#2 周りの目を気にして、自分を押し殺していた。 “囚われ”を受け入れることで、殻を破り、「本当の願い」につながることができた 〜鎌田勇利 さんのケース〜
■王子様のように扱われ、安心安全と自由な冒険が満たされていた幼少期
僕は総合商社に勤務する父と、専業主婦の母のもとに生まれました。幼少期の頃から、両親だけでなく、それ以外の周りの人たちに常に囲まれ可愛がってもらえ、『やりたい!』といったことに関して、基本的には何でも挑戦させてもらえて、サポートしてもらえたり。3歳下の弟もいて、絵に描いたように幸せな家庭で過ごしていたと思います。
父の海外転勤の都合で、僕が生まれてすぐにフィリピンに移住することになりました。そこでは、両親の他に三人のメイドさんと専属のドライバーさんがいたこともあり、幼い頃は、朝起きてから夜寝るまで、常に複数人の大人に囲まれ、王子様のように大切に扱われるような、いつでも人と繋がっていられているという「安心安全」を感じられるような環境でした。
また、『大きな怪我をしない範囲であれば、なんでも挑戦させてやりたい』という父親の教育方針からも、『やりたい!』と興味を持ったことは、何でもサポートしてもらえやらせてもらえるという、自由に未知を冒険できるような環境もそこにはありました。なので小学校に上がるくらいまでは、『無条件で何でも100%サポートしてくれる』優しい父の下、あらゆることに思うがままに挑戦させてもらえていました。(良くも悪くも『父親からサポートしてもらえること』が、自身が “自由に冒険する" ということに対する相当な強い条件として、無意識ながらも入っていた気がします。)
フィリピンで4年ほど暮らした後、日本に戻ってきました。僕は当時、日本語がほとんどしゃべれない状態でしたが、同じビルにいとこ家族や祖父母が住んでいたこともあり、帰国後も、人とのつながりを強く感じられる、とても賑やかで楽しい環境の中で育ちました。
フィリピンで幼少期の頃から、人に注目してもらえることが当たり前の環境にいて、その様な安心安全を感じられる環境のなかで、自由に未知を冒険することが楽しいと感じられる私は、『すごいね!大したもんだね!』と思われるようなことをすれば、更に見てもらえるという報酬を、小さい頃から学んでいったのだと、今振り返ると思っていて。
故に、目立ちたがり屋で、何にでも挑戦するような、とてもアクティブな子どもで、小学校に上がってからも、率先して学級委員などのリーダー的役割を担うなど、いつもクラスの中心的存在に、自ら好んでなっていました。自分の楽しいと思うことに周りの人たちを巻き込んで、一緒に何かをすることが好きだったのです。
■ 冒険の基盤となっていた優しい父の、厳しい側面も見えてきた小学校時代
そんな中、父が『小学校くらいからは、父親の出番』という考えを持っていたこともあり、小学校に上がって以降、今までは無条件で何でも100%サポートしてくれていた優しい父が、時折『それはダメだ!』ということには、ちゃんと言うことを聞くまで断固として許してくれないという、父親として厳しい(自分に取っては怖い)側面も見せるようになりました。
最初は泣きわめいたり反発するものの、基本断固として許してくれず、言うことを聞かない限り自分も『自由に冒険できなくなってしまう』ので、毎回最終的には言うことを聞いていました。
言うことをちゃんと聞けば、元々は子供思いのいつも優しいサポーティブな父なので、『父に許してもらえる範囲の中であれば、引き続き自由に冒険できる(=逆に、父から許してもらえず見放されたら、冒険ができなくなる)』と、無意識のうちに、脈々と強化学習していった気がします。
そのような形で、“報酬"と“制約"という2つの側面から強化学習が進んでいっていた道中、私は中学受験の勉強の為、進学塾に通い始めることになりました。通っていた小学校が、東大のすぐ側の進学区にあったこともあり、大半のクラスメイトたちが、次第に中学受験を意識するようになり。僕自身も「周りの友達が行っているならボクもやる!」という軽い気持ちで、何となく進学塾に通うようになりました。
僕は別に、受験に合格したい、勉強がしたいと、心の底から思っていたわけではなかったのです。本当はクラスの子たちと自由に遊びたかった。しかし、塾では大量の宿題が出され、定期的に行われるクラス分けテストに向けて必死で勉強しなければならず。毎日やりたくもない宿題や勉強をやるために机に向かいながらも、そこから逃避するように、隠れて布団の中でゲームをするなど、そんな負のループを繰り返す日々を送っていました。
