日本語教育で見つけた情熱
今年1月、突然、勤務していた専門学校を辞めた。
理由は幾つかあったが自分の軽率な行動が上長の目に留まったこと。Twitterが身バレしてしまったこと。そこで専門学校で起こる様々な事をツイートしていた私に上長は反省を求めた。
2015年私は8年半勤務した会社を辞め、日本語学校に入った。日本語教師へ転身。同時に日本語教室で知り合っていたベトナム人女性と結婚もした。広島県東部の町で2人、新たな門出を家族・親戚・旧友などが祝ってくれた。3年半は下積み期間として教案作成に4時に起床したり、慣れない授業、試験作成、学校行事の計画実施など頑張った。留学生も中国、ベトナム、ミャンマーなど国際色豊かな職場で刺激があった。
そこで会社員だった頃とは違い、視野が広がっていく。
留学生が日本にやって来る理由や背景。2008年に留学生30万人計画が出されたこと。留学生は1週間に28時間以内で資格外活動としてアルバイトが出来る事。入国管理局との関係性など自分にとって新たな知見だった。そうしていくと日本国が置かれている現状や課題までが浮き彫りに見えて来た。
面白い。
遣り甲斐を感じながら2019年春、市内の専門学校に日本語学科の教務主任の求人を見つけて応募、合格し入った。その1年前からTwitterも始め、国内、海外の各地で働く日本語教師と繋がり交流もしていた。次第に多くの課題は情熱に変わっていき熱い想いが原動力になっていくのが分かった。それまで情熱という言葉や意味さえも知らなかった自分が初めて熱くなれるものを見つけられたようで嬉しかった。
日本語教育は国を救う仕事だ。
様々な背景を持った日本語学習者への日本語教育を通し、学習者の成長も間近で見られ、彼らの多くが日本で就労し日本社会を支える。日本人の多くがコンビニ弁当を美味しく食べられるのは弁当工場で働く外国人留学生がいるからだ。留学生が居ないと工場が回らない現状を知った。
人手不足解消には外国人労働者を雇い入れ多文化社会を構築しよう。
賛否があるかもしれないが私はそう思う。何が問題なんだろう?とさえ思う。国際化、グローバル化、日本だけが鎖国をし世界から取り残された孤島となりたいのか、様々な背景を人を受け入れ多文化、多様性社会を作りたいのか・・。答えは一択だ‼ 後戻りなんて出来ない。
技能実習生への日本語教育や彼等が置かれた多くの課題。新設された特定技能ビザの事。日本語教育を取り巻く現状は単にアニメなどポップカルチャーに憧れ日本語を学ぶ人達ばかりでない事を教えてくれた。
2023年3月、宅配屋になる。
悔いは無いが、どうしてもオカシイ。自分が生涯宅配屋の仕事をするかといったらNOだ。体力的にも50代までが限度だと思っている。その後どうするか今は未定だが、個人事業主として自分に何か出来ないか模索しながらやっていきたい。海外移住も気になるところ。異文化カフェを開業し国籍関係なく人が交流出来る場を設けるのも一つの夢だ。資金が要るからこれからは貯金もしていこうとも思っている。
8年半続けた日本語教師(の仕事)は成功だった。
ツイートもしたが、ここで何が成功か一々定義はしない。教案作成、慣れない授業、学生対応など苦労を苦労と思わず逆に「楽」、「嬉」が多かった。多くの先生方と繋がれたこともあるがそれ以上に学習者との出会いで人生が豊かになったからだ。45歳。これから自分が何をやっていきたいのか何が出来るのか。いい嫁さんを見つけたいというのもある(ベトナム人女性とは別れたから)。
宅配の仕事は素で出来る。情熱は要らない。
私は言葉と人に情熱を持っている。情熱に従い生きれば良かったと後悔する高齢者が居る事をTikTokで視聴した。凄く心に残っている。今は宅配業で素で仕事をしているが又、自分の情熱を感じられる環境に身を置く可能性もある。日々楽しく過ごせるかどうかは自分の情熱を多くの人に影響を与えられるかどうかでも決まる。
落ちた自分は見たくない。只、学ぶことは止めないで‼
学びながら楽しみながら過ごしていこう(^^)/
ありがとう。