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短編SF小説『Dad needs art.』

暗闇。瞼を開く。開いたはずが暗闇のまま。階段下の物置を思い出す。本当に瞼を開けているのか、或いは万に一と聞いていたタイムトリップ下における障害を負って視力を失ったのか。視覚、聴覚、記憶を失った者もごく少数だがいると聞く。契約書の端にあったその旨の短文。嫌な汗が滲む。ポッドの動作音は聞こえる。朝食は覚えている。「目が覚めたら引きなさい」と教えられていた手元のレバーを感触と方向を確かめながら引く。闇の中に光の筋が現れ、空間の輝度が増していき、僕の身体はポッドの外へと吐き出された。視覚が徐々に慣れていき、状況の把握が進む。どうやら緑豊かな場所にいるようだ。鳥の囀りも資料館で聴いたものと同じ。しかし事前に説明のあった着地場所とは異なる様に見えた。左手首につけた端末で確認するとなるほど、座標が少しずれてしまったらしい。少し歩かなければならない。ポッドに光学迷彩仕様のスクリーンを掛け、ボディバッグの中身を確認する。異常なし。時間はあまりない。焦って躓き膝をつく。
叔母の声が脳内に響く。
「父親に似て駄目人間。出来損ない」
土の香り。父の作業場の香りを思い出す。
僕は頭を振り、体勢を立て直して先を急ぐ。

「今回のタイムトリップは三十年前。君に依頼したい任務は二つ。一つは我々の時間でテロリストとなる可能性が高いと目される人物Aの誕生を阻止すること。二つ目はその人物Aの両親になるはずだった男女のDNAサンプルの回収」
「親のDNA…?」
「これから向かう前(サキ)では未だ親ではないがな。彼らのDNAにはテロリスト発生に関するヒントが隠されている、と遺伝子アナリストは読んでいる」
今は遺伝子のパターンから人格傾向、適職、病気、起こす可能性の高い事件など凡ゆることが予測出来る様になってきている。これで遺伝子操作まで始めれば、まるで学生時代に観た古典『ガタカ』の世界だ。しかし表立った遺伝子操作はまだ倫理的な問題をクリア出来ていない為、実施はされていない。まぁこれからある個人の誕生を阻止しようという人間が、倫理云々言うのは少し笑えてくるが、あくまで表立っての話で、遺伝子操作そのものは実施されていなくとも、遺伝子情報を基に裏で工作員が阻止や介入を行っていた。テロリストそのものの排除には随分な労力と犠牲がついて回る。しかしそもそもそれを先回りして誕生を阻止できるなら、その方がずっと安全でコスパが良い、というのが上の考えだった。そして過去へのタイムトリップを実装した部署に指令が降りてくる。
「人物Aというのは?」
「君が知る必要はない。かくいう私も知らない。我々の様な末端はただ言われた通りに作戦を遂行すれば良い」
「プランはあるんですか?」
「大まかなものはそこに書いてある通りだ。マニュアルに過去の作戦で使用された実例が挙げられているが、そのフローチャートはあくまで例でしかない。タイムトリップ先でのアクシデントは付き物だ。臨機応変な対応を期待している」
「実行日は…クリスマスイブ…」
Aはクリスマスベビーなのか。クリスマスに作られたテロリスト。つい顔をしかめてしまう。その表情を部長が何と勘違いしたのか、微かに微笑みながら言う。
「君は現在は恋人がおらず、職務上深い友人もいない。親戚ともとうに縁を切っている。そもそも"クリスマスなんて"とソーシャルネットワークでポストしていたこともとっくに調べがついているぞ。だからこそ君に白羽の矢が立ったのだ」
「泣けるぜ…」
僕は古い名作アクションゲーム、バイオハザード4の主人公レオンSケネディの台詞を思い出しながら呟いた。彼は大統領の娘(金髪巨乳)をあるカルト教団の陰謀から救い出す。国の下で働くにしても随分、差がある。

クリスマスイブ。Aが出来た日。この日の性交渉を邪魔すれば良い。タイミングがズレればまるまる同じ子供というのは生まれない。ターゲットの自宅付近に着き、改めて男の顔写真を確認する。なかなかの色男だ。孤独な僕が色男の聖夜を邪魔するというのはなかなか哀しいものがあったが、少しばかりの愉快さもあった。時刻は現在午後6時。ここから日を越える0時までに性交渉が行われる。男が家から出てくる。今は一人だ。ノーネクタイのセットアップに背丈を際立たせるロングコート、よく磨かれたストレートチップ。いけすかない。僕はルーステイルで尾行を開始した。

