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レイカーズ特集!!

昨日、世紀のトレードでレイカーズに移籍したルカ・ドンチッチが古巣であるマーヴェリックスと対戦したため、NBA界隈ではかなり注目を浴びていた試合だったと思います。TNTでの試合も、視聴者数が開幕から最多の250万人を記録し、盛り上がりをよく表しています。そのため、各媒体でもドンチッチとレイカーズについての記事や投稿が普段よりも多く見受けられました。

今回はその中からいくつかの記事等を紹介します。

(*訳は重要と思われる部分だけ抜き出しているので、内容すべてに興味がある方はリンクからオリジナル記事に飛んでください。尚、記事が有料の場合がありますので、ご了承ください)


まずは、ここではもうお馴染みになってきたESPNのラモナ・シェルバーンの記事から始めたいと思います。

ルカ・ドンチッチのトレードが世代を決定づける理由 —— マーベリックス、レイカーズ、そしてNBAにとって

ニコ・ハリソンが着ていたスーツは、誰の目にも止まるようなものだった。おそらく「エレクトリック・ブルー」と表現するのが最適だろう。

ダラス・マーヴェリックスのGMである彼は、10分間ミッドコートに立っていた。そこは、わずか3週間前にロサンゼルス・レイカーズにトレードした世代を代表するスーパースターからおよそ15フィート離れた場所だった。そして、彼はただそこに立ち、周囲にその姿をさらしていた。

もしルカ・ドンチッチにとって、自身のキャリア、そしてNBA全体を揺るがすリーグ史上最も衝撃的なトレードの当事者に何か言いたいことがあったのなら、この瞬間がそのチャンスだった。

火曜日の夜、クリプト・ドットコム・アリーナにはすでに何千人ものファンやメディア関係者が集まり、その場面を見守っていた。大多数の人々はスマートフォンを取り出し、その光景を撮影しようとしていた。レイカーズ側のコートでウォームアップをするドンチッチ。その約15フィート先、ミッドコートのスコアラーズ・テーブルによりかかっているハリソン。

しかし、ドンチッチは1度も視線を上げることなく、ハリソンを無視した。ウォームアップ中も、試合中も。ハリソンがマーヴェリックスのベンチのすぐ後ろに座っていた時でさえも。そして試合後にそのことを聞かれた時も。

「彼には気づかなかった」ドンチッチは、ドン・ドレイパーも顔負けの皮肉を込めて言った。

このNBA史上最も衝撃的なトレードは、世界最高の選手のひとりに対する公然かつ私的な拒絶だった。彼のワークエシック、チームカルチャーへの影響、そしてバスケットボール選手としての将来性に対する拒絶だ。

ドンチッチはトレード後の数週間、ショック、悲しみ、怒りの間を行き来していたそうだ。彼が毎日ロサンゼルスでの仮住まいであるホテルに帰って婚約者と幼い娘とともに過ごす日々は、どれほど自分の人生が一変したのかを思い知らされる時間になっていた。

このトレードは、マーヴェリックスにとっても、ハリソンにとっても、レイカーズにとっても、そして何よりドンチッチにとって決定的な瞬間だった。この先2のレギュラーシーズン6試合が、彼らのレガシーとNBAの未来を形作っていくことになる。

「偉大な選手たちもトレードされてきた」マーヴェリックスのヘッドコーチであるジェイソン・キッドは試合前にそう言った。「これまでトレードされた選手たちを見ても、彼らは前に進み続けた。もちろん、怒りもするだろう。人間だからね……。でも、トレードされることもあれば、カットされることもある。その後どう対応するかが、すべてを決める。私はルカが大丈夫だと信じている」

