【第339回】ポリティカル・コレクトネス
僕はいわゆる良識派と呼ばれる人には属さないだろう。それでも、自分では概ね平凡で常識的な生き方をしていると思っている。
この雑誌を創刊した30年くらい前、農業を語る多くの人々に比べ異端あるいは過激だと言われた。
しかしどうであろう。かつて本誌が主張していたようなことは今の農業界では当たり前の議論になっている。
以前にも書いたが、『農業経営者』というタイトルそのものがケシカランと農業団体職員から怒られたことがあった。
彼曰く「農業経営者と称する輩は周りのことを考えずに自分勝手に規模拡大をする者たちのことだ」と。
でも、僕をそう言って非難した人が属する団体が発行するメディアでも「農業経営者」を当たり前に使っている。
そもそも水利をはじめ、地域社会の縛りの中で経営せざるを得ない農業経営者たちが地域の人々やしきたりを無視して経営を続けることなどできるわけもない。
そんな僕が、いちいち気に障る言葉が世の中に氾濫している。僅かなことで癇癪を起こすいわゆる老人切れ症状もグッとこらえて飲み込んではいるが、メディアや識者と呼ばれる人たちが口にする言葉、例えばいわゆるポリティカル・コレクトネスだなんてものに類する言葉やそれを“強要”する世間の動きにつくづくうんざりさせられている。
コンプライアンスだなんていう言葉を聞くと反射的に身構えてしまう。もともといわゆる放送禁止用語の類を日常的に使う癖のあった者としてはナントカハラスメントだとか言われて身をすくめ、「性の多様性」などと言って殊更に「差別だ」「人権だ」などと声高に叫ぶ人々への違和感も強い。昔からそうした友人もいて、彼のそうした性向を知っても「そうなんだ」で済んでいたのに。
それを殊更に際立たせなくてもよかろうに。そう考える僕は時代遅れなのだろうか。
声高に「正義」を語る人々を見ると白々しい思いにかられる。若かりし頃の幼稚で無知な己の姿を思い起こさせられる恥ずかしさも含めて。
農業界にもそんな輩も少なくない。単に己の商売に資するために基準に従って農薬を使う農業をする人やその農産物をあたかも安全でないかのように中傷する有機農産物生産者やバイヤーたち。
そこにマーケットがあるからと殊更安全を語らずに素晴らしい有機農産物を育てる農家がいることを知っていればこそ、「正義」のイデオロギー化した有機農業論者に腹が立つ。
そもそもファッション化したオーガニックブームも白々しいのであるが、それが国の農業政策にまでなってしまっているのも腹立たしく、それがやはり流行りの「環境保全型」農業だなんて言われるとますます訳が分からなくなってくる。
「ホリドール(パラチオン)を使うから川に入るな」なんて先生に注意され、以前は歩くと踏み付けるほどいたダボハゼが川からいなくなった経験をしている世代の者としては、その後の農薬科学の進化や法的規制、さらに農家民度の向上を知るにつけ「正義の人々」の存在を悲しく思う。
殊更にコンプライアンス順守あるいはポリティカル・コレクトネスを語る風潮とは、言葉に支配される精神の退廃をもたらすことはないのだろうか。
『農業経営者』2024年11月号
【著者】昆吉則(コンキチノリ)
『農業経営者』編集長/農業技術通信社 代表取締役社長
1949年、神奈川県生まれ。1973年、東洋大学社会学部卒業後、株式会社新農林社に入社。月刊誌『機械化農業』他の農業出版編集に従事。
1984年、新農林社退社後、農業技術通信社を創業し、1987年、株式会社農業技術通信社設立。1993年、日本初の農業ビジネス誌『季刊農業経営者』創刊(95 年隔月刊化、98 年月刊化)する。
現在まで、山形県農業担い手支援センター派遣専門家(2004年〜現在)、内閣府規制改革・民間開放推進会議農業WG 専門委員(2006年)、内閣府規制改革会議農林水産業タスクフォース農業専門委員(2008年)、農業ビジネスプランコンテスト「A-1 グランプリ」発起人(2009年)、内閣府行政刷新会議規制・ 制度改革分科会農業WG専門委員(2010年)を務める。