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短編小説『神が居ぬ間に』
※ゆきんさんからのTwitterリプライ「10月のある国(ない国)」よりー
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10月。
我が国ニッポンでは全国津々浦々の神々が総出で本殿を留守にして出雲に集まり、月末異国では先祖の霊が家に帰るなどと、なかなかスピリチュアルな月である。
科学が信仰されて久しい現代。
私も科学信仰者の一人であった。
神などいないと思っていた。
しかし。
前置きはこの辺で、話を始めよう。
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「そういうわけで留守にするから頼むよ」
「ところで出雲に集まって何をするんですか?同窓会的な?」
「おいおいおいおい困るなそんな。これも大事な仕事なんだぞ、縁結びだ縁結び。全国の男女、最も男女とも限らんが、いや待て男を先にするななんて声もありそうだから、ここは女男か。うーむ、そうすると女難と掛かってしまうか、これはこれは。まぁそんなこたぁ良い。どこをくっつけてどこを別けるか、我々が慎重に話し合って決めておるのだ。君の結婚だって、いつか私がちゃーんと決めてきてあげるから」
「彼女いない歴=年齢なのですが…」
「それは君、まだその時ではないのだよ。おっといかんいかん、バスに乗り遅れる。神界のバスは渋滞がないから定刻通りなんだ。それじゃ失敬」
一本下駄がカコンと気味よく鳴って神は露と消えた。
瞬間移動よろしく消えてもバスに乗るのか、と思った。
1週間ほど前のこと、コンビニの前でアイスを食べていたら、なんとも時代錯誤な風体、着物に一本下駄の男が物欲しそうにこちらを見ていた。仕方なくもう一本買っていたアイスを渡すと、実に美味しそうにシャクシャクと食べた。そしてこう言った。
「決まりだ。君が私の代理だ」
神様が留守の間に代理を立てるなんて聞いたことがなかった。というか、そういう事は神主とかの仕事ではないのだろうか。まぁ別に暇を持て余した学生ニートなのだから、別段困ることもないのだが。彼女もいないし。バイトも休みである。
拝殿に横たわってみる。
「敷地にいれば何してても良いよ。極力拝殿辺りにはいて欲しいけど」と神は言っていた。
それから塩と清酒を渡してきて、
「念の為にね、何かあったら使いなさい」
とも言っていた。
静けさ。
なんだか不安になってきた。
もしかしてとんでもない事を引き受けてしまってないだろうか。
拝殿の隅に漂う暗闇が動いた様な気さえした。
不安な時間を進ませるために目を閉じて仮眠に興じようと思ったが不安で眠れぬ。
指定された期間、10月10日から17日までの間、18時から翌朝まで、夜警が如くここで番をする。
「旧暦の10月じゃないんですか?」と訊くと、
「今時旧暦でいちいちカレンダー確かめてたら面倒じゃないか。我々も時代に順応するのだよ。私もしっかりアップルユーザーだし」
と最新のスマートホンを見せびらかされた。
「基本何もないから」
神の言葉が頭の中をこだまする。
「基本」。
この晩は無事にやり過ごし、翌朝帰宅した。
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明日、神が帰ってくる。
この数日なんの変哲もない夜を越え、「基本」を謳歌した。拝殿は初日こそ多少不気味ではあったものの、慣れればなかなか良いものである。
自宅に山と積んだ本から数冊持参して読書に耽った。
日々の喧騒から離脱し、久方ぶりの静けさを私は楽しんでいた。
しかし、そんな細やかなる「基本」も終わりを告げることになる。
突然扉が開き、宵闇の奥から強烈な風が飛び込んできた。
持っていた本のページは勢いよく捲れ、積んでいた本は飛ばされ、湯呑みは吹き飛び、茶が床を汚した。
慌てて床を拭こうと近くに置いたタオルに手を伸ばすと、その手を誰かにしたたか踏みしめられ、私は小さく叫んだ。
革靴だ。
見上げると、小柄で華奢な男が立っていた。
20代だろうか。幼さの残る顔は陶器の様に白い。
外国人の様だ。喪服の様なダークスーツに身を包み、冷めた眼差しを私に向けた。
ーここから失せろー
声ではなかった。私の頭が勝手に何かの翻訳を始めたかの様だ。
ーさもなくばー
手の甲に更に圧力が掛かる。
どう見ても私より小さく華奢な体躯だが、この手の甲一点を踏みしめられただけで、私は身動きが取れず、悶絶するばかりだ。
跳ね除けようと試みるがまるで歯が立たない。
あまりの痛みに、私のなけなしの攻撃性が顔を見せる。
踏まれていない方の手で、相手の膝に向けて拳を打ち出す。しかし読まれていたようだ。