それでも、ドンチッチ自身が認めるように、彼にとってこれほどの拒絶を経験したのは初めてだった。

「気持ちの整理には時間がかかると思う」レイカーズが107-99で勝利した試合後、ドンチッチはそう言った。「理想的ではないが」

そのプロセスが、火曜日の夜に最初の節目を迎えた。

「この試合が終わってよかった。」ドンチッチは言った。「いろんな感情があった。でも、少しずつ前に進んでいく。毎日少しずつ良くなっている」

ドンチッチにとって、この試合は自分を拒絶した人々や球団と向き合う機会だった。レイカーズにとっては、新たなスターを支え、受け入れる場となった。

この夜、ドンチッチはマーヴェリックスを無視することを選んだ。彼をトレードした責任のある人たちをも無視した。彼はプレーで語ることにした。19得点、15リバウンド、12アシスト。レイカーとしての初のトリプルダブルだった。

「正直、終わったのがただうれしい」とドンチッチは言った。「本当に変な時間だった。何をすればいいのかわからないような感覚だった」

カイリー・アーヴィンは、トレード後もドンチッチと連絡を取り続け、何よりも彼のメンタルを気にかけていた。彼はルカを守らないといけない感じになっている。

アーヴィンは言った。「彼はこの変化があるとは思っていなかったと思う。だからこそ、彼はより深く感情を揺さぶられているんだと思う。拒絶、強い言葉だと思う……でも、時にはそう感じることもある…人は、悲しみのプロセスを経験しなければならない。でも、NBAの世界ではそんな言葉はほとんど使われない。『タフでいろ』と言われるだけだ。みんなはただ次のページをめくって乗り越えろと期待する。現実は、私たちも人間なんだ」

ルカ・ドンチッチのハリウッドデビュー:レイカーズの新時代とNBAの未来
火曜日の夜、試合開始の数時間前。ナイキは1本の広告を公開した。

その映像には、鮮やかな紫色のレゲーラが登場する。ナンバープレートは「77」、そしてそれがテキサス州からカリフォルニア州へと変わる。そのバックには、ジョージ・ストレイトのカントリーヒット「All My Ex's Live In Texas(俺の元カノはみんなテキサスに住んでる)」が流れる。そして、キャッチコピーは、「Full Tank, No Mercy(満タン、容赦なし)」。
まさにロサンゼルスらしい派手な演出だった。そして、それはドンチッチの新たな旅の幕開けを象徴していた。

試合前、その紫色のレゲーラはクリプト・ドットコム・アリーナの外に停まり、さらなる話題を呼んだ。このような華やかな演出が行われるのは、やはりロサンゼルスだからこそだ。そして、ドンチッチのトレードが発表された瞬間から、この「ハリウッドデビュー」の舞台は完璧にセットされていた。

ドンチッチ自身も、新たなステージを受け入れる準備を着々と進めている。まず、ロサンゼルスの山火事復興のために$500,000を寄付した。そして、火曜日にはアリーナ近くの駐車場の料金を払い、ファンのために「先着順・無料駐車場」として提供した。

こうした動きは、ドンチッチがロサンゼルスでの未来を真剣に考えていることを示している。現在の契約では、2026年にフリーエージェントとなる可能性がある。ダラスに残っていれば、彼は5年345Mのスーパーマックス契約を手にする資格があった。しかし、レイカーズでは、今年の夏に4年$229M延長契約、あるいは来年の夏に5年$296Mの契約を結ぶことが可能だ。

もちろん、レイカーズが優勝争いをするためには、ドンチッチを支えるための適切な戦力を揃える必要がある。これは、マーヴェリックスが5年間試みながらも達成できなかった課題であり、レブロン・ジェームズの引退後はさらにむずしいものになるだろう

そして、最大のポイントは、ドンチッチとレブロンのケミストリーだ。

これまでの試合を見ても、ふたりは時に交互にオフェンスを仕掛け、まるで2010年のマイアミ・ヒートにおけるレブロンとドウェイン・ウェイドのようなプレースタイルを見せている。しかし、ある瞬間には、まるで10年間一緒にプレーしてきたかのように息が合う。