男が駅前で女性と合流する。なかなかの美人だ。アッシュのロング。白のタートルネックにキャメルのチェスターコート。クリスマスプレゼントを思わせるチェックスカートから伸びる長い脚にロングブーツがよく似合っている。羨ましくなんかない。と言ったら嘘になる。彼らは仲睦まじく15分程街中を歩いて、喧騒から少し離れたレストランに入っていった。出入り口は二つ。両方が視界に入る、尚且つ身を隠せる場所を探す。近くの寂れた雑居ビルの階段に適当な踊り場を見つけ張り込みをしていると、
「動くな」と背後から声がする。低い男の声。背中に固い物が当たる。足音はしなかった。玄人か。僕は筋肉を緊張させてから一気に弛緩させ、肉体的な記憶に身を任せた。振り向き様、腕を相手の持つ得物に当てる。その瞬間得物と相手を視認する。サップレッサー付きのグロックらしいが自分の普段の装備とは少し形状が異なる。体格は僕より少しばかり大きいがほぼ互角。年齢も30歳前後で同程度。短く刈り上げた黒髪、鋭い目つき、服の上からでも分かる鍛え上げられた体。僕は当てた腕で射線を外側にずらしそのまま肘関節を取りに行くが、相手の掌が僕の喉を突く。よろめいた僕との隙間にグロックを持つ相手の手が滑り込む。再びその手を捌いて、蹴りを相手の膝に見舞う。相手の頭が倒れてくる。しかし手ごたえがない。かわされた?そのまま相手は僕の脚を取りタックルを決めてきた。踊り場の手すりに背中をしたたか打ち、呼吸が止まる。視線の先、手が伸ばせない程度の距離に銃口がある。
「あんた同業か?」
と男が訊ねる。僕は話す気はなかったが、男は自らの所属を話した。どうやら同じ部署からの派遣らしい。合言葉も通じる。男に助け起こされて手すりにもたれる。
「もし違ったらどうするつもりだったんだ?部外者に作戦の一端でも発覚するのはまずいだろう?」
男は肩を竦める。
「その時は一服盛るだけさ」
「殺すのか?」
「忘却剤一つで済む話だ」
「忘却剤?」
「なんだ知らないのか?まだ限られた時間だが、部分的に記憶を抹消できる。まぁ確かに正式に採用されたのはごく最近だが、それでも噂はずっと前からあっただろう?」
孤独な僕が噂を知るはずもなかった。
「噂にも疎いし、動作も前時代のマニュアル的過ぎる。あんたとバディを組むのはいささか不安だが仕方あるまい」
「しかし共動(コープ)とは聞いていない」
「こっちだって聞いていないさ。もしかしたらあんたが頼りないからカバーとして俺が派遣されたのかもしれないな」
「それなら君が頼りないせいかもしれないだろう。僕がカバーで」
「もう一戦交えるか?」
男が重心を低くしたので、降参のサインを送り痛む腰を摩った。そうこうしていると、ターゲットがレストランから出て来た。
「来たな」
と男が言う。階段を降りながら僕は訊ねる。
「ところで君のコードネームは?」
「アポロン」
「随分大げさな名前だ」
「ボスの趣味さ。そういうあんたは?」
「第三者(サードマン)」
「このミッションにぴったりの名前じゃないか」
とアポロンが鼻で笑う。