拳の先が膝に触れる前に、私の顎が勢いよく蹴り上げられる。意識が遠のく。しかし手を踏まれていることによって、定位置に戻される。頭が揺れ、視界がホワイトアウトする。戻ったそばから今度は鼻っ柱に蹴り込まれる。
鉄の味が頭の奥に広がる。
私の下に転がっていた本が赤く染まっていく。
まだ読み終わってないのに。
緊急事態に対して、人は案外どうでも良いことを心配するものだ。これでもまだ死ぬとは思っていない。
ーここから消えると約束すれば放すー
なけなしの反骨心を砕かれ、痛みと恐怖に敗北し、私は頷こうとした。
その時である。
重く鋭い音が私の頭上をかすめ、手の甲からは体重が消える。私は床に倒れ込んだ。
紫色のマフラーの様なものをクビに巻きつけた屈強な男が、自身の身の丈程の十字架を振り回している。
先程の喪服男は必死にそれを避けている。
蹴られ過ぎて頭が壊れたのかもしれない。
そんなあり得ない光景を目の当たりにしながら、自分の出来ることを探し始める。日本人の馬鹿らしい生真面目さ。
涙でかすんだ視界の隅に、塩の袋、清酒の瓶が転がっている。したたか踏まれたこと、蹴り上げられ、蹴り込まれたことの怒りが、情けなさとのコントラストでじわじわ湧いてきていた。
痛む手で塩を、痛まぬ手で清酒が持つ。
喪服男が十字架男の攻撃を避け、着地した瞬間に塩で目を眩まし、清酒の瓶で頭を思い切り殴りつけた。
瓶が割れ、喪服男は叫んだ。割れんばかりの恐ろしい悲鳴が拝殿に響き渡る。甲高い女性の絶叫の様にも、雄叫びの様にも聞こえた。
そして、十字架が喪服の男の胸に深く深く突き刺さっていく。喪服男は青い炎に包まれた。
私はへたり込み、意識を失った。
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「いやはや、すまなかったねえ」
そう言って神はカカカと笑った。
「笑い事じゃないですよ。怪我も酷いんですから」
と手の甲を見るが綺麗なもんだった。鼻もまっすぐである。
「傷なんてないじゃないか」と神は笑う。
「あの2人はなんだったんでしょう?」
神は一瞬考え、
「まぁ君には苦労をかけたからね、土産話だ話してやろう。君はハロウィンを知っているかね?」
「勿論。お盆みたいなやつですよね?」
「まぁ現代においてはそんな風だが、その昔悪魔を呼び込む儀式としても有名だったのだよ。未だに悪魔崇拝者の間では、ハロウィン時期に儀式を行う者もいる。しかし衰退し始めているのもまた事実。そうなると、彼ら悪魔も力が弱まる。そんなハロウィンを危惧して、昨晩のあやつは新天地を探し、いや悪魔に新天地という言葉は何か釈然としないが、まぁ良い。そういうわけでここ日本に流れてきた。そして、神が本殿を空ける期間、つまりこの神無月である10月に乗っ取りを計画してここに来たらしい。他の本殿も襲撃に遭っておる。まぁ幸い、他も守がちゃーんと働いてくれたようだがな。」
「貴方は全部知ってたんですか!?」
「まぁそういう噂はあったが、噂でしかなかった。日本は平和ボケで危機に疎いからな。その辺は神も人間も変わらん。お国柄だ」
「呑気なもんですね。じゃああの十字架男は?」
「ああ、あやつか。あれも随分派手にやってくれたな。お陰で拝殿を直さねばならない。あやつは海の向こうの悪魔祓いだよ。国を跨いで追ってくるんだから、なんだか銭形警部を彷彿とさせるよなぁ」
「神様、ルパンとか観るんですね」
「神様じゃなかったら泥棒が夢だったよ」
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拝殿も魔法かなんかで直すのかと思いきや、大工仕事が始まり、まんまと手伝わされた。
「イエス君も大工だったんだよ」
神様はかんなを掛けながら言う。
着信音が鳴る。神様のだ。帯の隙間からスマートホンを取り出す。
「私だ…暇を持て余した…遊び。カカカ、して要件は?うむ、おやおや、そりゃ穏やかじゃないな。うーむ、しかしそれぞれがまた本殿を空けて加勢に参れば、そのまた隙を突かれるかもしれない。例の悪魔祓いは本国に帰ったのだろう?うむ、うーん。仕方あるまい。承知した。ではまた」
「誰ですか?」
「隣ブロックのリーダーだ。やはり先の襲撃で乗っ取られた本殿があるらしい。ところで君は、ここを守るのと、他に加勢に行くのと、どっちが良いかな?」
「もう勘弁してほしいです」
「君の結婚は私に掛かっておるのだがなぁ」
神は顎をさすってにやける。
「職権濫用だ」
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しかしながら、しっかり付き合わされてしまうのは私の性分である。
そして、私には「神がいない」時などなくなった。