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マリーンズの安打製造機

2001年千葉ロッテマリーンズはBクラスでしてがいいこともありました。 

2000年まで首位打者は7年連続でイチロー選手が獲得していました。そのイチロー選手がシアトル・マリナーズに移籍し誰が首位打者になるのか注目されました。

2001年はマリーンズの福浦和也選手が首位打者のタイトルを獲得しました。

福浦和也-1

福浦選手は1993年ドラフト下位で地元の千葉の習志野高校から指名されました。1992年にロッテオリオンズから千葉ロッテマリーンズに移転してピンクユニフォームを来てプレイした最後の選手です。

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ドラフトされた時の背番号は70番で投手として登録されていました。しかし二軍の練習の時に左肩を怪我してしまい打者に転向しました。

1999年に一軍に上がり、背番号も9に昇格し、固定されましたが苦労もありました。

2000年に巨人から石井浩郎選手が移籍してくると一塁のレギュラー争いがあり、石井選手が一塁になりました。指名打者もボーリックがいたため福浦選手は外野のライトの守備につくことになりました。

翌2001年は石井選手が怪我がちだったこともあり、福浦選手に一塁守備のチャンスが回ってきました。福浦選手は見事にチャンスをものにし3番ファーストのレギュラーとして完全に固定されました。それに伴い打撃も向上していきました。

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どことなくイチロー選手と構えが似ていますね。

ただ福浦選手は足が早くないので「足の遅いイチロー選手」といったところでしょうか。

打撃は引っ張りがほとんどで本塁打も少ないのですが、二塁打が多くタイムリーヒットが多いです。

2001年一年間3番ファーストでプレイした結果、.346で見事に首位打者のタイトルを獲得しました。

この年から6年連続で3番打者として打率3割のアベレージヒッターとしてクリーンアップを任されるようになりました。

以降もアベレージヒッターとしてチャンスメイクやタイムリーヒッターとしてマリーンズ打線には貴重な選手にまで成長していきました。

「福浦~2001夏はお前の季節。焼けつく太陽がお前を呼んでいる~」

「俺らは叫ぶ~打て福浦(打て福浦~)潮風受けて打て福浦打て福浦~お前は季節」

代表的な応援歌です。

こうして福浦選手は「千葉の安打製造機」として名をはせるのでした。


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