事件は男女が二軒目に立ち寄ったバーから出て来たところで起きた。女性の方が出入口付近にいた男にぶつかってしまったのだ。もしかしたらトラップとしてわざとぶつかる様に仕向けたのかもしれない。案の定、ぶつかられた男とその連れの男たちは異様に騒ぎ立て、品のない野次を二人に浴びせた。男は果敢にも立ち向かおうとしているがとても分が悪い。僕個人としては胸糞が悪く見ていられないが、組織の一員としてはこのままこの男女が今夜結ばれない方が都合が良い。黙ってその様子を見ていると、隣にいたアポロンが動いた。
「ちょっと君たち、警察の者だけど」
と懐から警察手帳とおぼしきものを取り出してちらつかせる。男たちがどよめく。その隙をついてアポロンは、
「貴方達は行って良いですよ。メリークリスマス」
と男女の逃げ道を確保して促す。そして僕の方を見ると追尾しろとハンドサインを送る。それを見た男たちがアポロンに組み付き、交戦が始まる。どうしてわざわざ逃がすんだと疑問に思うが、言われた通りに僕は尾行を続けた。暫く周辺を警戒する様な素振りを見せていたが、却って何処かに入った方が安心と思ったのか、二人はホテルに入ろうとしているのが男の身体の向きで分かった。どうにか邪魔しないと、と思っているとアポロンが追い付いてきた。あれだけの人数をこの短時間で制圧したのかと思うとゾッとする。
「これで無事、任務完了だな」
アポロンがそう言うと同時に男女がホテルへと消えていった。
「何を言っている。これからだろう?どうにか邪魔しないと」
「なんだって?」
アポロンの目つきが鋭くなる。僕が躱してホテルに向かおうとすると、彼がその身を挺して遮る。
「あんたちゃんと指令書に目を通したか?」とアポロンが言う。
「読んだに決まっているだろう。人物A誕生の阻止だ」
アポロンの目が大きく開く。そして訊ねた。
「なるほど。なるほどそうだったのか。あんた何年からやってきた?」
僕は戸惑いながら自分の生きる年を教えた。するとアポロンも自分の元居た年を告げる。そこには20年の開きがあった。アポロンは続ける。
「どうりで情報も装備も戦法も古いわけだ」
僕は動けずアポロンの口が開くのを待った。口が開く前に銃口がこちらを向く。
「俺の渡された指令書にはこうある。人物Aの誕生を阻止する者を阻止、または抹殺。分かるな、邪魔者(サードマン)」
僕は身構える。さっきのが予想していなかった攻撃だったとしても、戦闘力は相手の方が上手。まともに戦うのはうまくない。とりあえず話を続けながら戦略を練る。そんなこと出来るのか?やるしかない。
「抹殺は、出来れば避けたいんだが、もし抹殺されるにしても、何故抹殺されるのかくらいは最期に聴きたいところだね。人物Aはテロリストになりうる人物だと、こちらの時代では聞いている。それで誕生阻止のミッションが組まれ、僕は今ここにいる。時代は違えど同じ所属だ。どうしてこんなことになる?」
アポロンの眼球がぐるりと動く。
「なるほど、テロリストか。まぁ間違った表現ではない。Aは十年前、つまり俺のいた時代から十年前、あんたのいた時代から十年後、ある事件を起こす。遺伝子情報研究所の占拠。そこで内部の情報を世界に発信した」
「遺伝子情報を漏らしたのか?」
「事件は個人遺伝子情報の流出ではない」
「なら何を発信したんだ?」
「遺伝子からあらゆる事象を予測できるという、そのシステムそのものにある誤謬を暴露したんだ」
「なに?」
「そちらの時代では考えられないことだろうな。遺伝子情報があらゆる出来事の根幹にあるとする時代だ。こちらの時代にはもうその仕組みはない。Aによって正された。どこぞの占い師が宣う絵空事となんら変わりないシステムだと。元を質せば確かにそういった、遺伝子から予測できることもあった。的中することも勿論ある。しかし100%ではない。良くて七割だ。だが、そのシステムは御上にとって都合が良かった。自分たちにとって排除したい人物の遺伝子に問題があったことにすれば良い」
「まるで十七世紀の魔女狩りだ」
「そう。嫌いな奴は魔女だってことにすればいい。歯向かうやつの遺伝子情報は改ざんすれば良い。数百年違っても人間の脳みそは大して変わらない」
僕は頭の中で話を整理した。
今日、僕たちがタイムトリップした時間、クリスマスイブ、ある男女の間の性交渉で受精卵が出来る。Aだ。それから三十年後、つまり僕の生きる時代、Aはテロリスト予備軍としてマークされている。そしてそれから十年後、実際に国家レベルのシステムを根底から揺るがす革命を起こした。そして更にその十年後、アポロンにAの誕生を阻止する者を抹殺しろとの命令が下る。僕は疑問を口にした。
「そもそもなんで君の時代で、A誕生の阻止が行われるって分かった?」
アポロンが答える。
「簡単な話だ。俺の時代にもまだ、遺伝子情報システムを元に戻そうとする一派がいる。その残党メンバーがあんたの時代の指令書を改ざんした形跡が認められた」
「指令所の改ざん?タイムトリップして?」
「こちらの時代では過去へメッセージを飛ばして世界線を変えるという技術もある。そうやってあんたの時代の指令書を書き換えたんだ。シュタインズゲートってゲームにDメールってあっただろ?あんな具合だよ。その文書を何処からどの地点まで送ったかは分かるが、誰に渡って、作戦を実行するのがどの部署の誰なのかまでは分からない。その辺もあのゲームに近しい」
「そのゲームはやってない」
「アニメは?」
「観てない」
「名作古典なのに」
いつの間にか銃を下ろしていたアポロンが肩を竦める。
「メッセージで改変出来るなら、何故君はこの時代まで飛んできたんだ?」
「過去改変メッセージはまだ実用として流通させる段階じゃない。やつらはあわよくばと実行して、まぁこうしてあんたがのこのこ来ているんだから指令書の改ざんは上手くいったわけだが、実際は不確定な要素が多すぎる。思わぬ未来を呼び込むこともある。その身で時間移動した方が確かな仕事が出来る」
「なるほど」
「それにしてもあんた、随分アマちゃんじゃないか?そんなにすんなり俺の話を信じて良いのか?」
とアポロンが僕の目を見る。僕はつい溜息と共に素直な気持ちを吐露した。
「何処かでそうだったら良いなと思っていたんじゃないかな。遺伝子で全てが予測できる、決められてしまうより、自由に過ごせた方が良い。僕はこの仕事が向いてるって言われたからそれに従っているけど、君の時代は違うんだろう?」
「俺はこの仕事が好きだ。好きでやってる
「抹殺が好き?」
「いや、自分が信じた正義に従う。そういう仕事が好きだ」
「もしその正義が根底から覆ったら?」
「テロリストになるかもな」
「それで、僕はこれからどうなる?」
「俺もアマちゃんだが、これを使おう。あんたのポッドまで案内してくれ」
アポロンは赤いカプセルを取り出した。

