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長い

自己紹介でも書いてみようと思い立ってカタカタしてます。
少しずつ書きすすめておりました。
誰が見るの?とかは自分でも思っていますが一旦はそこは考えずで。

まずは略歴から

1997年3月 爆誕
次男坊として産まれました。
素敵な名前だねとよく言われます。
素敵なものを素敵と思える素敵な人が近くにいる人生になってます。
両親よ、いつも産んでくれてありがとう。

ベビー期
歩き初めるのも遅い、話し初めるのも遅い。
ヨーグルトしか食べない。
全食事をヨーグルトに混ぜて食べていたみたいです。
世話焼かせヨーグルトバブでした。

幼稚園期
家の近くの幼稚園に通う。年少で先生に初恋。
将来はパイロットになりたかった、幼稚園に飛行機の滑り台があったから。
お絵描き、折り紙が大好きでした。
年長からは小学校受験の塾に行ってたそうです。
パパ お月さまとって!って絵本と仮面ライダーが好きだったな。

小学校1-3年期
小学校受験には合格したものの、合格者のくじで落ち公立にいきました。
住んでたところは割とゲットーで、周りはちびっこギャング。
衝突もしましたが、何とか上手く立ち回っていました。
学校終わりは家で図鑑読んで、絵描いて、昼寝してとあまり友人と外に行ったりはなかったみたい。
習い事はくもん。嫌だった記憶も好きだった記憶もない。

小学校4-6年期
お遊びサッカー、絵画、くもん、ドラムを習っており
そこに追加で中学受験の塾が増える。
後に塾だけが残り塾人間になっていく。
THE勉強は好きではなかったけど、勉強の必要性を感じてはいたと思う。
あと純粋に知識が増えて世の中のことが分かっていく感じも好きだった。
今思えば小学生らしい生活ではないし、なんであんなに頑張ってたのかは謎。
そして残念ながら10代の勉強のピークはここ。
卒業文集には建築士になりたいって書いた。
なってないよ!惜しいところまでは行った!

中学期
受験を終え、第一志望には落ち、国立の中学へ。
小学校あがりの人もいる学校だったが和気藹々としている学校だった。
塾で一緒だった人も多かった。
部活はサッカー部に入った。同級生より先輩とつるんでた。
学校ではうるさくて目立っていた方だったと思う。2年生の時は毎日怒られてた。
音楽とファッションに目覚めたのもこの頃。
RAD、銀杏BOYZ、ホルモン、スリップノット、レッチリ、、、
例をあげればキリがないが、おれが一番かっこいい音楽を聴いていると思ってた。
貯めたお金握りしめて、ビブレに洋服買いに行ってたな。
一番かっこいい洋服を着てると思ってた。
恋愛も本格始動。
今思うと、健全でおこちゃまだったけど、あれなかったら拗れたヤバいやつになってたかもと思う。高校男子校行くし。
相変わらず塾には行っていて、成績はそんなに悪くなかった。
そんなに勉強した感覚もないけど中学受験の貯金で上手いこと中位の成績だったんだと思う。

高校期
受験を終え、第一志望には落ち(3年ぶり2回目)、私立男子校へ。
親元も離れ、寮生活。
中学校あがりの人もいる学校で、男子校だからなのかサッパリとしている学校だった。
中学あがり4クラス、高校からが2クラスだったけど割とすぐ馴染めた。
寮が学校敷地内だったので、家=学校=友達みたいな感じ。
毎日一緒学校行って飯食って騒いで寝る感じ。
全国、主に九州出身の友人が沢山できた。もれなく変なやつ。
部活はサッカー部をすぐに辞めた。楽しくやりたかったけどキツかった。
文化祭でやるバンドを組んでいてドラムをやっていた。ワンオク、androp、9mmとかの曲をやってた。
みんな、アイドルかアニメにハマってたけど、おれは音楽とファッションが加速した。同様にハマってるやつがいたおかげでもある。
毎月雑誌買って、回し読みして、お風呂に入りながらあれカッコよかったよなとか言ってた。
恋愛は通常の高校生と比べれば、あんまり何もしてなかったかな。
ゼロじゃなかったけど、純愛とか青春とかじゃない。
性器に脳みそが搭載されているお年頃のやつ。
田舎寮生活の男子高校生じゃ無理もない。リビドー役満。
勉強面は、周りが圧倒的に優秀だった。
おれはそんなことはなく、美大受験を企てるも「妥協になるなら辞めろ」と言われ、妥協じゃないぞ!と言い切れず浪人。
地元で何者でもない1年を過ごすこととなる。

