山田社長2__サイズ小_

強い責任感で事業計画書をつくったらクビに・・・日本ビルケア創業の想い

日本ビルケア株式会社は、代表の山田が2001年に創業したビルの外壁改修工事を主とする建設業の会社です。建設業界で長く仕事をしてきた山田ですが、なぜ会社をつくったのか。創業者・山田の想いをご紹介します。

自己過信による信頼喪失

山田は、大学卒業後、福岡地場のゼネコンに就職し、その後東京本社の会社に転職、東京へ。部門を任される立場になるなど経験を積み、40歳のときに福岡に戻ってきました。
東京では事業部長も務め、80名程の部門のマネジメントなどを経験し、自信を持って福岡に戻り、建築関係の零細企業に入社しました。それまでの経験や知見を生かし、会社の課題解決に奔走する中、「もっと会社をよくしたい」という強い責任感で事業計画を作成し、社長に提案しました。しかし、会社のためにと思って作成した事業計画は、当時の会社の実態に配慮しない自己過信した提案であったため、社長を激高させ、信頼を失い、解雇を言い渡されることになってしまいました。

集めた仲間も解雇に・・・

しかも、「連れてきた社員と一緒に出ていけ」と言われたのです。実は、以前勤めていた会社の仲間4人に声を掛け入社してもらい、チームをつくって仕事をしていたのです。その仲間も一緒に解雇に…。
皆、再就職先もままならず右往左往し、どうしたものかと、山田は解雇を言い渡された翌日に東京に飛びました。前職の上司になんとか彼らを雇ってもらえないか相談しに行ったのです。しかし、返ってきた言葉は「君がやればいい」と。会社設立の提案を逆にされたのです。

仲間を路頭に迷わすわけにはいかない

当時、もしこの4人の仲間を連れてきていなければ、自分自身は解雇された後はまたどこかに転職をしていたと語る山田ですが、自身の責任でもあり、大切な仲間を路頭に迷わすわけにはいかないと決意し、創業することとなったのです。

東京から福岡へ帰る際、すぐさま書店で会社のつくり方が書かれた書籍を購入。帰りの機内で読んだとのこと。
そして、帰福後、早速4人に会社をつくることを話し、「どうする?」と聞くと、皆、「ついていく」と言ってくれたのです。こうして、解雇を言い渡された2日後には会社設立の登記をし、日本ビルケアの歴史ははじまりました。

すべては大切な仲間のために

創業のきっかけがそうであるように、今でも山田の想いはすべてここにあります。

「大切な仲間のために」

社員みんな、大切な仲間。
会社として大切にしている考え方の中に、「会社の永続発展は、共に働く仲間のため。お互いの人生を大切に考え合い、共に成長と幸福を実現しよう」ということがあります。価値観を共有し、仲間が大切にすることを大切にし、共に成長と幸せを願う。経営者である山田はもちろん、今では私たち全員が大事にしていることです。

私たちはこれからも、仲間を大切に日々の仕事に取り組んでいきます。

画像1

画像2


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?