古巣との対戦を迎えるクレイ・トンプソンと球団レジェンドを迎えるウォリアーズ
明日アメリカ時間11/12の火曜日に、クレイ・トンプソンが古巣のウォリアーズと対戦するために移籍後はじめてサンフランシスコに戻ってきます。ステフ・カリーとドレイモンド・グリーンと共にダイナスティーを築き、10年以上主力選手として活躍してきた選手の古巣との対戦だけあって、通常の古巣との対戦よりも話題性が高くなっていると思います。
その対戦について普通の試合だと考えているクレイと、感傷的になりそうなウォリアーズのクレイへの想いが対照的で面白かったので紹介します。
まずはクレイにインタビューをしたANDSCAPEのマーク・J・スピアーズ殿堂入りレポーターの記事から
クレイ・トンプソン:「ゴールデンステート・ウォリアーズ時代を振り返っても意味がない」
ウォリアーズとそのファンにとって、4度のNBA優勝を誇るクレイ・トンプソンが火曜日に戻ってくる試合は、チーム史上最高の選手のひとりを称える瞬間になりそうだ。
だが、新たにマーヴェリックスのガードとしてプレイするトンプソンにとって、古巣との対戦が特別なものであるような様子はない。
「その章はもう終わったんだ」と、トンプソンは日曜日夜のデンバー・ナゲッツ戦での122-120の敗北後に語った。「ここで勝つために全力を尽くしている最中なんだ。ここに素晴らしい機会があるのに、何かを懐かしむことに意味はない。振り返る意味もないんだ…。私は前を向かなきゃいけない。ここで自分の最高を出すようにしなきゃならない」
ウォリアーズは最近、ステフィン・カリー、ドレイモンド・グリーン、アンドリュー・ウィギンス、そして現在ワシントン・ウィザーズに所属するジョーダン・プールに新たな契約延長を与えてきた。一方、2019年から2021年まで怪我で欠場していたトンプソンは、昨シーズン契約延長が可能であったにもかかわらず合意することができず、6月にフリーエージェントになった。昨シーズン、オールNBAチームに2度選出されたトンプソンはウォリアーズで平均17.9得点を記録したが、これは2012-13シーズン以来の最低の平均得点だった。ウォリアーズとの契約交渉が停滞した後、34歳のトンプソンは7/1にマーヴェリックスと3年$50Mの契約を結んだ。
退団にあたり、最も残念だったことについて尋ねられると、トンプソンは「正直、特にない。そんなもんだ」と答えた。
ウォリアーズは2023-24シーズンにプレーオフ進出を逃したが、マーヴェリックスはルカ・ドンチッチとカイリー・アーヴィングの活躍でNBAファイナルズに進出した。トンプソンがマーヴェリックスと契約したことで、彼はウェスタン・カンファレンスの覇者であるチームに加わる一方、ウォリアーズは衰退しているように見えた。
カリー、グリーン、そしてウォリアーズは、今シーズン8勝2敗と好スタートを切り、サンズやサンダーと並んでウェスタン・カンファレンスでベストの成績を誇っている。一方、マーヴェリックスは5勝5敗で、トンプソンはチーム内で平均14.2得点で3番目のスコアラーだ。
トンプソンはマーヴェリックスにとって、これが「特別な」シーズンになると確信していると語った。
「私たちには経験があり、勝つチャンスがある」とトンプソンは言った。「今は5割で並のバスケットをしてるけど、シーズンは長く、正しいタイミングでピークを迎えるのが大事だ…。前に進み続け、感情を保って、進むべき道を歩むことが必要だ。顔に笑顔を浮かべ続けるべきだ。シーズンは長い。私たちは特別なシーズンを過ごすチャンスがある」
カリー、トンプソン、グリーンはNBA史上最も成功したトリオのひとつで、ウォリアーズで4回のNBAタイトルを獲得し、レギュラーシーズンとプレイオフで合計518勝を挙げた。3人でのプレイオフ98勝は、ESPN Stats & Informationの調査によれば、NBA史上3人組のプレイヤーグループで3位にランクインしている。
では、トンプソンはカリーやグリーンと連絡を取っているのか?