そんな感じで勉強にやる気があった訳ではなかったので、(当たり前ですが)学年が上がり難易度が上がるにつれて、塾での成績は落ちていきました。そんなある日の夜、普段は特に勉強に口出しはせずに送り迎えなどのサポートをしてくれていた父親が、一度だけ、「この点数で本気出しているのか?頑張らなければならない時、努力しなければならない時にそこから逃げたり、やるべき時に適当/いい加減に時を過ごしてしまう人間は、結局その程度の人にしかならないし、中学やその先の君の人生において出会い、お互いに影響しあう人間も結局その程度の人しか自分のまわりにはいない環境で人生を送ることになる。お前はそれでも、本当にいいの?」と、自分を鼓舞する為に向き合い、塾を続けるか続けないかを問いてくれたことがありました。
今思うと、父は『自分が掲げた目標に対して、諦めず本気で取り組み、成功を掴むこと』をできるような大人に成長していって欲しい、という、子供の幸せを思って、鼓舞してくれていたんだと感じます。
しかし、当時の自分にとって、父は冒険の基盤となっていたこともあり、『父親には見捨てられたくない』という想いから、本心では辞めたいと思っていたはずなのに、泣きながら『辞めない。勉強する。』と父に返し、引き続き受験勉強を頑張ることにしました。本当は勉強なんてやりたくなくて、遊びたかったはずなのに。
これのようなことが脈々とアップデートされていった結果、自身のバイアスの一つとしての『世の中の “正解" から外れると、見放されてしまい、冒険できなくなる』という恐れに繋がっていくことになるのですが、それは後段で話しましょう。
■ NCSをきっかけに「自分の中にある“囚われ”」を受け入れ、殻を破ることができた
そんな自己矛盾を抱えながら受験勉強に苦しんでいた僕に、転機が訪れました。父のアメリカ転勤が決まり、家族全員で渡米することになったのです。僕は小学6年生になったばかりだったので、必然的に中学受験から解放されることになりました。勉強一色になっていった日本での受験生活とは一変し、アメリカでは自由な時間を満喫することができました。
アメリカで過ごした中高時代は、テニスを始めとするさまざまなスポーツに打ち込み、帰国後の大学生活ではストリートダンスに夢中になり、あらゆることに熱中し打ち込み続けた、とてもイキイキとした学生生活を送ることができました。
ただし、アメリカで自由の素晴らしさを知ったものの、やはり引き続き、父という存在が自分にとっての冒険の基盤であることは、本質的には変わらず。『父に許してもらえる範囲の中であれば、引き続き自由に冒険できる(=逆に、父から許してもらえず見放されたら、冒険ができなくなる)』という僕の無意識な思い込みは、あまり変わっていませんでした。
更に中学受験の経験をきっかけに、「いい学校に入って、いい大学に出て、いい大企業に入り、グローバルな道に進む」という“正解の道"が、父から“許される範囲"なのだと、無意識に思い込むようになっていき、そこから外れてしまったら「自由に冒険できなくなる」という囚われが、脈々とアップデートされていった気がします。
思い返せば、アメリカで暮らしていた時も無意識のうちに“正解の道”から外れない範囲の中で、自分の好きなことに好きなだけ熱中する生活を送っていた。
日本に戻ってきて就職活動をすることになった時も、希望したのは海外駐在の可能性があるグローバルな大企業。無意識のうちに父の目を気にし、「期待に応えれば、許容される範囲の中でこれからも冒険は続けられるが、一方で期待に答えられなければ、冒険できなくなる」という考えに囚われ、あくまで“正解の道”から外れない範囲の中で、自分のやりたいことに最も近い仕事・環境を選んだのだと思います。
そうして入社したのは総合商社。「あらゆる個性・想い・バックグラウンドを持つ関係者をつなぎ合わせ、新しいビジネスを創出していきたい」という思いから、インフラ/プラント関連プロジェクトの事業投資・事業管理を行う部署を志望し、無事に入社することができました。
しかし、就活時にがむしゃらに自分と向き合い、やっと入れた第一志望の会社・部署であったのにもかかわらず、学生時代の頃の部活やダンスと同じような熱量で、目の前の仕事に熱中できたことが、不思議なことに全く起きなかったのです。
むしろ「社会人としての在り方」「会社の一員としての在るべき姿」「若手社員として取るべき行動」など、あらゆる方面における“世間的正解”に囚われ、ありのままの自分を押し殺しながら、順応し、周囲の期待に応えようと日々もがき苦しんでいたのだろうと。今振り返ると、そう思います。
そのように自分自身を押し殺して、周囲の期待に応えようと、必死こいてもがき苦しみ続けていたら、2019年12月に張り詰めていた糸が、プツンッと切れました。
「一体、何をしているんだろう…」と、ふと自分を客観視した時、「今の自分は、今までの人生の中で一番イキイキしていない」ということに気付き、その事実がとてもショックで、涙が止まらないほど悲しくなりました。
このままじゃいけない。どうにかして、自分らしくイキイキとした人生を送るための行動をとっていかなきゃいけない。
そう思い、自分自身の人生を見つめ直し、自分を変えていくために、動いていこうと決心しました。
