大好きな後輩の話
コロナウイルスのせいで、好きな人達と会うことができなくなったことで、会社の同僚のようなわざわざ連絡をするほどではないんだけど、会ったらちょっと話して刺激を受けたり癒されたりする人との触れ合いがないのが寂しい。
まさにそんな存在の会社の後輩のこと。
彼は昨年4月に新入社員として自分の下に配属された部下(?)後輩。半年間がっつりコンビを組んでやってきた。半年後、私は部署異動となり彼は独り立ちを余儀なくされた。そのあとは引き継ぎ係として、話し相手として、飲み仲間として、なんだかんだ1年間ほぼ毎日関わり続けていた。病める時も健やかなるときも、特に最初の半年間は毎日隣に彼がいた。最初は母のような気持だったけど、途中からはパートナー?バディ?のような存在。(そう書くと、ちょっと色恋話っぽく聞こえそうなので、誤解のないよう)
10歳年下の育った環境も文化も年代も離れた彼から、私は多くのことを学んだ。
生意気なやつだった。今もなめられている。そして、世話にもなった。泥酔した私のハンドルが切れそうなほど重いハンドバッグをいつも持ってくれた。でもどんな時も、素直でまっすぐな子だった。
横で先輩がくすぶっている様子は、部下でもさすがに分かっていたと思う。でもどんな時も、ついてきてくれた。何度も反抗はされた。納得のいっていない顔をされた。だから気を遣った。でも、なんだかんだついてきてくれた。先輩がうまくいかないことが続いているときは、「一緒に頑張りましょう」と言ってくれた。当時は、一緒に頑張りましょうだなんて、お前はどの立場だ、生意気なと思っていた。
改めて考えてみるとそれは、彼なりの困難の乗り越え方なのかなと思うようになった。人のせいにしない。自分で何かしら努力をして乗り越えるというのが彼のやり方。
わたしはどちらかというと、人のせいにしがち。これは私の力だけではどうにもならないことだから、もうしょうがない、と思い、別の方向へ逸らしたり、表面だけを解決することで、切り抜けていた。これでは、つらい状況や悩みを切り抜けてはいるものの根本的な解決にはなっていない。
彼ならきっと、自分で解決できることが限られているようなことだったとしても、「努力します。頑張ります」と言っている気がする。
一度、仕事もプライベートも環境の変化が多すぎたストレスなのか、脱毛症らしき症状が出たことがあった。横で打ち合わせをしててもぼろぼろ髪の毛が抜けていく。隣でご飯食べているだけでも結構抜けていて、彼も私の体の変化に気づいていた。
私「忙しくて不規則な生活を送っているから髪の毛ぬけちゃうわ」
彼「一緒に抜けない努力しましょう!」
言われたときは若干イラっとした。抜けない努力ってなんだ!?こちとら抜けたくて髪の毛抜ける生活してるわけではないっ!と思ってたが、じわじわと染み込んできた。毛が抜けるようになったのは、仕事のせいだ、家庭のせいだ、と人のせいにしまくっていた私。実際じゃあ抜けない努力って、なんんだ?健康的な生活を送る努力とか、自分で仕事をもっと効率的にやる努力?特に病気なんかは自分の努力だけではどうにもならないことはあるし、この努力という言葉がさらに気持ちを追い詰めることがあることは、私もわかる、どっちかというとその考え。
ただ一つ言えたのは、真逆のタイプの人と接することで、自分の心の中に変化が起きたということ。人のせいにしすぎている自分に改めて気づいて、自分を変える努力(変えられなかったとしても、自分の考えの癖に気づくこと)が大事だということに改めて気づいた。
ちょうど最近世間を賑わせているナイナイの岡村さん問題。ANNでの矢部さんの説教を聞いた。「自分をかわいそうさんだと思ってる」「自分を変える努力をしなきゃあかん。」自分が一番つらくてちょうど何でも人のせいにしている自分に言われているようだった。そんなとき、彼の「頑張りましょう、努力しましょう」を思い出した。
今は何か悩むことにぶつかったとき、彼なら何て言うかな?と考えてみることにしている。彼のように素直な人間にはなれないけど、素直になる努力をすることはできるかなと思っている。
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