【第284回】小学生時の夢を叶えた本田宗一郎との出会い
HONDA本社の入社式で、私の講演前に社長が挨拶で言った。「ようこそホンダへ。まず言っておきたい。この会社の為にと張り切っている者は、この場ですぐに帰ってもらいたい。
“人”の“為”と書く漢字は“偽物(ニセモノ)”になる。ホンダの技術を全部盗んで、将来は独立するんだ!という野心に燃えた者だけ残ってもらいたい!」。
宗一郎は、いつものように油の付いたつなぎ作業服を着て工場を動き回っていた。新人が社長だと気づかず、「何をポケットに手を突っ込んで歩いてんだよぉ! 転んだら危ねぇだろが!」。
その日のうちに全国のホンダから作業服のポケットが無くなった。白いツナギは汚れが目立てば汚さないように努め、機械本体も綺麗に使うようになる、とも。
私の会社と隣接する都内のHONDA本社ビルは、2030年に新たなビルが完成する。今のビルは、古い民間アパート風にバルコニーが各階に付いている。宗一郎は設計図を見て怒鳴った。「ガラスが割れて通行人に落ちたら危ないだろ。いくら掛かってもいいからバルコニーを追加しろ!」と。
国際線機内での宗一郎氏との会話。
「君たち乗務員はいいねぇ。給料もらいながら世界の空を飛べるから何でも観られるのは羨ましいなぁ! ところで牛の角と耳はどちらが前かね?」。
考えたことも無い私は絶句した。
氏は笑いながら「ミレバ分かるよ。自分の腕時計は何度でも見ているよね。その時計を見ないで描いてみせられるかな?見学の“見る”でなく、観察する眼で“観る”!漫然と“聞く”でなく、その気で“聴く”!意識しないと見えるものも見えないからね」と。
その日以来、同じ飛行機でもファーストクラスVIPやエコノミークラス客との違いをそのつもりで観るようになった。
違うのは大きな運賃差額と座席の快適性や豪華な食事ぐらい。ファーストクラスは欧州便で片道174万円だから、世界的トップクラス著名人の見本市会場だ。その“客前留学”の観察録で【国際線30年で観た成幸者たちの法則】など本を出版するようになり、講演内容の基礎になっている。
1906年、浜松の鍛冶屋の長男で生まれた宗一郎氏に聞いてみた。
「尋常小学生時にライト兄弟の飛行機を見に自転車の三角乗りで出かけ、自分も飛行機を100年以内に作る夢を決意! 戦後に買い出しに行く奥さんの自転車にエンジンを取り付けて“原動機付バイク”発明など、そのバイタリティは凄いですね」
「どうしても二階に昇りたいと強く願うかどうかだね。明確なピンポイント願望であれば、ハシゴか階段かと手段を探す。資格・資金・協力者の手段に目をやると目標と手段の順番を間違える。願望のみに向かって死んでかかれ、呑んでかかれだよ」
良き経営者3条件は“約束を守る・人に好かれる・相手にも儲けさせる”が考動指針だと。
気の毒な人に同情できても、幸せな人を見て心から喜んであげられる人は少ない。それができる人は人望が集まる。
天皇から藍綬褒章授与時に「技術者の正装は真っ白なツナギ」で出席すると言い張った純真で頑固さ。夜明け前が最も暗い! 天才とは努力の別名! デキナイとシナイは別! 「しっている」と「している」は一字違いだが大違い! 有言即行こそが成功への道。まずはやってみなはれ!
1991年84歳で天国へ旅立った9年後に、ホンダ・ビジネスジェット機は初飛行に成功し、世界市場4割の占有率で大躍進中である。夢は叶えるためにある。
『農業経営者』2024年11月号
【著者】黒木安馬(くろきやすま)
高校時に米国留学後、早稲田大学を経てJAL国際線客室乗務員として30年勤務。 世界初の「カラオケ・フライト」や「1万メートル上空・北島三郎機上コンサート」などを実現させる。 千葉の自宅は1300坪の山林を開墾してブール、テニスコート、コンサートホール等を手作りする。 現在、日本成功学会社長として自己啓発や社員教育で講演中。
著書に『ファーストクラスの心配り」、『あなたの人格以上は売れない!』(プレジデント社)、『成「幸」学』(講談社)、『出過ぎる杭は打ちにくい!」 (サンマーク出版)、『面白くなくちゃ人生じゃない!』(ロングセラーズ)、『小説・球磨川』(上下巻・ワニ ブックス)、『雲の上で出会った超一流の仕事の言葉』(あさ出版)などがある。