美しい心を例えるなら
鏡のような美しい池は 「私」という欲がないので すべての景色が 一つ残らず映し出されます。 誤魔化すことも出来ません。
弘法大師空海
地鏡(ちきょう)、無私にして万色(ばんしき)、誰か逃れん。
『遍照発揮性霊集』
池や水面は、よく「心」に例えられます。
心は本来、澄んで美しく、落ち着いていれば、その表面は波立つことがありません。
波立つことのない水面は、さまざまな景色を映し出します。
水が(心が)落ち着き、澄んで、美しければ美しい程、そこにはありのままの風景が、ありのままに映し出されます。
続き「山水、相映じて、乍(たちま)ちに見て、腸を絶(た)つ。」
水面に映った山と水面はさらに溶け合う。
その美しい風景を見れば、たちまち人は全ての器官を止めてしまうほど」
人の美しい心や行動に心を打たれてハッとする時、確かに自分の身体や時間が一瞬止まる様な感覚になることがあります。
実は、日光開山の勝道上人をたたえる詩で、池鏡とは中禅寺湖のことです。
私欲のない鏡の様な心で人はハッと息をのみ逃れられない。
勝道上人はどんな方だったのかな。浅学なのでわかりません。
調べてみよう。
池鏡、そんな美しい心に憧れます。
今日も笑顔でぼちぼちと。 より良い一日を。
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