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短編小説『ラムネ色の空の下』

見慣れない工場地帯をひた歩いていると、一人の青年と出会った。僕よりも一回り若い。彼のTシャツには「無尽蔵」とプリントされていた。顔を見ると何か考えている様な、同時に空虚を感じさせる表情をしている。なるほど、確かに可能性が無限大だ。
「この辺の人じゃないね!?」
青年の突然のデカい声にびっくりしながら、その意味を咀嚼して返す。
「そうだが!?」
ビビった自分のカッコ悪さを隠したかったのか、自ずと声がデカくなった。
彼は大股でこちらに向かってくると手を差し出した。
握手した。手を叩かれた。
「違うよ、通行料」
「いくら?」
「300円」
300円払う。高額だったら抗議しただろうが、なんとなく払ってしまった。金は履き古したデニムのポケットに捩じ込まれる。
「係の人なの?」
「違うよ?」
「ここに住んでるの?」
「いや、初めて来た」
釈然としないが300円返せと言うのも、自分の年齢からするとカッコ悪い気がしてそのままにした。
なんとなく歩き出すと彼も歩き出す。
「なんでここに来たの?」
青年が訊ねる。
「散歩してたら着いた。君は?」
「夜中までは記憶があるんだけど、気付いたらワインの瓶抱きしめてここにいた。すぐそこの空き地。」
「いつもそうなの?」
「大抵は。」
黙って暫く歩くと、
「煙草持ってる?」
と青年。
「ガムなら」
「うちの母親みたいなこというね」
僕が首を傾げて黙っていると彼は続けた。
「うちの母親は、俺がスパゲティが食べたいと言うと冷凍にチャーハンならあるって言うタイプだったんだよ」
「それよりは近いだろう?煙草とガム」
「煙草なんかくちゃくちゃ噛んだら死んじゃうよ」
「ガムだって飲まない方が良い」
再び沈黙。
「これ何処向かってるの?」
と彼。
「知らないよ」
と僕。
「良いのかよ、大人がそんなことで!」
「大人ったって君とそう変わらないだろ?離れてたって精々十(とう)だ。」
「十(とう)って古臭くない?」
彼の態度に段々腹が立ってきた。
「300円返せよ」
僕は口走ってた。口走ってからやっぱりカッコ悪いと変な汗が滲んだ。
「じゃあ賭けに勝ったら返すよ」
「どんな賭け?」
「これからここで待って、最初に通り掛かるやつの性別を当てる。どう?」
「いいよ」
「じゃあおじさん決めて良いよ」
「おじ…まぁいい、じゃあ女だ。女が通る」
「スケベめ。じゃあ俺が男ね。スタート。」
無意識にも女が通って欲しいと思ったことは確かだったから反論出来ないで文句を飲み込む。しかも理知的でセクシーな女を想像していた。メガネの似合う。

思えばここに着いてから、彼以外誰とも会ってないことを勘定に入れてなかった。誰も通らない。
もう1時間は経つ。
彼はついに寝転がって空を眺めていた。
僕は露骨に苛立って言った。
「このまま誰も来なかったらどうするんだよ?」
青年は答える。
「300円は俺のポケットに入ったままになる」
聞きたかったのはそこじゃないが、もうどうでも良くなってきていた。

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