この特異なバスケットボールIQの融合こそが、レイカーズの未来を決めるだろう。

一方、この歴史的なトレードを複雑な感情で見守っていた人物がいた。元マーヴェリックスのオーナーであるマーク・キューバンだ。

キューバンはこの試合をコートサイドで観戦した。その足元には、ルカ・ドンチッチのシグネチャーシューズ「Luka 1」 が光っていた。

ドンチッチがボールを持つたびに、キューバンはわざと大げさにブーイングを送った。すると、一度だけドンチッチが振り返り、微笑みながら言った。「Shut up、マーク」

試合後、ESPNのティム・マクマホンがキューバンに「ルカを敵として応援する気分はどうだったか?」と聞いた。キューバンは答えた。「大嫌いだった」


続いてはThe Athleticのサム・エイミックの記事になります。

ルカ・ドンチッチが、彼をトレードした決断がなぜひどいものになるかもしれない事をマーヴェリックスに見せた

ニコ・ハリソンは、そのチャントを聞いていた。

もちろん、彼は聞いていた。

ルカ・ドンチッチをトレードするという判断が、NBA史に残る大失敗として語られるかもしれないダラス・マーヴェリックスのGMであり、火曜日の夜、クリプト・ドットコム・アリーナでの再会試合で、洗練された青いスーツに身を包み、観客の目にさらされていた彼は、皮肉たっぷりの感謝の声を避けることはできなかった。

「サンキュー……ニコ!」

ルカ・ネイションは、ロサンゼルス・レイカーズが107-99で勝利した試合中に何度も叫んでいた。

私は冗談めかして試合後に聞いてみた。『どういたしまして』って言ったかと。

「いや」と、ハリソンは笑顔を見せながら会場を後にした。

彼のビジョンが明確になってから、例えそれが居心地の良くないものになろうとも、彼はそれを実現する決断以外には目を向けなかった。そして、ドンチッチをトレードするという物議を醸した決断の中心にはコート内外での悪習があったが、彼はほとんどの人が「歴代最高クラスの選手になる」と信じている彼を手放し、代わりに年齢的にも怪我の多さ的にもリスクのあるアンソニー・デイヴィスというビッグマンを獲得するという選択した。

間違えないで欲しいのは、ドンチッチのダラスでの最後の姿を目にした人たちは、25歳の彼のプロ意識について好意的な評価をしていない。彼らは彼のことを『怠惰だ』と呼び、彼らはチーム内で常に問題視されていた体重管理の問題について話す。彼らはビールやシーシャなどを好む彼の社交的な習慣についても言及する。それは彼が19歳でレアル・マドリードのスター選手としてドラフトに入る頃からNBA関係者の間で懸念されていたポイントだった。彼の健康面の経歴を挙げてバスケットボール選手としての終焉を予測する声もあり、「今後5年以内に深刻な問題に陥るだろう」と見る人たちもいる。

しかし、ドンチッチと共に過ごしてこなかったフロントオフィスのエグゼクティブたちやコーチ、スカウトたちにとっては、このトレードの正当化は全く理解できない話だった。

ここはNBAだ。エゴのマネジメントは常に求められる要素のひとつであり、「優等生」ばかりを揃えることは不可能だ。

才能が全てではないが、ドンチッチのような「超越的な」選手は極めて貴重であり、最大限に生かすためのあらゆる努力が払われるべきだ。アレン・アイヴァーソン、マジック・ジョンソン、シャキール・オニール、ビル・ウォルトン、ラリー・バード…彼らもまた、何らかの問題を抱えていたが、同じように才能を認められ、受け入れられていた。

このリストは間違いなく長く、コービー・ブライアントや彼のアイドルだったマイケル・ジョーダン(彼もまたコート外での問題を抱えていた)ほどの基準を満たせる者はほとんどいない。

