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【ネガティブ論】後ろ向きのすヽめ

「友達は要らない。友達を作ると人間強度が下がるから」

そんな言葉を吐いたアホ毛の男がいた。
西尾維新氏の物語シリーズ、阿良々木暦である。
このセリフを初めて読んだ時、私はなるほど!と膝を打った。
友達や恋人が出来る事、つまり失いたくないものが増えると、比例して弱みが増えていくのだ。

そして同時に、そんな彼らに「嫌われたくない」という感情が芽生えだす。

何故人は嫌われたくないのか?

人間は嫌われることを恐れ、四方八方に向けて美しい部分を見せたがる。思ってもいない「セジ」とルビの振られた嘘を重ね、本当はお返しなんかしたくないのにわざわざ菓子屋に出向くのだ。

この愚かな所業の根源は、

「自分自身への評価の高さ」

である。

自分という人間に価値がある。そう思い込んでいれば、周囲にもそう思われたい。それを保ちたいものである。
その為「良い人」で居続ける努力が必要なのだ。
しかしこの努力に終わりはない。棺桶に入るその日までお行儀よくしていなければならない。(棺桶に入る際はお行儀よくしてもらえるからその点は心配無用である)

勿論自然体で「良い人」ならば問題はない。
しかし背伸びを続けて足が攣りそうな人も少なくはないはずである。そんなことをしていては、いつまで経ってもドッシリ構えられん。いい大人はドッシリ構えていないと子供が不安になる。
「ほら見ろ!根無草の八方美人が行く!」
なんぞと鼻垂れ小僧に後ろ指を差されるなど、いい大人はあってはならないのだ。

ここで私なりの解決法を提示したい。
なに、簡単なことでその逆を張れば良い。

○自分を勝手に高く評価しない
○自分は相手に嫌われても仕方がない部分を持ち合わせていると納得する

誰しも持ち合わせているナルシシズムのコントロールである。そんなに人間、終始格好良くはない。嫌な部分が見えて失望されることもある。しかし、相手がどう思うかは相手の領分であり、尚且つ上述した「セジ」と呼ばれる嘘もある限りは、褒めてきたって腹の底は分からないんだから、考えたって仕方はない。
面白いもので、自分は普段「へぇ〜すごいですね!」などと思ってもいない事を放り投げるくせに、いざ自分が褒められるとすぐ有頂天になり、根無しであるのも合わせて気付けば大気圏に突入して宇宙で漂っているなんて事もある。
しかしそんな事では酸素も足りないので、私達は地球にドッシリ根を張らなければならない。

自分は誰かに作られた幻想では無く、良い部分も悪い部分も持ち合わせた、確固たる「自分」である。

嫌われてもおかしくないなんて思っていると、案外色んな事が話せるもので、そうなると相手も腹を割り出すものである。

口の悪い人で嫌われている人も勿論いるが、好かれている人間もなかなか多いものである。これは腹を割って、聴いていて痛快なのである。

しかしこれが「格好良くいなければ」なんてすましていると存外話しはつまらないことになり、なんだアイツ斜に構えやがってなんて思われかねない。そんなことでは折角無理に格好つけて嫌われるなんて目も当てられない状況である。好かれようと嘘を重ねれば、行くはペテン師詐欺師と信用されなくなるであろう。

好かれたい、という感情は至極当然である。
嫌われたくないものだ。
しかし、全く嫌われないで生きることは難しい。
生きていれば誰かに嫌われるのだ。
そんな当然の事に一喜一憂していては、本道から逸れに逸れて、何もかも見失ってしまう。

私はと言うと、これを読んでいる君にさえ「嫌われている」と思っている。

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