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【第337回】田端銀座商店

夕飯の買い物に行ってきた。自宅を引っ越し、そう遠くない場所になんでも売っているスーパーもあり不便ではないが、なんとなく馴染み難く不満が募っていた。娘夫婦や孫が同じ建物に住むようになり、孫に受けたい一心で料理することが楽しみになっている。

孫の小学校の社会科見学で近くの商店街で店主にインタビューしてきたという話を聞いて、その商店街に行ってみた。我が家から一番近い小さなスーパーのあるところで、これまでそのスーパーのところまでしか行ったことがなかった。その先に商店街が続いているとは知らなかったのだ。娘によればおでん屋や元は佃煮屋だったという70年も歴史のある漬物屋もあるという。これは行ってみるしかない。

寂れ感は否めないが、確かに昔のような小さな商店が続いている。話に聞いたおでん種を置いたおでん屋。店先に小さなテーブルと椅子が置いてあり、そこでは30℃を超える暑さのなかで子供と父親がおでんの櫛をほおばっている。

さらに件の漬物屋、魚屋も二軒ある。まだ15時過ぎ、これから客が集まりそうな時間帯なのに片方の魚屋は客の少なさに諦め顔で、張り紙を店先に貼って店じまいの準備をしている。交差点を過ぎたもう一軒の魚屋に入ってみるといかにも魚屋らしい威勢の良いおばさんが呼び込みをしている。

中に入ると、いかにも庶民的な品揃えではあるが、確かにそこは魚屋だ。スーパーの鮮魚売り場では塩鮭と最近流行りの塩鯖、それにサーモンとマグロ、タラ、タコ、イカ、そして盛り合わせのお刺身くらいが置いてあればよい方で、煮付を食いたいなどと思う客はほとんど切り捨ててしまっている。

確かに、お客の求める簡単調理志向に合わせるのが商売かもしれないが、不満である。高級スーパーはそうでもないのかもしれないが、そこでは値段もベラボーである。

そして元気なおばちゃんの魚屋には、煮付にしたら美味そうな小ぶりのキンメダイが並んでいるが、1500円で手が出せないし、我が家で魚の煮付を喜ぶのは僕だけで、出しても目が喜んではおらず、その食べたあとも鳥がついばんだ様だ。

「アンタの料理は、『どうだ! 喰え』と押し付けがましく、孫までが顔を伺いながら食べていることにいい加減気が付いたら」などと家人は言う。

我が家のことはこのくらいにして、我が町の商店街も農村も同じなのだとつくづく思う。大きな店があるから小さな個性的なお店が光るのだなどと日頃は言う僕であるが、誰でも個性的な店づくりをできるわけではない。

近隣に大きなスーパーが進出してこなかったから生き延びてきたとも言えるのだが、新住民の僕は細々ながらでも頑張って商売を続けている商店との出会いに感激している。

おでん種を売る店では夏の盛りにも関わらず親子連れが店先でおでんを食べていた。もともと佃煮屋で今では漬物を主な商材とする店では、各地の漬物を並べ、小学生の質問に答えて「昔の佃煮屋というのは今の総菜屋のようなものだったのよ」と説明していたそうで、今も様々な茶色い総菜を並べている。魚屋も、魚だけでなく魚介を加工した珍味を並べていた。挫けずに頑張っているのだ。

これからはこの商店街に通いながら家族に煙たがられようと思う。

『農業経営者』2024年8月号


【著者】昆吉則(コンキチノリ)
『農業経営者』編集長/農業技術通信社 代表取締役社長
1949年、神奈川県生まれ。1973年、東洋大学社会学部卒業後、株式会社新農林社に入社。月刊誌『機械化農業』他の農業出版編集に従事。
1984年、新農林社退社後、農業技術通信社を創業し、1987年、株式会社農業技術通信社設立。1993年、日本初の農業ビジネス誌『季刊農業経営者』創刊(95 年隔月刊化、98 年月刊化)する。
現在まで、山形県農業担い手支援センター派遣専門家(2004年〜現在)、内閣府規制改革・民間開放推進会議農業WG 専門委員(2006年)、内閣府規制改革会議農林水産業タスクフォース農業専門委員(2008年)、農業ビジネスプランコンテスト「A-1 グランプリ」発起人(2009年)、内閣府行政刷新会議規制・ 制度改革分科会農業WG専門委員(2010年)を務める。

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