このタイプの選手について語ったあるリーグソースの言葉がすべてを物語っている。

「マネジメントするんだ」


レイカーズのオーナーであるジーニー・バスが、リッチ・アイゼン・ショーにゲスト出演し、ドンチッチのトレードについて語っていたので、少しだけ紹介します。

ジーニー・バス:「私の立場では、リーグの中に『あの選手が自分のチームで持てるなんてありえない』と思うような選手たちがいる。ただ不可能なんだ。そういうスター選手はドラフトで獲得しない限り、普通は動かない。チャンスが巡ってきた時、私たちはアンソニー・デイヴィスをトレードしようとは考えていなかった。彼には信頼があった。(私たちは)ルカを獲得するために多くを手放さなければならなかった。振り返ると、最後に生きていたコービーを見たのは、彼が亡くなる約1か月前だったのを覚えている。彼はルカのプレーを見せるために、ジジをレイカーズの試合に連れてきた。ジジのお気に入りの選手はルカだったから。ルカが今レイカーになったという事に、コービーとジジがどれだけよろこんでくれるかはわかっている」


続いては、レイカーズからマーヴェリックスにトレードされてからはじめてロスに戻ってきたアンソニー・デイヴィスがトレードされた時の事を語ったインタビューです。

「彼(レブロン)とは6年間チームメイトだった……だから、最初にやりたかったのは彼に電話することだった。もちろん、フロントが私と話す時にはいろいろな政治的なことが絡んでくるのはわかっている。フロントはやるべきことをやらなければならないし、球団にとってベストな決断をするのは当然だ。だから、私はどこまで本当のことを聞かされていたのかはわからない。上層部から出てくる話のどれが真実で、どれが違うのかもわからないんだ。
だから、私としてはずっと一緒に戦ってきたパートナーのところに行って、何が起きているのかを確かめたかった。それだけだったよ。私たちは話をした。それだけだ」


最後は、ESPNのデイヴ・マクメナミンの「ルカ・ドンチッチがロサンゼルス・レイカーズに加入してからの最初の24日間」。お楽しみください。

ルカ・ドンチッチがロサンゼルス・レイカーズに加入してからの最初の24日間

2月1日、彼はダラス・マーヴェリックスからレイカーズにトレードされることを知らされ、3日後にはレイカーズの新たなスターとして紹介された。その間、まさに怒涛の展開だった。

日曜日の夜、ドンチッチはプライベートジェットでマキシ・クリーバーと一緒にダラスからロサンゼルスへと向かった。このトレードにクリーバーも含まれていたのだ。空港でレイカーズのBOVP兼GMであるロブ・ペリンカが彼らを迎えた。その後、ドンチッチはビバリーヒルズのウォルドルフ・アストリアホテルへ案内され、彼の元チームメートであり、これから彼のプレーをコールすることになるレイカーズのヘッドコーチであるJJ・レディックが深夜訪問をした。

月曜日の朝8時、ドンチッチはUCLAで徹底的なフィジカルを受けたとそうだ。これにより、レイカーズはクリスマス以来欠場していた彼の左ふくらはぎのケガはマネジメントできると確信した。その後、UCLAからエルセグンドのレイカーズの練習場に移動し、ペリンカやレディックとさらに時間を過ごした。

その間、レイカーズは25歳のバスケットボール界の逸材を歓迎する準備を急いで進めていた。日曜日の朝、イクイップメント・マネージャーであるブライアン・クアットはサンタフェ・スプリングスにある地元のユニフォーム加工業者に連絡し、ドンチッチの背番号77のユニフォームを刺繍して準備させた(彼のラストネームの最初の「c」の上にキャロン、2つ目の「c」の上にアクセントをつける必要があり、これはかつてサーシャ・ヴヤチッチがレイカーズでプレーしていた際に「Vujacic」と表記されていたものからの更新だった。

クアットがツアーの時間までにドンチッチのユニフォームとショーツをロッカーに用意していたが、彼が見逃したものがひとつあった。それはチームオーナーであるジーニー・バスのオフィスの外にあるディスプレーケースだ。通常なら、バス一家がチームを買収して以来、レイカーズがロサンゼルスで獲得した11個のチャンピオンシップリングが輝くダイヤモンドが飾られているはずだったが、それが空になっていた。

