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新エースと若手投手の登場
2002年、千葉ロッテマリーンズは投手陣に大きな穴が開く緊急事態となりました。
それもそのはずで、昨年前半のオールスターまで11勝をあげていた魂のエースであるジョニーこと黒木投手がオールスター後肩の故障により戦線離脱をしてしまいました。ジョニーの故障は重症であり、2002年は復帰できません。
キャンプ時にローテーションとして投げられる布陣は外国人投手のミンチーと安定感に欠ける加藤康介投手しかいませんでした。
そんな中、山本監督は前年に中継ぎで投げていた清水直行投手を先発ローテーションに加える決断をしました。
これで何とか先発は3本揃えましたが、あと2人は持ち回りで回しました。
シーズンが開幕し、マリーンズは開幕11連敗という絶望的なスタートをしてしまいます。
投手は踏ん張れず、打線は貧打で連敗をしました。
マリーンズの傾向は開幕からのスタートが良いと「マリーンズ旋風」として他球団のスタートダッシュを防ぎ5月までAクラスになりますが、逆に開幕連敗スタートになるとそのシーズンは確実にBクラスになるといったものでした。
11連敗が止まると投手陣に踏ん張りがでてきました。
そんな中ミンチーよりも球威がある清水投手は勝ち星がつきはじめます。
しかし、清水投手は球威はあって球種もある程度は持っていたのですが、ストレートの回転が良すぎて「球が軽い」という弱点があり、本塁打を打たれるシーンが多く見られました。
それでも先発ローテーションを守り安定した登板をするようになり、新たなるマリーンズのエースへと成長していきました。
そしてもう1人、山本監督は若手投手を一軍に昇格させます。その若手は小林宏之投手でした。
先発ローテーションが不在だったので先発起用してもよかったのですが、彼には経験というものが全くありませんでした。
今まで二軍で投げていたため、一軍の打者相手との対戦経験が不足していました。なので小林投手は中継ぎでまず経験を積ませる判断をしました。
このシーズンは開幕11連敗から始まりましたが、7月以降は5割前後の勝率で勝ち始め、9月以降遅いのですが借金を取り戻しましたが、結果4位とBクラスと上位には食い込めませんでした。
しかし、マリーンズは新たなるエースとなった清水投手は14勝、若手の将来先発を任せようとする投手である小林投手は中継ぎながら7勝をあげるなど新たなる投手の登場に次のシーズンに向け期待をもたせるシーズンとなりました。