人類を前に進めたい~チームラボと境界のない世界~を読んで
私が宇野常寛さんに関心を寄せるきっかけとなったのは、宇野さんがコメンテーターをされていたスッキリをクビになった時だ。Twitterでその経緯を呟かれていたのを目にし、この人は私の持つ危機感のようなものを言語化してくれる人だと思った。
マレーシアのクアラルンプールで数ヶ月働き、日本に帰国してから、私は日本の空気感、雰囲気のようなものがなんだかおかしいということに気がついた。海外から来て働く人が(帰国当時は今よりもっと)少なかったし、働いている人たちは全然楽しそうじゃない。主観的な表現になってしまうのだが、クローズドでもやがかかったように暗い雰囲気で、明るさ、生き生きとした感じが全くないのだ。テレビを見ても芸能人のスキャンダルとか袋だたきのようなことばかりやっていて、日本はもしかしたら後退しているのかもしれないという危機感にマレーシアに行く前は全く気づいていなかった。その不安感の正体について宇野さんは母性のディストピアやリトル・ピープルの時代などを通じて言語化してくれた。
今回その宇野さんとチームラボ代表の猪子さんとの対談集が本になった。それが「人類を前に進めたい」だ。発売される前にその対談集についてのエッセイを宇野さんが書かれていた。エッセイからはこのもやのかかったような不安感を楽しさや面白さをもって解決していけるのではないか、ということが書かれていて、希望を持って本を読み始めた。
本を読む前は恥ずかしながらチームラボがここまで海外へ進出し評価されていることを知らなかった。私の中でアートというものはとてもクローズドなもので、私のような一見さんはノーサンキューな世界観を持っていると思っていた。だがチームラボのアートは「これからアートを見に行くぞ」という心構えなしで楽しんでいいし、自分と他者との境界を無くすことや、人と人の関係性を美しくする力を持っているし、そこをねらって作品も作られているのだという。世界観がポジティブなのだ。
私は日々生活していて必要な力は鈍感力だという風に感じていた。みて見ぬ振りをする鈍感力、否定されたと感じても感じない振りをする鈍感力、etc.。そこには人と自分との関係がポジティブなものではないということが前提になっている気がしている。でもチームラボの世界観は、人と人との関係性をポジティブなものとして肯定しているのだ。関係性を楽しんでいいよ、と言ってくれているように。このことはとても私に勇気をくれた。否定でなく肯定、ネガティブでなくポジティブ。悲しみではなく楽しさ。それで世界を前に進めたいと本気で猪子さんは考えていると思う。そのことがよく伝わる本だった。