ぬか漬けとラブ&ピース
二年前、結婚と引っ越しを期にぬか漬けをはじめた。
理由は何か新しいことをしてみたかったということと、おかずが一品増えればいいなという単純な動機からだった。
いざ始めてみると、定期的にかきまぜたり、塩をいれたり、ぬかを足したり、たまにだしを加えたりしていくうちに、どんどん最初のぬか床から味が変わっていく。ぬか漬けは生きてるんだ、私はこれを育てているんだという実感がわいて、とても面白い。
だが、面白みが増していくうちに、
罪悪感も抱くようになっていく。
なぜならこの面白みを私はとある人から奪ってしまったことがあるから。その人とは母だ。
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幼少期の私は、今以上に食べ物の好き嫌いが激しく、また何でも思ったこと、特に嫌いなことははっきり嫌いと口にする我が儘な子どもであった。
肉?そんなもの嫌い(これは今でも変わらない)!
給食?やだ、食べたくない!といった風に。
そんな心無い子どもの私は、冷蔵庫からぬか漬けを取り出し、かきまぜたり、野菜を漬けようとする母を見かけては、
なにそれ、くさい!
そんなのよく食べるわね。信じられない!
などと口にしてしまっていたのだ。
そのことが影響してか、他に理由があったのかはわからないが、母はいつの間にかぬか漬けを止めてしまった。
売っているお新香を買ってきて食べるようになってしまったのである。
子どもの私はこれであの嫌なぬか漬けの匂いを家から追い出すことができた、とほくそ笑んでいたが、
大人になってぬか漬けの楽しさを知った今となってはとても心が痛む。
なぜ、あのとき、私が食べなければいい、という風に思えなかったのだろうか。
私は私、母は母。別の人格なのだから、自分の思うように母をコントロールする事なんてできないのだ、ということを知らなかったのか。
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思えば私が社会人になる前までは、
自分が他人に影響を及ぼすことができるというとんでもない奢った考えを漠然とではあるが思っていたように感じる。
そんな私だから、社会人になって最初の上司には「お前のような奴は痛い目にあってみないとわからんな。」と宣告されたし、クレーム対応をするたびに、「あなたのような人間は社会から削除されるべきだ」なんていうことを言われることもままあった。
痛い目に散々あったことで、やっと、自分以外の人と自分とは別の人格なのだから、それぞれがそれぞれの考えでいい。
自分以外の人との関係を円滑にしていきたい。「人それぞれ」を尊重して、できるだけ円満に、ラブ&ピースの精神で接していきたい。と考えられるようになった。
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今朝、漬けてあったかぶを一口つまみ食いしてみた。ちょっと塩味が足りなかったので、塩をたしてかき混ぜた。
次はもっと美味しいかぶが漬かりますように。