地方の本屋で働きながらファーストキャリアを考えてみた【前編】
みなさん、はじめまして!
SANJO PUBLISHINGでインターン生として働いていた立命館大学4年生の鈴木駿(すずきしゅん)です。先日、SANJO PUBLISHINGの運営母体となる一般社団法人Next Commons Labが行うインターシップ制度を活用し、新潟県三条市に2週間ほど滞在しました。
私がこの場を借りてお伝えするのは社会人になってはじめて就く仕事「ファーストキャリア」についてです。
もともと、私自身が大学卒業後の進路を悩んでいたところからはじまった企画でして、ヒントを探すためにも三条市で活気を出そうと取り組む4名にキャリア観をお聞きしました。
前編では、SANJO PUBLISHINGで働く水澤陽介さんと町田憲治さんのお二人に就職するまでの経緯と今キャリアとして考えていることを伺います。
ファーストキャリアの決断こそ自身が認めること
水澤陽介(みずさわ ようすけ) / ライター・編集者。新潟県生まれ。新卒でシステムエンジニアとして入社。化粧品のベンチャー企業を経て、フリーランスとして7年間沖縄で暮らす。2020年より三条市の地域おこし協力隊に着任。現在、本屋「SANJO PUBLISHING」を立ち上げて制作部門を担当する。
妥協せずに決める
———私自身、大学4年生になってからとくにファーストキャリアについて迷っていまして。水澤さんはどんな就職活動を行いましたか。
水澤陽介(以下、水澤):僕が就職した2000年代は就職氷河期とも呼ばれていて。第一希望の化粧品会社に落ちたものの、最終的には「この会社で働いてみたい」というところに出会えて、直感を信じてシステムエンジニア(SE)としてファーストキャリアをスタートしました。
———第一志望の化粧品会社に落ちてから、他の会社に行くと決断するまでの感情の変化をお聞きしたいです。
水澤:第一志望の会社に落ちてからすぐに活動の幅を持たせるため、静岡や大阪、広島といった当時自分が知らない場所に行って企業説明を受けていました。気分転換を兼ねていましたが、約50社以上のお話を聞いてみて歴史や成り立ちを知ることがとにかく興味深くて。
現地を訪れて地方ならではの企業や働く方から話しを聞くうちに、自分自身が会社でやってみたいと思えるならばいいだろうと思えるようになりました。ただ妥協はしないように、会社を知ることに時間をかけたのが良かった。
———やってみたい。働く前の気持ちと実際に働いてみてのギャップはありましたか。
水澤:まず、「社会人ってこんなにも勉強するんだ」と思いましたね。
インターネットサービスって日進月歩で成長するため、技術についてもまず自分で調べて身につける風土がありました。知らないことは自分でインプットするような、就業時間内で間に合わなかったらそれ以外の時間で勉強するみたいな。だからキャリアもそうで、自分で探して築くものだと思い始めました。
働く概念を変えた出来事
———思い描いたキャリアを進んでいるように感じますが、本人としては順調でしょうか。
水澤:いま振り返ると……キャリアって想像したけど、その通りには行かないことが多かったです。
大学卒業時に、新卒で入った会社から3年で転職しているとは思わなかったし、その5年後には沖縄にいるとは思わなかったので。ただ、鈴木さんには思い描いたキャリアの通りにいかないとダメだとは思わないでほしい。
———キャリア観が変わっていく感覚がありましたか。
水澤:やっぱりね。新卒で入った会社が経営破綻するまでの様子をみるとね。存続させたい社長さん、どんどん組織を離れる社員さん。守りたいものが変わるとみなさんが変わっていきますし、当時会社とはキャリアとは何だろうと考えました。
個人的には長く働いてもいいなと思っていた会社でしたので明日潰れるかもしれない。倒産したらどうしよう。前兆があったものの僕が想像しない方向へと転がっていきましたね。
———倒産を経験すると会社の概念がどう変わりましたか。
水澤:会社を頼ることは大事ですけど、会社ありきになる人生もまた違うなと。だから何かに依存しすぎない働き方がないのかなと探しました。フリーランス(個人事業主)とか。
———沖縄に行ってからフリーランスとして働かれたのですよね。実際に、働き方としてはどうでしたか?
