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短編小説『親指を隠せ』

※車屋彫医さんからのTwitterリプライ「霊柩車」よりー

「親指を隠すんだ」
子供の頃霊柩車が通りかかった時に、確か父に言われた言葉だ。

霊柩車は私の前を通り過ぎていく。豪奢な宮型だ。
私は数年前の祖母の葬儀を思い出す。

その時、テレビがついた時の様な、ブーンとした音が耳の奥に響いた。視界が一瞬ホワイトアウトし、断片的な映像が視える。

ー森の中、廃墟、薄暗い部屋、寒い、月ー

そして再び元の景色に戻る。気付くとじっとりと汗をかいていて、襟元のリボンを握りしめている事に気づく。

「大丈夫?」
隣にいる母が心配そうにこちらを窺っている。
「ちょっと寝不足かも」
「毎晩遅くまで遊んでるから。今日は早く寝なさい?」
「遊んでるんじゃないし…」

母には私がイラストレーター志望で毎晩遅くまで絵を描いていることは言っていない。
母は私に「なるなら公務員が良いよ」とか「早いうちに良い人探した方が良いからね」とか言ってくる。だからますます言いづらくなっていた。

母は年々父への当たりがキツくなっている。
確かにあまり頼り甲斐がある人ではないし、色々無頓着で甲斐性があるタイプではない。
ぼさぼさの頭に無精髭で、いつも同じカーディガンにジーンズ。出掛ける時もそんなで、大抵皮のサンダルで何処へでも行ってしまう。靴下を履いてるのを祖母の葬儀以来見ていない。

そういえば父がなんの仕事をしているか詳しく聴いたことがなかったけど、母の当たりの強さから、安定したものではないのだろうと思う。

しかし、父は私に優しかった。

子供の頃、怒った母にベランダに閉め出された時、隣の部屋からそっと中に入れてくれたこともあった。
父がその後酷く怒鳴られていたのを覚えている。

私が絵を描いているということも直接父さんには言ってはいないが、なんとなく察しているのか「物作りってのは大変だけど、良いもんだよな」とか、夜中にノックが聞こえてドアを開けると夜食が置いてある事があった。
そして翌朝母の「誰ー!夜食食べて洗い物してないの!!」という声が聞こえて「あはは、ごめんね」と父が答える、というのは一定周期の習慣になりつつあった。

信号が青に変わり、「ほら行くよ」と母が私の袖を引く。

ぐらりと視界が揺れて、再び映像が視界を覆う。
そして、耳元で声がした。

ーーーーーーー

目を開いて白い天井があるということは、病院なのだろうと思う。漂白剤が強く香る布団。ますますらしくなってきた。

身を起こすと、激しく頭が痛む。
身体を検めるが、特別怪我はないらしい。
しかし親指がヒクヒクと痙攣しているし、耳鳴りが酷い事に気づく。徐々に息苦しさを覚えていく。
そして再び、あの声がした。
何を言っているか、言葉としては分からない。
しかし直接に感情が伝わってくる。
私の目からは涙が溢れ、歯はガチガチと音を立てて震えていた。

飛び込んできた母が慌てながら看護師を呼ぶ声がする。

また視界が飛んで、夜、森の中?
しかし、今回は元の景色には戻らなかった。
私は森の中にいる。
そして走っている。自分の意思とは関係なく。
私は寒さと素足の痛みを感じていた。
しかし身体は構うことなく木々の間を駆け抜けていく。
時折枝に服を引っ張られるが、まるでスキーでスピードが出過ぎてしまった時の様に上半身と理性が置いてけぼりを食らっている。

そして私の足はついに止まった。

廃墟だ。古びた真四角の建物。数少ない窓は割れ、そこらじゅう植物の蔓に侵食されつつある。
昼間見た映像と同じ場所だ。

声がして、私の身体は廃墟の扉へと向かっていた。

ーーーーーーー

看護師を呼んでいる間に、娘がいたはずのベッドはもぬけの殻になっていた。開け放たれた窓から冷たい風が入り込んでくる。
ここは3階だ。恐る恐る窓から下を覗くが、何もなくて安心する。しかし何処へ行ってしまったのか。
看護師が私に何か問いかけてくるが、上手く言葉を理解できない。

娘が幼い頃にもこういう事があったのを思い出す。
急に倒れて、病院へ行って、姿を消した。
そして数時間探し回って見つからず、夜中になって、ようやく夫が探し出して連れ帰った。
あの時も原因は分からなかった。

連絡先をスクロールして、夫の番号が画面に表示される。

ーーーーーーー

ー「あんまりだわ…」
 ー「お気の毒…」
  ー「噂だと…」
   ー「あの廃墟で…」

葬儀屋になって暫くが経つ。
しかしこの特有のひそひそとした雰囲気には、未だに人間の気持ち悪さを感じてしまう。素直な同情はそこには感じられない。他人事。ネガティブな噂、脳の快感に抗えない人間、そういった人間にとって、これは1つのイベントでしかない。ご遺体と写真を撮るやつまでいて、辟易とすることまであった。