浪人期
何者でもない1年のスタート。
今となっては意味があったと思える1年だった。
浪人生としてやりきったとかじゃなく、悩んだり考えたりする時間が無限にあったこと。
何者でもない時に無限に時間があったのはとても良かったと思う。
悩み抜いて美大に行くと心を決めてからはほぼほぼ遊んでた。
学力的には余裕だったし、フラフラしてた。
彼女もできちゃったりしたし、タバコも覚えた。
そして東京に行こうってのもずっと前から漠然と決まってた。
父親も一時期東京にいたし、兄貴も東京にいたし。
東京が通過儀礼。みたいな感覚だった。

大学期
晴れて東京の美大生。建築学科に入る。
ここでも友達はすぐにできた。
先輩が仲良くしてくれた。
軽音サークルとフットサルサークルに入る。
軽音サークルは派手な飲み会に馴染めず、すぐにやめた。
バイトは居酒屋ホールスタッフ。飲みに行ったりもしないし、お給料はほとんどを洋服に使っていた。狂ってた。
そんでもってDJをはじめる。スタートはモテたいとかだったと思う。
でもダンスミュージック好きの先輩たちからの手解きもあり、純粋にダンスミュージックが好きになる。
モテたいなんて通り越し、好きなジャンルの音楽を浴びるように聴けるクラブが好きになった。お酒はぼちぼーち好きになった。
そのときに色々な友人ができた。
DJ活、クラブ活してたら大学に行けず留年。
親は「友達大切にすれば、友達倍増だね」とだけ。
友達倍にして卒業もすると誓いました。
大学4年から友達がオープンした古着屋で働いた。
色々とめちゃくちゃで、怒ったり病んだり踊ったり。
総じて楽しい思い出ではある。またやりたいとは今のところは思わない。
コロナでお店は終焉を迎えてしまった。
大学期間の恋愛は1年くらい彼女がいて1年くらいふらふらしての繰り返し。
人生の夏休みって皆んな言うけど、多分もっと休んでた。
地元に戻りたい感覚は大学後半から薄っすらとあった。
コロナで古着屋を閉めたあと、父親に地元に帰ることを打診されて地元へ戻る。

社会人期(現在5年目)
地元へ戻り、実家住み子供部屋おじさん。
父親がボスの広告関係の会社に入る。
月-金 9:30-17:30 仕事が残れば適宜終わるまで。
帰ってきてからできた友人は、古着屋関係かクラブ関係が多い。
DJも誘ってもらったらやってる。今は1年近くやってないけど。
休日に会うのは、古着屋関係の友人か誘ってくれる中学時代の先輩や旧友。
休日は何か予定が入ればラッキーだなと思って暮らしているので、基本的に前もって予定が入っていることはない。誘われたら、そんなに断ってないかも。
何も予定がなければ、古着屋行ったり本読んだり甥っこと遊んだり。
休日に実家にいても何だか落ちつかないので、用事がなくても出かけてる。

こうして今の私が出来上がりました。
随時アップデート中。
プロフィール帳的なのも一応。

生年月 1997年3月
血液型 O
性格  ENFP
趣味  美術、服、音楽
得意  楽しむ
苦手  真っ暗闇

好きな食べ物 うに、いちご
好きな動物  犬、猫、ペンギン
好きな色   有彩色はみどり、水色
好きな場所  安全な高いところ
好きなスポーツ サッカー
好きな映画  フォレスト・ガンプ
好きな言葉  素敵

以上です。
駄文長々と失礼いたしました。





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