この空っぽのディスプレーケースは2つの意味を持っていた。リングはレイカーズのブランドパートナーであるUCLAヘルスの依頼でドバイのイベントに貸し出されていた。そしてもう1つの意味は、レイカーズがスロベニア出身のドンチッチを、国際的なスーパースターとしてチームの顔にしようとする戦略を示していた。そして象徴的にはさらに強い意味を持っていた。ドンチッチこそが、このディスプレーケースに新たなリングを加える選手として期待されているのだ。

ドンチッチにとって、この怒涛の日々はその後3週間続いた。火曜日には、新しいチームが前のチーム迎え撃ち、感情的な夜になるのはまちがいない。その中で、彼のレイカーズでのスタートを特徴づける瞬間がいくつかあった。特に、レイカーズの象徴であるレブロン・ジェームズとの関係の成長だ。

2月4日、ロサンゼルス:大きなショックを受けたスーパースターと夢の実現

ESPNのソースによれば、ドンチッチはトレードに「大きなショックを受けていた」と伝えられていて、レイカーズは彼の入団記者会見を異例なシンプルなものにした。

レイカーズは華やかなイベントを演出するのが得意なチームだが、今回は、レイカーズのレジェンドたちを呼び寄せたり、ジムを紫と金の風船で飾ったり、写真撮影を繰り返したりすることはしなかった。ペリンカとドンチッチがスツールに座り、記者たちの質問に答えるだけだった。

この理由のひとつは、その日が試合日だったというのもある。その夜、レイカーズはインテュイット・ドームでLAクリッパーズと対戦することになっていたため、チームはすでにゲームモードに入っていた。

ドンチッチは、ルーキーシーズンに初めて対戦した時に、自分のユニフォームを求めたレブロン・ジェームズとチームを組むことについて質問された。彼は微笑んだ。

「まるで夢が叶ったようだ」と彼は言った。「ずっと彼に憧れていた。彼から学べることがたくさんあるし、とても楽しみだ。そして今、彼と一緒にプレーできる。最高の気分だ」

「ルカはずっと私のお気に入りの選手だった」とジェームズは試合後に言った。「私は常に正しいプレーをし、次世代に影響を与えたいと思ってきた。ルカはそのひとりだった。そして今、私たちはチームメートだ。だから、とてもスムーズにいくはずだ」

2月10日、ロサンゼルス: ルカ-レブロン時代の最初の試合

ドンチッチがレイカーズでの初戦を迎える1時間以上前、ジェームズはクリプト・ドットコム・アリーナの全18,997席に配置された金色のNo.77のTシャツの1枚を着た。

アリーナの下の方の席は空っぽで、そこにはジェームズと機材をセットアップする数人のNBAのカメラマン、そしてリバウンドを取るサポートスタッフだけがいた。ジェームズの長年の友人で右腕でもあるランディ・ミムズは、ジェームズが22年目のシーズンでも優位性を保つために早めの練習を取り入れていると言った。「私たちは彼らがフロアを組み立てるのを見ているんだ」とミムズは、ジェームズとともに準備のセッションで時々会うアリーナ作業員たちについて話した。

このワークアウトは印象に残るものだった。ルカの父であるサシャ・ドンチッチは、ジェームズの自分の技術への献身に感嘆したそうだ。そして、元マヴスのチームメイトを応援するためにその夜のレイカーズ対ジャズ戦を観戦していたダーク・ノヴィツキーも、ジェームズがNo.77のシャツを着ていたことに注目したそうだ。ジェームズのような歴代屈指の選手がドンチッチに敬意を示していることは大きな事だと認識していた。