「私は集中してる。そうでもない」とトンプソンは言った。「会う時に会う。それだけだ」
トンプソンは、そのユニークなキャラクターでベイエリアのファンに愛された。試合後の記者会見では、紙飛行機を折ってレポーターに投げたり、ブルドッグのロッコとともにバブルヘッド人形として登場したりした。また、「キャプテン・クレイ」というニックネームもあり、ウォリアーズが2019年にオークランドからサンフランシスコのチェイス・センターに移転してからは、サンフランシスコ湾をボートで渡って試合に向かう姿が定番となっていた。
トンプソンは、ベイエリアで恋しいのは「水(Water=海など)」だけだと語ったが、火曜日の試合にボートで向かう予定はないそうだ。
ウォリアーズは火曜日のマヴス戦を「キャプテン・クレイに敬意を表する夜」と呼び、トンプソンの紹介前に1分間のトリビュートビデオを流す予定だ。カリーがトンプソンに敬意を表してスピーチを行う予定で、試合に訪れるファン全員にウォリアーズのロゴが入った白い船長帽が配られ、トンプソンへの敬意を表す演出が行われる。ウォリアーズは将来的にトンプソンの背番号11を永久欠番にする計画も立てている。
「とても楽しみにしているよ」と日曜日にウォリアーズのヘッドコーチであるスティーヴ・カーは言った。「私たち全員がそうだと思う。とても感動的な瞬間になるはずだ。ファンもそれを楽しみにしているし、クレイの姿を見るのが待ち遠しいと思っているはずだ」
「ファンにとってはいいことだと思う。だから、称賛に値することだ」と日曜日にトンプソンも言った。
偶然にも、火曜日の試合はウォリアーズとマーヴェリックスにとって今シーズン初のNBA杯の試合でもある。トンプソンはインシーズン・トーナメントの2年目に期待を寄せていて、12月にはベガスでファイナルフォーが開催される予定だ。
「もちろん一緒に戦った人たちと再会するのはいいこと」とトンプソンは言った。「でも自分にとってはただの11月のレギュラーシーズンの試合だ。ただ、NBA杯の影響が大きいのは確かで、それが頭の片隅にはあるし、勝ちたいと思っている」
ウォリアーズによる多くの計画や予想される盛り上がりにもかかわらず、トンプソンは自分がそういったイベントに気を取られることはないと思っている。また、トンプソンは今回の復帰で感情的になるとは思っていないと言った。
なぜか?
「私はずっとバスケットボールをやってきた。バスケットボールはバスケットボールだ」
続いては、The Athleticのアンソニー・スレイターによる記事の抄訳です。
ウォリアーズによるクレイ・トンプソンの伝説的な瞬間の思い出
火曜日の夜にクレイ・トンプソンが築き上げたダイナスティーの本拠地であるサンフランシスコのスタジアムで、ベイエリアでの彼の伝説を象徴する最高の瞬間が称えられる。しかし、その瞬間はサンフランシスコ湾を越えたオークランドのオラクル・アリーナの最後の夜に生まれた。
あの時、トンプソンは2本のフリースローを成功させた後、ディフェンスに戻ろうとした。しかし、それは予定通りではなかった。スティーヴ・カーはデマーカス・カズンズにファウルを指示し、パスカル・シアカムに2本のフリースローを与え、トンプソンが膝を検査するためにベンチに戻れるようにした。カーの横を通り過ぎる時、トンプソンはこう言った。「2分くれ」
彼は4Qの開始に試合に戻る決意をしていた。
「その時にACL(前十字靭帯)のテストをしたんだ」とカーは言った。「私も大学でACLを切ったから、トレーナーがそれなのかすぐにわかるのを知っている。足をテーブルに置いて、特定の方向にひねるとすぐにわかるんだ。瞬時に分かるんだ」
4Qが始まる頃、トンプソンがもう試合に戻れないとカーに伝えた。トンプソンはアリーナを松葉杖で去り、試合終了のブザーが鳴る前に、近くの病院で検査を受けた。ウォリアーズはトンプソンがいなくなった時点で85-80でリードしていたが、その後リードを失い、試合とタイトルを失った。
「正直、彼が怪我しなければ、シリーズを勝っていたと思っている」とカーは言った。「ただ、そう信じるしかないんだ。トロントを否定するわけじゃない。彼らは勝るチームで、それに相応しかった。怪我も試合の一部だ。でも私はいつも、クレイが健康だったら、俺たちは勝ち抜く方法を見つけていただろうと思っている。なぜなら、あのチームはそういうチームだったからだ」
しかし…
「ACLの後の数年間は、彼のプライムのはずだと思う」とカーは語った。「あれがクレイの最高の状態だっただろう。彼が精神的にそれほど苦しんだのは、その理由の一部でもあると思う。彼は自分のプライムが怪我によって奪われたことをわかっていたんだ。彼は本当にゲームの頂点にいた。だから彼が苦しむ姿を見るのは本当に辛かった。時には悲嘆にくれていた。去年でさえ、それは辛いものだった。私にとって、彼は怪我と向き合うのが本当に難しかったように見える」
