自己を実装する
「社会に実装できなければ意味は無い」。
僕の頭にすっと入ってきたこの言葉がこのところずっと頭の隅から離れない。
「好きなことを仕事にする」。この言葉にずっと違和感を持っていた。僕の年代の大半の人は「好きなことを仕事にするものではない」と考えてきたのではないかと思う。それを深く考えないできた頭を、「社会実装」という言葉でぶん殴られた。
好きなことをやるのは良いのだ。しかし仕事なら人の役に立つことでなくてはならない。要するにそういうことなのだ。そして、すでに過去の人達と思われている人々がそれを語り継いできた。人の役に立つということは、好きだということだけで成り立つものではないと言うことを受け継いできたのだろう。
「仕事は社会の問題を解決するものである」という視点を、僕のサラリーマン生活では繰り返し叩き込まれてきた。ただ、中途半端に大きい企業の中で、その精神は薄められ、自由な生き方ができない言い訳として、半ば諦めとして、「好きなことを仕事にするものではない」と観念的に唱えられてきた感もある。
アンチテーゼ的に出てきた「好きを仕事にする」は大事なことが抜けてしまっているのである。違和感の正体はそれだった。
もちろん、好きなことで社会貢献している人はたくさんいる。しかしよく見ると、成功している人には「人の役に立つ」という視点が必ずある。
僕は多分そこをもっと徹底的に考えて、自分を社会に実装しなければならない。
その視点で自分の仕事を作り直してみよう。
この歳になっても何もわかっていない。だからといって何も言えないと言うのは単なる逃げだ。
自分を省みながら人に意見をするのは正直しんどい。それでも口に出しながら結果を出す人を見習って頑張ってみよう。
気合いを入れ直さなければ。