水澤:フリーランスでの働き方は完全に自己責任です。
仕事相手を選べるし時間関係なく働けるけど、僕ができることしか発注されないため、下積みというか伸びるチャンスは会社員時代より少ないと感じました。だからこそ、まだまだ伸びしろがある鈴木さんにような方たちは組織にいることもまた必要だと感じます。
ある意味、ライターや編集者といった仕事でも一緒なのかもしれません。フリーランスは基本、一人だから相談しあう、文章の誤りに対して誰かに赤を入れてもらうことがないので。すべて責任を持って仕事をしたい方には向いているかもしれませんが、ケースバイケースですね。
決断する自分自身を否定しないで
———会社員とフリーランス。どちらも経験した中で、ファーストキャリアで何を大事にすればいいでしょうか。
水澤:ファーストキャリアでどんな仕事を選んだとしても、そこで気づいたことや体験したこと、得たことは人それぞれです。本人にとって無駄は一つもないはずです。
必ずしも正解はないですし、いま考えているキャリアと別の道に進んでもいい。ファーストキャリアで得たことは自分次第でどんな業界であっても生かせると思いますし。
———これまでの選択を総括してどう思われますか。
水澤:素晴らしい選択でしたね。
極端にいえば自分で決めたことだから良いも悪いも自分でしか決められない。辛いこともうれしいことも自分がすべて決めることですから。
———学生たちがこれからのキャリアを築く上で大切なことは何でしょうか。
水澤:キャリアを築く上でやりたいことが決まっていたら逆算してやっていくだけなので、何よりも決断することかな。
当たり前ですが、物事を決断するのってすごく難しい。でも自分にしかできないことと思えば考え方が変わるし、決断するための準備ができている方は強い。
———自分らしい決断するために必要となることは何だと思いますか。
水澤:自分で決断したことを否定しないこと、はじめは上手くいかないことがあるだろうけど。 何事も小さな積み重ねだから、自分自身ができたことを褒めて自分自身を認めることではないでしょうか。
———ありがとうございました。
自分のコンパスは行きたい方向に矢印が向いている
町田憲治(まちだ けんじ)。新潟県生まれ。新潟大学人文学部卒業後、JICA海外協力隊としてエチオピアに約2年間派遣。帰国後新潟県三条市の地域おこし協力隊として本屋SANJO PUBLISHINGの本屋を担当。
「自分くらい違っていい」 新卒でエチオピアに向かう
———年齢が近いですし就職活動のお話を中心に教えてください。いつ頃から開始しましたか。
町田憲治(以下、町田):大学3年生の秋頃にキャリアを考えたとき、企業に入る以外に青年海外協力隊は興味がありました。だから就活中に青年海外協力隊にも応募しました。
応募した地元の新聞社や出版、広告会社などは落ちたものの、青年海外協力隊が受かったので卒業後はそのまま進みましたね。
———例えば浪人してから会社に再就職することは考えませんでしたか。
町田:当時、会社で自分なりの価値を生み出す自信がなかったためか、サラリーマンに対してネガティブな印象を持っていました。だから他の人とは違うことをして、僕なりの価値を見出すほうがいいなと考えて青年海外協力隊を選びました。
給料面では会社に入った方が安定するんでしょうけど、僕は行きたい方向に進んでみようと。
———青年海外協力隊としてエチオピアに行かれたのですよね。現地に行ってみてどうでしたか。
町田:エチオピアでは青年海外協力隊の通常業務を行いながら、会社を辞めたり元公務員の隊員の皆さんからお話を伺う機会をもらいました。お話を聞くうちに、学生時代からの凝り固まっていた価値観や会社で働くことに対してイメージが良くなっていきましたね。
———当時は人生設計のようなビジョンがありましたか?
町田:僕はビジョンを決めるよりは、コンパスが指し示す方向に進むのがあっていると思っています。
コンパスの針ははっきりと見えないけど進んでみる、道中で出会う人やもの、ことに対して判断しながら根を張ってみようかと考えてみたり。ただ、立ち寄っていくかは自分次第ですけどね。
———日本に戻られたこともコンパスの針が示したと。ではエチオピアから戻ってきてみて苦労したことはありますか?
町田:全てですね(笑)
SANJO PUBLISHINGでは本屋担当となって、取引先との交渉やビジネスメール、礼儀とか知らないことばかりで。どんどん学んでいきたいですね。
———社会人として実際に働いてみてどうですか?。
町田:社会人に成りたてだからそう呼べるかは怪しいですが(笑)
どこかのタイミングで試練が来るんじゃないかなと思います、今がそうかもしれませんが。一緒に働く水澤さんはライターで、喫茶部門の米山さんは料理が作れて……自分はまだ何もないから進んでいけるかが不安で心配で、ただどう進んでいけるのかは楽しみです。
「地域に一人、僕みたいな存在がいてもいい」
———いま振り返ってみて、自身のファーストキャリアをどう思いますか。
町田:上手くいったから良かったものの、青年海外協力隊にもし落ちていたらと思うと想像できないですね。だから、きっとご縁というか導きがあったからと思うので後悔はしていないです。むしろ、これまでのキャリアを生かすかどうかは今後の進路次第でもあるので。
あと三条に来てみて、就職後にすぐに海外に行く方がまだまだ少ないので、僕みたいなキャリアを歩む人が地域にいるだけでも大きいなと。海外赴任で苦労したことやエリオピアで経験を伝えられることも役割ですし、行って良かったです。
———もしも昔の自分にアドバイスできるなら何をお伝えますか?
町田:そのままでいい、ですかね。
ただ当時の思いやセンスがあって、自分なりに考えて決めてきたのでアドバイスまでは考えられないですね。逆に、今青年海外協力隊に応募しても受かるかどうか分からないので。
鈴木さんもそのままでいいと思いますね。
編集記
自分の進路を決める前に、社会人の方のキャリア観を伺う貴重な時間になりました。キャリアについて選択肢の幅が広がった気がします。インタビュー受けて下さった皆さんご協力ありがとうございました。
取材・文章 鈴木駿
編集:水澤陽介
ご感想などはメールから[infoアットマークsanjopublishing.com]