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短編小説『ズレた魚』
※鯖の塩焼きさんからのTwitterリプライ「秋刀魚の缶詰」よりー
買い物袋の中を検める。
「アンチョビを買ってきてくれって頼んだはずだけど」
「売り切れてたからサンマの缶詰買ってきた」
洗面所から水道の音に紛れて彼女の声がする。
彼女の「代用」は時々ズレていた。
僕がテレビを観て「お好み焼きが食べたいなぁ」と言うと「冷凍に焼きおにぎりならあるよ!」とそそくさと温めて出したり。それに比べたら同じ魚の缶詰を買ってきた辺り、まだ近い代用かもしれない。
今日はアンチョビとキャベツのスパゲティを作る予定だったけど、
「生憎サンマのスパゲティだ」
「おいしそうじゃん!」
湯を沸かす。
フライパンにオリーブオイルとニンニクを、と思ったが、サンマならショウガが合いそうな気がして、ショウガを刻む。オリーブオイルではなく太白ごま油をフライパンに注いで、ショウガを投入。
香りが立ってきた。
ショウガは匂いだけでポカポカする。それは遠い昔から記憶に染み込んでいる様な気さえする。
湯が沸いたので、塩大さじ1とスパゲティ200gを入れる。
海水の濃さ。かの大泉洋もアラスカでそう言っていた。
綺麗にばらけなかったから、菜箸で解す。
タイマーの存在を思い出して8分でセット。
パスタの湯気の匂いが好きだ。
秋から冬にかけて、肌寒くなりつつある季節には、特にそう思った。
香りという名の前菜、と言う言葉を思いつく。
こういう言葉を口にする男は好きじゃないから、それは口から出ずに腹に落ちていく。ある意味前菜だ。
サンマの缶詰を開ける。
開けた時に飛んだ汁が壁につく。
すぐに拭きたいが、料理中はついつい後回しにしてしまい、壁には以前別の料理でついた点が未だに残っていた。
サンマを熱しながら、少しだけ日本酒を入れて魚特有の匂いを和らげる。
茹で汁をフライパンに少し入れて揺らす。
そしてタイマーが鳴る。
洗い物は減らしたい。
ザルは使わずに鍋からフライパンへ直接パスタを移す。
フライパンの火を止めて、余熱の中でよくあえる。仕上げに少しの醤油とごま油。
予定より随分と和風になったが、味は悪くなかった。
彼女は美味しそうに頬張っている。
ズレたからこそ起こることがある。
僕は一人だと早々ズレない。
彼女はズレる。
僕一人では、このパスタを作る事は一生なかったかもしれない。
そんな風に思うけど、僕はそれを、口には出さない。