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【第238回】巨額損失だけではない幹部流出相次ぐ農林中金

読者から、農林中金の内部資料が筆者のもとへ郵便で届けられた。差出人不明だが、察しは付く。農林中金が作成した資料であることは間違いない。


同封の資料は、次の5点。文書のプロフィールや作成目的などを簡単に紹介しておく。

(1)「2023年度の決算・業務実績について」(2024年5月)

(2)別紙2「(参考)2023年度の金庫決算概要にかかる説明資料【JA理事会・経営管理委員会等における説明用】」、別紙3「(参考)2023年度の金庫決算概要にかかる手元資料」、別紙4「(参考)2023年度の金庫決算概要にかかる手元資料」

(3)別紙5‐1「想定問答集(JA店舗管理者用・2024年5月22日時点)」、別紙5‐1「想定問答集(JA窓口・渉外等職員用・2024年5月22日時点)」

(4)「期限付き劣後ローンにかかる募集要項」(2024年5月)

(5)「弊金庫の2024年度資本再構築にかかるご協力のお願い」(農林中央金庫)

踏んでも踏んでも付いてくる下駄の雪

(1)「2023年度の決算・業務実績について」は、5月22日の連結決算公表でリリースした「2023年度決算概要説明資料」と同じ体裁だが、中身は違う。決算概要説明資料は、投資家保護の観点から作成されるが、この資料は違う。決算のアウトラインを示しつつも、出資者に向けて巨額の評価損を出すに至った本当の事情の説明がない。ただ、農林中金の弁解のようなものを記載しているだけだ。後で説明する農協などへに増資協力を求めるのに、農林中金にとって都合のよいことを並べてきたということである。

(2)の別紙2から同4までの一連の資料は、「JA理事会・経営管理委員会等の会議体における活用を想定」との記載があるように、JAの理事や経営管理委員に向けて作成したものだ。複数のバージョンになったのは、農林中金の混乱を如実に示すものだ。巨額の評価損を出すに至った原因の記述は次の通り。

「依然として高水準にある海外長期金利を主因に、2024年3月末時点で約1.77兆円の評価損を計上」(別紙2)

農協など出資者への説明であるなら、巨額の評価損を出すに至った事情を丁寧に説明すべきだが、肝心なことを何も伝えないというのは、出資者軽視というか、出資者を愚弄しているようなものである。

別紙3、評価損を出すに至った原因についての想定問答はなし。

別紙4では「なぜ評価損が発生しているのか」の想定問を用意し、次のような回答案を示している。

米国債運用に伴う巨額の評価損は、米国金利上昇が原因なので、農林中金にとっては、もらい事故というか、不可抗力のようなものだったという印象をJAの理事や経営管理委員などに擦り込もうとしている。これは農協など出資者から総額1.2兆円規模の巨額増資の協力を取り付けるためであることは、もはや説明の必要はあるまい。

(3)「想定問答集(JA店舗管理者用)」は、JAの店舗を訪れてくる一般組合員向けに作成したものである。(2)の説明資料を簡約化した内容だ。

(4)と(5)の文書は、一連の資料でもっとも重要なものだ。巨額損失に伴う増資や劣後ローンの協力を求めるために配布されたものだ。今回の劣後ローンは、一応、農協などでも「資本提供余力のある」ことが条件で募集する。新聞報道によると、5000億円が目標だ。一方の劣後ローン増資は、5月22日付け毎日新聞が、農林中金の決算発表の席上、増資規模について質問を受けた奥和登理事長が、「1兆2000億円」と答えている。

農林中金らしいのは、これら資本増強が総代会(6月21日)で正式に了承されていないのに、各農協などに具体的な数字を書き込んだ文書を配布したことだ。農林中金にとって農協は、運用失敗で巨額損失を出したときに尻拭いをしてくれるATM(現金自動預払機)か、無理難題を押しつけても決して逃げていかないところから、「踏まれても踏まれてもついて行きます下駄の雪」程度にしか思っていないのではないだろうか。

名前が消えたポートフォリオ責任者


今回の巨額損失は、類例をみない大失態である。ディスクロージャー誌を手がかりに現場責任者を捜してみた。毎年7月1日現在の「役員の一覧」があり、担務の記載もある。とりあえず巨額損失の出発点となった20年度版からチェックを始めた。

理事で資産運用の責任者は2人。いずれも常務執行役員だ。ひとりは喜田昌和氏(92年農林中金入り)で、もうひとりは湯田博氏(89年同)だ。両氏とも「グローバル・インベストメンツ本部副本部長」の肩書きで、担務は、喜田氏が「債券投資部、株式投資部、市場業務マネジメント部」、一方の湯田氏は「クレジット投資部、オルタナティブ投資部、プロジェェクトファイナンス部、投資契約部」である。

問題の有価証券ポートフォリオ作成の責任者は、喜田氏だ。その後の喜田氏の動静に興味があったので、何気に翌21年版ディスクロージャー誌をチェックしてみたら、「役員の一覧」(同7月1日現在)から、なんと喜田氏の名前が消えていた。

喜田氏は、21年5月31日に公庫を退職していたのである。翌6月1日付けで政府が設立した大学ファンド「国立研究開発法人科学技術振興機構」(JST)の運用担当理事に転職していた。農林中金で常務執行役員に選ばれて2年ちょっとでの転職だった。

1968年生まれの喜田氏は、京都大学経済学部を卒業してすぐ農林中金に入ったプロパーの人材。転職時は53歳だった。早期退職になる。人材の流動が激しい金融やIT業界では、定年を待たず途中退社や、途中入社は珍しくはない。喜田氏のようなキャリアの持ち主なら、引く手あまただったことは想像に難くない。