はじめは海外留学を視野に入れ、まずは自分一人の力で「人生を通して、本当は何を成し遂げていきたいのか」「どんな人生を歩んでいきたいのか」ということを、考えてみようと努力しました。
しかし、やはり自分一人の力だけで考えるには限界があり、早い段階で行き詰まってしまいました。「何か、助けになるようなものはないのか…」。そんなことを考えていた時に、NCSの存在を知りました。
とりあえず1dayのワークショップに参加しました。就活の時にも、徹底的に自己分析をしていたのですが。NCSでは一般的に知られている「現在から過去を深ぼりしていく」という自己分析方法と異なり、アート思考をベースに、直感に従って自分のやりたいことやワクワクすることを再認識できる設計になっていて、それが斬新で、とても面白いと感じました。
また、同じように自分自身を深く知ろうとしている人たちに出会えたのも、すごく貴重でした。2020年1月からは、半年にわたるNCSメンター育成講座も受け始め、そこで出会った10人くらいの仲間と共に、自分、そして人と向き合い、自分の中にある囚われや矛盾を受け入れて願いと繋がっていく、という経験をしました。
彼らとは本音で向き合い、お互いの嫌なところや弱いところをもさらけ出し、受容し合い、その裏側に潜んでいる本当の願いを共有する。そのように互いを支え合いながら、自身の中にある囚われと向き合い続けた結果、僕は自分の中に強く根付いていた“正解への囚われ”と、その裏にある「本当は一つの側面だけで判断して、世の中で言われている正解の道を進んでいることに親として安心するのではなく、今まで自分でも気づかず、だからこそ父にも伝えることができなかった、ありのままの自分の想いを受け止めて、応援してほしい」という父への願いに、気付くことができました。
そして、本当の自分を取り戻すために、幾度も父と長時間膝を交えて話し合いを重ね、父にもその願いを伝えることができました。はじめは会社を辞めたいという思いに反対していた父も、最終的には「Your own riskで挑戦すると決めたのならば、頑張れ」と、応援してくれるようになりました。対話を通じて、そんな言葉を父からかけてもらえたからこそ、僕は人生で初めて “正解の道”から外れることを、自分の本物の意志に従って決意することができたのだと思います。
■「ありのままの想いや直感に従って、自分のやりたいように、輝きながら生きる」それが尊い人生だと思う
半年間、父と向き合い続けて、心の奥底でずっと抱いていた「自身のありのままの想いを受け入れ、応援してほしい」という願いが伝わり、本当の意味で自身のやりたいこと・歩みたい人生に向かう第一歩を踏み出す、勇気を手に入れることができました。
新卒よりお世話になった総合商社は、2020年11月に退職。今は起業家支援/ベンチャー投資を行う会社に勤めています。
入社を決めた理由は、「ありのままの個性・想いを輝かせることで、個を軸に社会を輝かせていく。そんな循環を、あらゆる方面で作り続けていく」というライフミッションを、人生を通して追いかけてみたいという想いが芽生えたからです。NCSを通して、同じように自分と向き合い続けている仲間たちに助けられながら、何度も自身の囚われと向き合い、「本当にやりたいこと・歩みたい人生」を自身に問いかけ続けたからこそ、そのようなライフミッションが見えてきたのです。
現時点では、「べき論」に縛られている人たちの心を解放し、いつか社会の形をも変えられる人になりたいと。コーチングやカウンセリングという、個人との対話を通じてサポートをする、プラットフォームや社会システムを構築していくといった、あらゆる方法が考えられると思っています。
まずは一つひとつ、できることから実現していけたらと考えており、足元では起業家支援・コーチング・NCSの企画運営等を頑張っていきたいと考えています。
長期的なビジョンを見据えつつも、将来や過去などに囚われ過ぎず、目の前に出てくる一つひとつのことと真剣に向き合い、熱中する。そのように、一瞬一瞬を大切にしながら生きていくことがとても重要だと、改めて強く感じています。
もしも、過去の僕と同じように、世の中の“当たり前”や“正解”、そして周りからの目を気にして、やりたいことを見つけられずにいる人がいたとしたら、「一度きりの自分の人生。自由に自分らしく、イキイキと生きようぜ!」と、共に“イキイキさ”を探求していく、そんな後押しができたらいいなと思います。その方が、絶対に楽しいはずですしね! 最期の時を迎えた時に後悔しないよう、目の前の一瞬一瞬を大切にしながら、一度きりの人生を目一杯生きてほしいと思います。それが何よりも尊いことかなと思うので!
取材:五十嵐大
撮影:十河英三郎
編集:汐先健悟
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