君には届かない言葉を送ろう


あなたには分からないんだよ、と言われた。午後三時過ぎ、コーヒーの不味い喫茶店で。
そんなはずがない、だって僕は、僕たちはずっと一緒に居たじゃないか。
そんなことない、君の気持ちなら僕がいちばんよくわかる!
咄嗟にそう言いたくなったのに、そんな無責任な事は言えなかった。

知らなさすぎたのかもしれない。僕は。
彼女の好きな色、季節、小説のジャンル、短歌、料理、お菓子、場所、動物。思えば僕は何も、どれも知らない。
「……そばにいるから」
そう言うのが精一杯だった。それ以外は言える気がしなかった。
君の目は僕を見てはくれなかった。ずっとその、不味いコーヒーの中の中を見つめていたんだと思う。どこまでもどんよりと、暗い茶色の中を。


程なくして彼女とは会えなくなってしまった。
とうぶん会えないと連絡が来ていた。それでも連絡はできるから。嫌いになったりしてないから。と言われた。会えない理由は教えてくれなかったし、怖くて聞けなかった。嫌いになっていないのに、どうして会えないんだ?そんなことはもちろん言えない。臆病者だと言われたらそこまでになる。
あぁそうだよ、僕は臆病者だ。

今思えば、彼女のことを知ろうとしなかったのも臆病だからかもしれない。知らない部分、気づかない部分を新しく知ってしまうこと、気づくことに怯えていたんだ、きっと。
だからスキもキライも、むかし好きだったものも、今はもう嫌いになったものも、なんにも聞けなかった。知ることが出来なかった。
それよりも目の前のきみが好きなことの方が大事だと思ったんだよ、と言っても、もう自分でも言い訳としか思えなくなってきてしまった。
あなたには分からないんだよ、冷たく突き放したような言葉が今もずっと頭の中を駆け巡っている。好きだよと言ってくれたその口で、きみに出会えて幸せだよと言ってくれたその口で、きみは簡単に僕を突き放してしまったね。

連絡は欠かさず毎日くれた。
今日は大学の友達とパンケーキを食べたよ、今日はずっとネトフリ見てる、バイト行ってくるね、今日も頑張ろうね、
いつもと変わらない連絡をくれた。それが嬉しいようで、僕の心には少しチクチクと痛かった。きみは変わってしまったのに、僕を突き放してきたのに、まるで変わっていないかのように接しないで欲しい。

季節が変わろうとしている。暖かくなったり、また寒くなったり、三寒四温だ。彼女に前この話をした時「七転び八起きだね」と返されたのをふと思い出す。あのころはまだまだ寒かったけれど、もう本当の春が訪れようとしているんだよ。
相変わらずきみはスマホの中から、文字の中から出てこようとはしなかった。もう三週間が経っていた。

そこで僕はひとつ思いついた。
手紙を書こう。
彼女が文字から出てこないのなら、僕も文字になるまでだ。口で言えなかったこの想いは、文字にするしかない。
彼女に手紙を書くのは二回目。三ヶ月前の彼女の誕生日にプレゼントに短い手紙を添えたら、彼女はたいそう喜んでくれた。抱きついて、うれしい、すごく幸せ、って、涙目になりながら言ってくれた。
これを読んだら、この言葉だったら、きみだって。





拝啓、お元気ですか?
気温の変動が大きい季節なので体調を崩していないか心配しています。あったかくして過ごしてね。
僕は相変わらずで、バイトに追われる日々です。あとサークルもぼちぼち……
って、こんなことはいつも話してる内容と変わらないね。
何を先に伝えるか悩んだけれど、先にこれは伝えておこうと思う。
ごめんなさい。
たしかに僕は、君のこと全然知らない。君の気持ちも、考えてることも、ぜんぜん理解出来ていないと思う。それは僕が君のことを知ろうとする努力をしなかったからで、それは本当に、僕が悪かったです。きみは何も悪くないよ。
ただ目の前の君が本当に好きで、その気持ちがあれば、それだけでいいんだと思っていました。でも、それだけじゃ2人で生きていくには弱すぎたよね、ごめんね。考えが甘かったです。
でも僕は本当に君のことが好きです。これからもずっと一緒にいたい。
近いうちに会えないかな。




手紙を出して5日経った後だった。
急に連絡が途絶えた。
前日の夜におやすみなさいを送って、その既読もつかないまま朝を迎え、昼を迎え、また夜になり、前日おやすみなさいを送った時間になった。それの繰り返しが続いている。
今まで丸一日連絡が来ないことなんてなかった。遅くなってもせいぜいアルバイトの時間の5時間くらいだったし、他のことで返信が遅れた時には必ず「遅くなってごめんね」と送ってくれた。
事故に巻き込まれたのかもしれない。はたまた、携帯を壊してしまったのかも。
意図的な無視、という考えを避けるかのように僕にとって都合の良い考えがぽんぽん出てくる。僕って案外ポジティブなのかもしれない。
そう思う現実逃避とは裏腹に授業を受けるそのペンを持った右手は震えていた。

どうしよう。


一度家に行ってみようか?本当に何らかのトラブルの可能性だってあるし、そうじゃなくたって、話せばわかってもらえるはず。
僕の気持ち、分かってもらえるはず!
「元彼の束縛酷くってさ」
「やばいね、それもうストーカーじゃん」
後ろの席の女子の会話が耳に入ってきた。
ストーカー。
……冷静になって考えたら突然家に押しかける行為はストーカーと変わりない。
「さすがにキモすぎるわ、そこまで来たら」
「よね、マジで嫌いになったもん」
嫌われたくない。
嫌われたくない。
嫌われたくない。

なら僕は、どうしたらいい?








考えるのをようやくやめられた、だんだん夏のような鬱陶しい暑さが出てきた頃に、行きつけのモールで彼女と再会した。カフェの前で、どうやら待ち合わせをしているようだった。
髪色を変えても、見た事ない色のリップを付けていても、すぐにわかった。そのミニスカート、そのバッグ。忘れるはずがない。何度探したことか、何度、もう一度会えたらと思ったことか。
胸のざわつきが止まらなかった。このまま声をかけようか、もう一度またやり直して欲しいって、お願いしようか、そしたらまたあの頃みたいにさ、ほらーーー。
そう思ったのも束の間だった。
男がやってきた。知らない男。僕よりも背の低い、小柄な男。
きみとその男はそのまま笑いながらカフェに入ってしまった。そうして、見えなくなった。


「あなたには分からないんだよ」




そうだね、僕はずっと、分からないままだよ。

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