NBAチーム紹介 スターが集う名門
アメリカプロバスケットボールの代表的なチーム。前回は「伝統ある古豪」という記事でボストンセルティックスを紹介しましたが、今回はロサンゼルスレイカーズについて書きたいと思います。
レイカーズは1948年に創設されました。
チーム名の由来は、元々はミネアポリスに誕生し、周りに湖が沢山あったことから「LAKE」でレイカーズとなりました。
1948-50年代
レイカーズは初年度から幸運が訪れます。
センターのジョージマイカンを獲得しします。
マイカンは当時としては小柄なセンターでしたが、攻守にわたりゲームを支配します。
ジョージマイカン。メガネがトレードマークの絶対的センターです。
マイカンの活躍により初年度にしてレイカーズは優勝しました。創設1年での優勝は米4大スポーツでも破られていない記録です。
翌年も優勝し、NBA史上初の連覇を達成しました。
1952-54まではやはりマイカンは絶対的センターとして君臨し、初の3連覇を成し遂げました。
1960年代
レイカーズはフランチャイズをロサンゼルスに移転します。
この年代はボストンセルティックスの王朝時代でした。
点取り屋のエルジンベイラー、コンボガードでNBAのロゴマークのモデルであるジェリーウエストが加入しても60年代後半に攻撃的センターのウィルトチェンバレンを擁してもセルティックスの守護神センターであるビルラッセルの前にファイナルに5回進出したものの全て敗北しています。
点取り屋フォワードのエルジンベイラー
NBAのロゴマークのモデルのジェリーウエスト
超攻撃的センターのウィルトチェンバレン
1970年代
ビルラッセルが引退し、レイカーズは1972年のレギュラーシーズンに未だに破られていない33連勝をし、最高勝利69勝13敗を記録します。
プレイオフでも圧倒的な強さで久々の優勝をしました。
以降、ベイラーやウエスト、チェンバレンが引退すると、センターに穴が空いてしまいました。
そこでレイカーズはトレードで若き絶対的センターのカリームアブドゥルジャバーを獲得しました。
生きる伝説 カリームアブドゥルジャバー
しかし、センターの補強には成功したものの、優勝には程遠いチームでした。
1979年のドラフトでコイントスにより1位指名権を得たレイカーズはミシガン州立大のスターを獲得します。
アーヴィンマジックジョンソンです。
彼は206cmのガードで当時206cmのガードというのは珍しい選手でした。
1980年代
マジックはルーキーながらポイントガードとしてスタメンの座を得ると、マジックとジャバーのデュオで一気に勝率をアップさせます。
プレイオフも勝ち上がりファイナルに進出します。しかし、第5戦でジャバーが怪我で欠場してしまいます。そこで第6戦マジックはセンターとしてプレイし驚異的な活躍によりレイカーズは優勝し、マジックはルーキーながらファイナルMVPを受賞しました。
1982年、またしてもドラフトで幸運にも1位指名権を得ます。レイカーズはフォワードのジェームスウォージーを獲得します。
LAエクスプレスのジェームスウォージー
その後もぬかりなく補強をしたレイカーズは
マジックを中心とした速攻やアップテンポなチームへと変貌していきます。
パスの魔術師 マジックジョンソン
80年代は実にファイナル進出8度、優勝5回と黄金時代を築き上げ、88年には19年ぶりに連覇を成し遂げました。
1990年代
ジャバー引退後もチームは好調を維持し、91年には下馬評を覆してファイナルに進出しますが、怪我人も出たことによりマイケルジョーダン擁するシカゴブルズに敗北します。
91-92シーズン。レイカーズに衝撃が走ります。マジックが健康上の理由で引退を余儀なくされます。
マジックが突然抜けたことによりチームは混乱、低迷していきます。
1996年、サラリーキャップを大きく空けていたレイカーズは大物センターと将来性ある高卒ガード、ドラフトで控えポイントガードを狙いにいきます。