俺が初めて葬儀に参列したのは、中学生の頃、祖父の葬儀だった。
俺は純粋に悲しかったのに、そこにいる人間の振る舞いに気持ち悪さを感じて途中で退場した。
こんなことなら1人で弔った方が、よっぽど本当だと思った。
そうやって1人で外にいると、葬儀担当のプランナーが来て、俺に話しかけてくれた。
特別気を遣った風でもなく、俺の話を聞いて一緒に悲しんでくれた。
式場の誰よりも、本当に残念に思ってくれている様だった。

そんな事をふと思い出したのが、大学3回生の時だ。
たまたま母に縁のあった知人が亡くなった。
「あんたも小さい頃お世話になったんだから来なさい」と母に連れられて通夜に参列した。
遺影を見ると、朧げながら覚えていた。
確か、母が通っていた絵画教室の先生だ。
俺が騒いで怒られた事もあったけど、毎回ジュースやお菓子をくれたのを覚えている。

母が知人たちと話し込んでいたので、俺はふらっと式場の外に出る。すると中学生くらいの女の子が1人で佇んでいて、静かに泣いていた。
それを見て俺はあの時の自分と重ね合わせていた。

俺は言葉を掛けられなかった。

でも、そんな人に寄り添える仕事につきたいなと思った。

ーーーーーーー

「久々に着たけど、ちゃんと入ったな」
当時より少しキツくなったスーツだが、身を包めば幾分気持ちも締まる。
靴下も温かく、たまには良いもんだと思えた。

森の中は、想像以上に静かで、冷たい。
余所者を近づけさせない空気の重みを感じる。
間違いない。ここだ。

いざと言う時のために車のロックはかけない。
辺りを確かめながら、ゆっくりと足を踏み出す。
あまり悠長にもしていられないが、ここで野犬にでも襲われたら本末転倒だ。

森の中に紛れる【香り】をもとに、導線を探す。

冷たい空気と木々の枝を押し分けながら、20分。
ようやく問題の場所についたらしい。

無機質で、真四角な建造物は森の中の空き地に鎮座していた。月明かりに照らされた壁と対照的に、窺えない程の闇が窓枠に嵌め込まれていた。

煙草に火をつける。

「久々に吸うとクるね…」

紫煙を身体に吹きかけて、窓から侵入する。
靴の下で割れた窓がパチパチと音を立てる。

人の気配はない。だが、手遅れなど許されない。

慎重に事を運ばねばならない。
早る気持ちを抑えて、じっくりと歩を進める。

そして、1番奥まった部屋に娘はいた。

ーーーーーーー

「おとうさん」と声を出そうとするが音は出ず、かわりに知らない声が発せられる。
憎しみの籠った声。

父は黒いスーツに身を包んでいた。
そして私は思い出す。
自分が幼い頃にも、こう言う事があったのだ。

「だから、親指は隠せって言っただろ」
父は煙草を思い切り吸い込むと、吸殻を私に向かって投げた。私の身体はぶるんと震え、左に躱す。
すかさず父は間合いを詰めると、小瓶に入った液体を私に振りかける。そして、紫煙を吹きかけてきた。
自分でも耳を塞ぎたくなる程の慟哭が響き、喉の奥から血の味が染み出す。

父は私を押さえつけて、耳元で囁く。

「娘に罪はない。犯人は、俺が、必ず、捕まえる」

ーーーーーーー

案の定、夜中に夫は娘を連れて帰ってきた。
娘はそこかしこに細かい切り傷や擦り傷が出来ていたが、表情は安らかだった。まるで子供の頃、ドライブに連れて帰った帰りの様に、安心した寝顔で、見ていて涙が出た。

夫は夫で、葬儀屋を辞めて以来久しぶりに喪服に身を包み、ぼさぼさの髪は綺麗に整えられていた。

2人からお酒と煙草の匂いがした。

前と全く同じ状況だ。

「どうせ事情は教えてくれないんでしょ…?」
「知らない方がツかれないって事もあるんだよ」
「疲れない?よく分からないわ…兎に角、あの娘、酷い目に遭ったりは、」
「大丈夫、そういうことはないよ。でも、体質的にそろそろ色々教えないといけないんだ」
「なんなのよ…もう」

夫は、事情が分からず不安と不服を彷徨う私を、寝室に連れていき慰める様に抱いた。

ーーーーーーー

目が覚めてスマホを探す。
そして、記憶が2日ほど飛んでいる事に気がついた。

身体のあちこちが傷だらけみたいだし、記憶も朧げで、何より声が出ないくらい喉が痛かった。

リビングに行くと、母は仕事に出ている様で、書き置きがあった。父は顔に新聞を乗っけてソファーで眠っている。

その新聞の一面には、連続殺人の容疑者逮捕の記事が載っていた。

耳鳴りがする。

私は何故だか安堵していた。
近所で起きた事件だから、というだけではない安心感が私の緊張を解いていた。

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