トンプソンは2019年のACL損傷から数週間後に5年のマックス契約を結んだ。それは、球団にこれまで多大な貢献(そして経済的価値)をもたらしてきた生きる伝説への相応の報酬だった。その次のシーズンの大部分、トンプソンはほとんどウォリアーズから離れてリハビリに励んでいた。リック・セレブリーニの目の届かないところでのリハビリだった。セレブリーニはチームの信頼される医療判断者だ。
トンプソンは後にそれがミスだったと認め、2022年2月に、2020年に復帰予定の1か月前、ロサンゼルスでの非公式ピックアップゲームでアキレス腱を切った時、通常のプレー体重より10ポンドほどオーバーしていたと話していた。
「自分のやり方で、自分の道を進もうとしてみた」とトンプソンは2023年に語った。「それが裏目に出たんだ。本当にひどく。だから私はリックのところに這って戻った。謝罪してね」
トンプソンは2回目のリハビリ過程では、より出席率が高く、勤勉で、忍耐強かった。
契約延長交渉は昨シーズンの前に停滞してしまった。報道された2年$48Mのオファーの信憑性については異なる意見がある。トンプソンはフロントオフィスやオーナーシップから、フランチャイズの伝説的選手を引き止めるための本気の熱意を感じたことは一度もなかった。夏が訪れると、ウォリアーズは他の優先事項を追い求め、トンプソンは彼らにもう一度再交渉に戻る機会を与える前に球団から離れる決断をした。
カーは2月にはルーキーのポジェムスキをスターターとして起用するようになった。この降格はトンプソンに痛手となり、今でもその傷は癒えていないようだ。プレシーズンにダラスでそのことを聞いた時も、彼はその件について話したがらなかった。「過去の話はしない」とトンプソンは言った。
「コーチとして、振り返って『ああ、こうしておけばよかった』とか『あの時こう言えばよかった』と思うことは常にある」とカーは言った。「だけど、夜眠れなくなるようなことはない。みんなの人生やキャリアの道筋はそれぞれ違うんだ。クレイがダラスに行く決断をしたのは正しいと思う。ここ数年の彼の様子を見てきて、彼には新たなスタートが必要だったと思う」
カーとレイコブが先週のインタビューで明らかにしたように、トンプソンのウォリアーズでの終焉が彼の偉業に影を落とすことはない。彼は記念碑的な選手であり、火曜日には盛大に迎えられるだろう。フランチャイズは、観客全員に「キャプテン・クレイ」ハットを配る予定だ。
レイコブが最初にトンプソンを記憶に留めたのは大学時代のことだ。レイコブはスタンフォード大学の大ファンで、スタンフォードの試合を観戦している中で、ワシントン州立大学のスターだったトンプソンが21得点を挙げてマップルズ・パビリオンで勝利を収めたのを見ていた。 「当時、息子のケント(現在はフロントオフィスに所属している)はまだ若かった」とレイコブは言った。「彼が私に言ったのを覚えているよ。『もしクレイ・トンプソンを指名しなかったら、二度と話しかけないから』とね」
レイコブがフランチャイズを支配したのは2010年の終わりだった。最初のドラフトでの指名権11位の指名は2011年6月にやってきた。その時、ジェリー・ウェストがフロントオフィスに加わり、大事な人事の決定に関わるコンサルタントとして採用されておた。これは初期の大きな瞬間だった。レイコブとウェスト、そして他のメンバーは、トンプソンのワークアウトを見にカリフォルニア州トーランスに行った。
「彼がほんの5分くらいやったところで、ジェリーが『この選手だ!』って言ったんだ」とレイコブは振り返る。「私は『たった数分見ただけだよ』って言ったんだけど、ジェリーは『この選手だ。それがすべてだ』と断言していた。もしかしたら彼のシュートやフットワークが気に入ったのかもしれない。まさにジェリーらしい瞬間だった」
また、2014年の夏にケヴィン・ラヴがトレードで獲得可能になった時、トンプソンをトレードに出さないように強く主張したのもウェストとカーだった。それはリーグ史上、最も成功した「非トレード」決断のひとつとされている。トンプソンはすぐにNBAで最高のシューティングガードのひとりへと成長し、カリーの完璧な相棒となった。そして翌年6月に彼らは初優勝を果たした。
「みんなトンプソンの凄まじいシューティングと、プレーが無意識的であるような性質を知っている」とカーは言う。「彼とステフに共通している要素だ。キャプテン・クレイやチャイナ・クレイといった楽しいキャラクターとしても知られているけど、クレイがどれほど殺気に満ちた競争心を持っているかを知らない人も多いと思う。それこそが最終的に彼をチャンピオンにしたんだ」
