河合塾、京都、女子

浪人生活の最後、受験の直前に志望校を変えてしまい、それも筑波大学の情報学類から一橋大学の社会学部へという突拍子もない鞍替えをしたものだから当然のことながら落ちてしまい、行先が決まらないまま予備校の寮を引き払ってから田舎の自宅に戻って、自棄になって遺跡発掘のアルバイトとかしていたんだけど、父親が「静岡大学の理学部の二次募集があるから受けてみろ」と言い出し、どれどれと見てみると確かに募集が出ていたが、5名くらいしか募集していない。二次募集なんてすごい倍率になるから受けるだけ無駄だと諦めていたが、やることもないし(遺跡発掘のバイトで筋肉痛だし)、受けてみることにした。

そんなわけで、1986年の3月某日、僕は三島から静岡に向かう新幹線の中にいた。静岡駅に到着する車内のアナウンスがながれると、座ってたので気が付かなかったが、どの席からも同い年くらいの冴えない学生風情がむくむくと立ち上がって、こいつらみんな静大の二次募集受けるのか、と焦った。そんななか、ただひとり女子が混じっており、学生風情たちがチラチラと盗み見するほどきれいな女子だった。そういえば大学生になったら女の子と付き合ったり、サークルをエンジョイしたり、楽しいこといっぱいやるんだ、と思ってったっけ。大学落ちるまでは。そんなこと考えたらこのあと試験がとてつもなく憂鬱になってきた。まだ続くのか、浪人生活が。

静岡大学行のバス停は着ぶくれした浪人生でごった返していて、どう考えたって一台、二台のバスに乗れる人数ではなかった。いや、本当は現役生だっていたんだろうけど、君たちもう九割九分浪人でしょ4月から。(僕が受験する数学科は定員5人に200人以上が応募していて気持ち悪くなるくらいの倍率だったし、他の学科はもっと倍率が高かった)

さて、浪人生はあとからあとから増え続けるがバスは来ない。東京の浪人生活ですっかり満員電車が嫌になっていたので、浪人生満載のバスに揺られるのはもっと思いやられる。そうだ、タクシー使おう、と思い立った。もしかしたら試験はもう始まっているのかも。この状況でどうやって他人を出し抜くのか、一歩も二歩も先にいくのか。よし抜け出そう!

と思ったら「あれ、河合塾で一緒だったよね?」と男の子に声をかけられた。振り返るとそういえば見たことのある顔で、話したことは無いけど、同じ授業を受けてた人だ。試験はもう始まっている、出し抜かなくちゃと思ったけど、いや待てよ、割り勘にできるな、と、こんな時に考えなくてもいいことを考えて「タクシーで行こうと思っているんだよね。」と誘ってしまった。彼は「いいね、いいね。だったらさ、あの子も誘おうよ、あの子。」彼が視線を送った先には新幹線で一緒だった女子がいるではないか。いよいよ美しい女子。もうどうせまわり知らない人ばかりだし、構うものかとスタスタと女子に歩み寄りつつ「一緒にタクシーで行きませんか!」と声を張った。するとささっーと人込みが割れて、女子と僕が対面する格好になった。その後、何年かしてテレビで流行ることになる、とんねるずのカップル作る番組みたいな感じで。でも、

「お願いします」と言ったのは僕ではなく女子の方だった。少しだけ「え」と戸惑いを見せたあとキリッとした表情で。今の女子だと「ウケる」とか「キショい」とか言っちゃうんじゃないだろうか。しかしエライのは自分だ。浪人生活ほぼ一年間、女性といえば寮の管理人のおばさんくらいしか話したことなかったのによくやった。そこへ、

「ほな僕も一緒させてもろてもいいですか」とやたらと身体の大きい関西弁(タクシーの中で京都出身とわかった)の男の子が声をかけてきて、なんだかよく分からない四人組ができあがった。僕がタクシーを止め、京都が前の座席、女子が後席の一番奥、僕が真ん中、河合塾が後席手前というフォーメーションで乗り込んだ(レディー・ファーストだからね)。タクシーの中で何を話したのかよく覚えていないのだが、京都と河合塾と僕は同じ数学科を受けることが分かったとたん、急に重い雰囲気になってしまった。「頑張ろう」と言ったって本心は「お前には頑張ってほしくない」だし、タクシー組が全員合格することなんて確率的にあり得ないんだから、もう何を話していいやら。でも、女子は生物学科を受ける、というのが僕らの救いだった。京都も河合塾も、自分だけまんまと合格して生物学科の女子と「受かってよかったね」とキャンパスで巡り合うところを想像をしているはずだ。僕も想像した。

4月になってもまだ自分が大学生になれたのが不思議でしょうがなかった。河合塾の先生に電話して合格の報告をしたとき、タクシーで一緒になった彼のことをそれとなく聞いたら、二次募集もだめで二浪することにしたそうだ。数学科には京都もいなかった。そして生物学科には女子もいなかった。

二次募集で受かる人というのは共通項があるのだろうか、数学科の悪友、石原君と縣君は二人とも二次募集組でよくドライブに行ったり下宿で飲んだりした(当時、僕はお酒が飲めた)。2回生か3回生かのとき、やっぱり下宿で三人で飲んでいた時に受験の時の話になった。僕らは数学科の中でも成績は下の方で、あの激戦を生き残った二次募集組とは思えなかったから、「俺たち、よく受かったよな」というたぐいの話になるんだけど、石原君が「そうや、思い出した、」

「新幹線ですごくきれいな女の子と一緒で、バス停まで同じやったから、この子も受けるんやーと思ってドキドキしてたら、」

え?

「バス停で、”僕らとタクシーで行きませんか”って声かけてきたやつがおって、」

ええ?

「その子連れていきよった。あいつ腹立ったな。しかも入学してみたら、その子はおらんし。あの子、どうなったんやろ。」

河合塾、京都、それと女子。今どこで何しているんだろうか。あの日、四人でタクシーに乗って静岡大学に行ったこと、覚えているかな。

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