白い天井。消毒液の匂い。リノリウムの床。粗末なシングルベッド。
「珍しいですね。タイムトリップで記憶障害なんて。確かに前例はありますけど。まぁ喪失したのもごく短時間の記憶ですし、肉体的にも問題ありません。お大事になさってください」
そう言ってメディックが部屋から出て行く。入れ替わりで部長が入って来る。ミッション失敗における処分についてかと思って息を飲んでいると、今回の作戦の指令書が、何処か外部から持ち込まれた偽造文書だということが分かったと告げられた。「失敗して良かった」そんなことを言われたのは初めてだった。
それから十年後、遺伝子情報研究所が占拠される事件が起きた。そして遺伝情報予測システムにある欠陥が暴かれ、世界は急変した。正されたと言うべきか。面白いことに、僕があの日失敗したミッション。あの人物Aというのがこの事件を起こしたリーダーとされている。つまりテロリストになる可能性が高い、という予測は正しかったことになる。と思ったところで何か引っ掛かった。何故か赤いカプセルを連想する。分からない。思い出せない。

更に十年が経ち、僕は五十歳、陶芸家になっていた。遺伝子情報社会におけるテストで、僕は「不器用」を言い渡されていた。本当は亡き父の歩いた道、芸術の道に進みたかったのだが諦めていたのだ。そんな「不器用」が何故工作員として採用されたかと言えば「忠実」という特性に尽きる。言い換えれば「信じやすい」「考えない」部分が上にとって都合が良かったのだろう。「不器用」は手仕事をしていく内に緩和されていった。今では少しばかり生徒もいる。

その日はクリスマスだった。普段は陶芸教室も休みだが、その日は希望者がいて妻と娘にも「クリスマスなのに」と言われたが、教室を開けることにした。クリスマスに教室を希望する男。孤独なのか、クリスマスが嫌いなのか。反対を宥めて教室を開いたのは、その男に何かしら昔の自分を重ねたからかもしれない。
「これがあんたのやりたかったことか」
と教室初参加のその男が嬉しそうに言う。不躾だなと思うものの、その青年の顔は何処か懐かしかった。

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