レイコブが最も記憶に残る夜は、予想通りのあの試合だった。2016年のオクラホマシティでのゲーム6。ウォリアーズはそのシリーズで3-2と追い込まれ、さらに4Qに入る時点で8点のビハインドだった。トンプソンは4Qで19点を挙げ、試合で11本の3ポイントを決め、41得点というパフォーマンスでウォリアーズを窮地から救った。彼がロッカールームに戻ってくると、レイコブはトンネルで彼に一礼を捧げた。その写真をレイコブは、トンプソンがダラスに移籍する際に別れのメッセージのひとつとして贈った。
カーが何度も語り直すトンプソンの話は、2017年のファイナルズでの事だ。ゲーム1の1QでJR・スミスがトンプソンに激しくぶつかり、痛々しい高い足首の捻挫を負った。さらに、トンプソンは膝が太ももに直撃するという事故もあった。
「彼はスリーブか何かをつけていて、それを取ったら、黒と青と黄色になっていて、まさに、通常のシーズンなら少なくとも2週間は欠場するような怪我だった」とカーは言う。「でも彼は1分も休まなかった。私にとって、クレイの競争心は最も過小評価されている特質だと思う。彼の全盛期、ボールの守り方、そしてオフボールでの動き方は素晴らしかった。ステフと彼は、NBAで1試合あたりの走行距離が最も多い選手たちだった。彼の体力、体格、そしてケヴィン・ラヴやそれに似た大きな選手たちに対してポストで守る能力、これを成し遂げるには素晴らしいアスリートであることが求められるし、結果と最高レベルでの勝利に対して必死にこだわりを持っているからこそできることだ」
ウォリアーズはチャリティーで毎年ポーカーイベントを開催している。その中でさまざまなアイテムをオークションにかけるのだが、ある年、トンプソンの有名なボートでベイを渡り、彼の家から練習施設までの移動を共にするというアイデアが浮かんだ。レイコブがその提案をトンプソンに聞いたとき、少し不安があった。
「彼は即座に、『もちろん、やりたい』って言った」とレイコブは振り返った。「彼は本当にその提案に興奮していた。私はその時、ちょっと驚いた。誰かのプライバシーや個人の空間、時間に対する侵害だと思ったから。」
オークションの夜、入札は熱狂的だった。終わりに近づくにつれて、2人の出席者が価格を急上昇させ、このボートライドをどうしても手に入れようとしていた。入札が最終的に$250,000に達し、イベント記録となったとき、レイコブはトンプソンに近づいた。
「これを…2回やってくれないか?」とレイコブは聞いた。トンプソンは「Yes」と答えた。
「それでチャリティーに$500,000が寄付されたんだ」とレイコブは言った。「彼は素晴らしい心を持っている。本当にいい人だ。それが私が彼についていつまでも覚えていることだ」
トンプソンとカーは6月の終わりにマンハッタンビーチで朝食を共にした。カーはサンディエゴから車を走らせてきた。彼はトンプソンに、すべてがまだ不確定な状況ではあるが、自分は彼を大切にしていて、彼を戻したいと伝えたかった。契約の状況について少し話をした後、カーはウォリアーズでの未来について現実的に話した — それはおそらく、変わる役割、時にはベンチからの出場もあり得るということだった。
「朝食の終わりに、彼はこう言ったんだ。『もう、時が来たと思う。私はダラスに行くつもりだ』と」とカーは言った。「私は理解したよ。完全に理解した。時には新たなスタートが健康的なこともある。彼にとっては正しい決断だったと思う」
ウォリアーズの多くの関係者は、この移籍が起こることを予測しており、数ヶ月前からそれを私的に予想していた。レイコブはそれが驚きだったと主張している。フロントオフィスは、フリーエージェンシーで市場の評価額を彼にオファーし直す計画だとほのめかしていた。
「正直言って、驚いたよ」とレイコブは言った。「数年前に、もしウォリアーズを離れることなんてあり得ないと思っていた1人を挙げろと言われたら、おそらくクレイが最もその可能性が高いと言っていただろう」
その現実は実現しなかった。トンプソンは火曜日の夜、ダラス・マーヴェリックスのユニフォームを着てウォリアーズと対戦する。
「No.31(のユニフォームを見る)のは変な感じだ」とカリーは言った。「嫌だな」
「これは、私がここにいる間に経験した中で最も感情的な瞬間の一つになると思う」とカーは言った。「彼の復帰戦よりもさらに感情的になるだろう。彼がバナーを掲げ、アリーナを建てるのを手伝い、みんなに愛されてきたことへの感謝があるからだ」
「今日話していることのいくつかは、秘密ではない」とレイコブは言った。「みんなは両サイドで何が起こったのか、ある程度理解している。でも、彼がフランチャイズにもたらしたものは取り去れない。正直、オーナーとして私にとってはとても大切だ。彼は私たちが初めてドラフトした選手だ。私は口だけではなく、彼は本当に息子のような存在だった… 終わり方がどうであれ、どう終わらなかったとしても。そんなことは関係ない。これは大切な瞬間だ。大切な日だ」