喜田氏の行動は、キャリアアップという見方があれば、“沈没船の鼠”という見方もできる。後者は、巨額の損失を出す前、組織内部で責任が問われるのを避けるための対応措置だった、という意味である。どちらが正しいか。喜田氏の心の奥底に分け入ってみないと分からないし、そのどちらでもない事情があるのかもしれない。

不思議なことを発見した。大学ファンドJSTがホームページにアップしている経歴書のことだ。そこには、喜田氏が農林中金に入ってから部長代理以上の役職に就いた経歴が、詳細に記載されているのに、なぜか農林中金では最後のポストとなった「グローバル・インベストメンツ本部副本部長」の記載がない。単なる記載忘れでないことは、同副本部長に就いた19年4月、常務執行役員に昇格したことの記載はしっかりとあることで確認できる。

有価証券ポートフォリオは、喜田氏が独断専行で決めたものではない。当然、役員会などでの合議で決めたものである。20年時点なら、喜田氏の直属の上司は、当時理事専務で同本部長の新分敬人氏だった。その上は、奥和登理事長になる。新分氏は、喜田氏が退職する3か月前の同2月25日に、農林中金が大株主のJA三井リース社長に転出されている。

そしてトップである奥理事長の責任の取り方だ。6月21日の総代会に、この4月に遡って報酬を3割減額することを提案、認められた。2兆円に近い巨額損失を出した金融機関のトップとして、これで責任を取ったと誰が言えようか。株主の目が厳しい3メガ・バンクで、こんなことは絶対に起こり得ないことだ。

喜田氏が、有価証券ポートフォリオ作成の現場責任者として取り組んだのは、決算年度ベースでは、19年度と20年度だ。その時点でのポートフォリオのポイントは、(1)将来のインフレ・金利高を見込んでいたか、(2)コロナ対策の財政資金が株式市場に流入して株高になるのを見込んでいたか、の2点だ。

農林中金のように米国債を中心にポートフォリオを組んだ場合、最大の注目点は、金利の動向である。金利の先行指標は物価。物価の動向を追えば、ポートフォリオが目論見通りに着地するかどうかがつかめる。コロナ禍の20年から直近に至るまでの米国コア消費者物価指数(CPI)の推移をグラフにしてみた。

米国 コア消費者物価指数の推移(前年比%)

何よりも注目すべきは、喜田氏が農林中金を退職した21年5月発表のCPI。それまでは、同1%台半ばの上昇ぶりだったのに、蛇が鎌首をもたげるように、前年比で3%も上昇した。ほどなく同4%を超え、22年2月には同6%となった。これに伴い米連邦準備制度理事会(FRB)は、22年3月にゼロ金利を解除、その後、インフレ対策で金利を上げていく。

プロなら、ここで誰しもやばいと思ったはず。すぐ巨額の損失が脳裏に浮かんだことは容易に想像できる。筆者が、喜田氏の立場だったら、損失問題が表面化する前に、職場を去る決心をする。

次期トップ「大本命」がなぜか突然退任

昨年2月22日付けプレスリリースでおやっと思う人事があった。理事兼常務執行役員の伊藤良弘氏が同3月31日付けで辞任することだ。役員一覧では「最高財務責任者(CFO)・最高コーポレートトランスフォーメーション責任者」という担務が紹介されている。24年1月5日付け文藝春秋電子版は「農林中金の次期トップ『大本命』が突如退任したのはなぜか」で伊藤氏を取り上げている。

伊藤氏が理事に就くのが、21年4月。役員任期は3年。任期を1年残しての辞任だ。退任時の年齢は56歳だった。辞任後の身の振り方などについての情報は外部に何も漏れてこない。

経営方針をめぐり奥理事長と深刻な意見の相違や路線の対立でもあったのか。あるいは一身上の理由によるものか。農林中金という組織が、巨額損失以外に、相当厄介な問題を抱えていることが、何となく想像できる。

農林中金は、6月21日開いた総代会で、奥理事長ら7人の理事再任と、奥理事長の報酬について4月に遡って3割減額することを決めた。総代会は、一般企業の株主総会に相当。農協など出資者の代表が参加する。同日付けブルームバーグは、総代会の所要時間は午前10時半から1時間半程度、参加者数、質問人数などの詳細を農林中金に質問したところ、回答はもらえずと伝えている。

その総代会の翌日、長野県農協中央会・各連合会の神農佳人会長が、6月22日の記者会見で、農林中金が要請している増資要請にいち早く応じることを明言した。増資要請に向けた農林中金の総代会工作は上首尾に終わった。奥理事長以下、経営陣は安堵したに違いない。マーケット感覚からすると、これはあまりにも異常すぎる。たとえ総代(株主)を説得できても、組合員(顧客)を説得できたかという問題が残るからだ。

……………………

農協などに配布した「想定問答集(JA窓口・渉外等職員用)」には、組合員からの「私の貯金は大丈夫か」「貯金の全額/一部を現金で引き出したい」という「想定問」がある。巨額損失の本当の原因も説明せず、経営トップが形ばかりの責任をとるポーズを示すだけで、巨額損失の尻拭いを農協などに押しつけていたら、それこそ、この想定問が現実になる日がやってくるかもしれない。

『農業経営者』2024年8月号


【著者】土門 剛(どもん たけし)
農業評論家
1947年大阪市生まれ。早稲田大学大学院法学研究科中退。
農業や農協問題について規制緩和と国際化の視点からの論文を多数執筆している。
主な著書に、『農協が倒産する日』(東洋経済新報社)、『穀物メジャー』(共著/家の光協会)、「東京をどうする、日本をどうする」(通産省八幡和男氏共著/講談社)、『新食糧法で日本のお米はこう変わる』(東洋経済新報社)など。
会員制メールマガジン「アグロマネーニュース」も発行している。

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