怪物センター「シャック」ことシャキールオニールと将来性豊かなコービーブライアントをフリーエージェントとトレードで獲得に成功します。
ドラフト下位の掘り出し物デレックフィッシャー。のちにコービの良きメンターになります。
1996-97シーズン、シャックは評判通りの活躍で、コービはルーキーは控えでしたが、2年目には控えながら平均得点を倍増させ、3年目には先発に昇格します。こうしてレイカーズは優勝にむけて上昇していきました。
2000年代
シャックとコービのデュオが強くなったものの更なる補強をします。一番の補強はHCにフィルジャクソンの招へいでした。
その他シューターやロールプレイヤーを補強し本格的に優勝を目指す環境が整いました。
ジャクソンHCはブルズ時代にやっていた「トライアングルオフェンス」をレイカーズに浸透させます。難しいシステムのためコート上で教えられる選手を連れてきました。
ロンハーパーです。3年間ブルズでプレイしていたのでレイカーズのオフェンスは良くなっていきました。
2000から2002年までレイカーズは圧倒的な強さで勝ち、ファイナルにも進出し3連覇を成し遂げました。
2003年は4連覇を目指していましたが、プレイオフで敗れ、オフに王座奪回すべく大補強に動きます。
オールスター経験者のパワーフォワードのカールマローンとガードのゲイリーペイトンを獲得し、「DREAM LAKERS」を結成しました。
このシーズン順当に勝ち、プレイオフも勝ち上がりファイナルに進出しますが、マローンを怪我で欠き、シャックは抑えられ敗北します。この頃からシャックとコービの確執が噂になり、2人とも25点以上の平均得点をあげていることからエースはどちらかというものです。
フロントは若いコービを残し、シャックをトレードし1年で「DREAM LAKERS」は解体します。
2005年も前年同様の成績を残しますが、プレイオフで惨敗し、フィルジャクソンHCは退団しました。
センターを失ったレイカーズはこのオフのドラフトでセンターの高卒選手であるアンドリューバイナムを指名し穴を埋めます。しかし、パワーフォワードも穴が空いており、バイナムは少しずつ成長していきますが、インサイドに不安があり成績も落としていきました。
2007年、フロントは再びフィルジャクソンにHCに就いてもらうよう頼みジャクソンは承諾します。そしてシーズン途中に念願のパワーフォワードでスター選手のパウガソルを獲得します。
そしてレイカーズはファイナルに進出しますが、セルティックスに敗北します。
2009年、2010年レイカーズは再びファイナルに進出し2連覇を達成し、セルティックスに雪辱を果たしました。
2000年代はファイナルに7回進出し5回優勝し、コービ自身5度目の優勝を果たしました。
2010年代
3連覇を目指して成績も前年同様の勝ち星をあげますが、プレイオフで敗北しジャクソンHCは辞任します。そしてシーズンが終わるとバイナムは他チームへと移籍していきました。
2012年、王座奪回のためにスターガードのスティーブナッシュとセンターのドワイトハワードを獲得し、スーパーチームをつくりあげます。
しかしHC交代によるオフェンスシステムの変更によりハワードは馴染めず、ナッシュは怪我での欠場が多くまたしても1年で解体となりました。
2013年以降、ついにコービ自身にも怪我がつきまとうようになり、一気に成績も落ちプレイオフも逃し低迷期を迎えます。
以降ドラフトロッタリーで有望な選手を獲得しますが、コービは年齢も重なり怪我がちとなり
ついに2016年シーズン終了後にコービは引退をしました。
若手中心となったレイカーズ。有望な選手を抱えているもののなかなか勝ち星にめぐまれませんでした。そしてレイカーズはサラリーキャップを大きく空けていきます。
2018年、市場最高のオールラウンダーであるレブロンジェームズの獲得に成功します。
レブロンがレイカーズにやってきました。
ここから先は
¥ 100
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?