて、自分の納得のいく最高の方法を選びたい。
アフタヌーンティー とか、友達と飲み会とかには憧れがあるけど、私には向かない。インスタに乾杯の動画とか載せてみたいなとは思うが。
私は、思いっきり痛みを味わって、散々泣いて、ハーブティーを飲みながら、お菓子をつまみ、大好きな毛糸で編み物をする。1人っきりでじっくり休む方が良い。
これが最高の心の治療になるのだ。
誰もが心に痛みや寂しさを抱えている。
生きている限り痛みや寂しさからは逃れられない。痛みからの逃れ方を考えるより、痛みをどうやり過ごすかを考える方が賢明だ。
傷を負うことを覚悟できると
自分と他人を愛することができる。
他人や環境へのコントロール欲が弱まり
相手や環境をあるがままに見られるようになる。
相手を見て、配慮することができるようになる。
痛みを味わい
自分を癒し
相手を思いやる。
それが生きる営みなのかもしれない。
今日も自分の手当て時間を大切にして
明日も目の前の家族、友人を愛したい。
2人目が生まれて育休が終わったら
社会にいる人を愛し、社会に貢献したい。
愛の輪を徐々に広げていけたらいいな。
思いついたことをダラダラ書いてしまったので、まとまりがなくなってしまった。また後日修正しよう。