レイカーズは前半に72点を許し、試合は大敗だった。

ドンチッチは試合勘が鈍っていて、フィールドゴールが5/14(3ポイントは1/7)と苦しんだ。

試合前、ジェームズとドンチッチはテキストメッセージを交わし、ジェームズは自身の定位置であるスターティングラインナップ最後の紹介をドンチッチに譲ることを申し出た。そして試合前の円陣で、ジェームズはさらに踏み込んだ。「ルカ、自分ファッキン自身でいろ」とジェームズは叫びながらレイカーズの選手たちと手を合わせた。「フィットインするな、フィット・ファック・アウトしろ」

ドンチッチは言った:「あのスピーチの後、鳥肌が立った。このチームの一員になれたことがうれしい」

2月12日、ソルトレイクシティー: 敗戦の中でも見えた魅力的な可能性

オールスター休暇が翌日に迫る中、ジェームズとドンチッチはこのユタでの試合を休むことを考えていたとそうだ。ジェームズは左足と足首を休めるために、ドンチッチは左ふくらはぎの負傷を回復させるために休養を取る選択肢もあった。

しかし、彼らはお互いとチームへの献身の証として出場を決断した。

「私はずっとアウトサイドショットとキャッチ&シュートを磨いてきた。ルカのような選手とシンクロできるようにね」とジェームズはESPNに言った。

ドンチッチがペイントに入って、ノールックのビハインド・ザ・バック・パスをキーのトップにいたリーヴスへと投げた。リーヴスはそのパスを受け取り、ワイドオープンのスリーを決めた。

「あれは美しいものだ」とジェームズは言った。「私たちのチームメイトたちが、つねにピンポイントでパスを出そうとしているルカや私のようなふたりを持つ事は、私たちたちにとって有益になると思う」

2月13日~18日、オールスター休暇: 「ビースト」の目覚め

ジェームズはサンフランシスコで行われたNBAオールスターゲームに短時間だけ顔を出したが、左足の負傷のために初めて試合には出場しなかった。一方、ドンチッチはルーキーシーズン以来初めて選出されなかった。

ドンチッチはメキシコのカボ・サン・ルーカスへ向かった。「正直、少しバスケットボールの事を考えたくなかった」と彼は言った。

しかし完全に離れたわけではなかった。ロサンゼルスに戻ってきたドンチッチの顔は日焼けしていたが、それはビーチだけの影響ではなかった。レイカーズのアシスタントコーチ、スコット・ブルックスがカボに同行し、毎日2時間のワークアウトを行っていたとソースは言った。さらに、ドンチッチはホテルのジムでウェイトトレーニングにも励んでいた。

ドンチッチは公にはダラス・マーヴェリックスが彼の体重やコンディションについて批判的なリークを繰り返していることに言及しなかったが、彼に近いソースは「それらのコメントがモチベーションになった」とESPNに言った。「彼の中でビーストが目覚めた」

2月19日、シャーロット: 「私には明らかに時間が必要だ」

オールスター・ウィークエンド明けのレイカーズの初戦は、1月のロサンゼルスの山火事の影響で延期されていたシャーロット・ホーネッツ戦の代替試合だった。

その試合はホーネッツが100-97で勝利したが、ウィリアムズが原因ではなかった。

レイカーズ全体のオフェンスが機能せず、3ポイントは15/51(ドンチッチは1/9)、ターンオーバーは18(ドンチッチは最多の6)を記録した。

ユタとシャーロットでの敗戦がオールスター休暇の前後を挟む形となったが、ドンチッチは新しいチームとともに戦う覚悟を示した。

「ここにいられてうれしい」と彼は言った。「これは世界でも最高のクラブのひとつだ。ただ、ここにいれてがうれしい。私には明らかに時間が必要だが、レイカーズを代表することにはハッピーだ」

2月20日、ポートランド:「私たちは全員、自分のゲームを変えなければならない」

ポートランド・トレイルブレイザーズとのロードゲーム2連戦の2試合目、ドンチッチが欠場する中、ジェームズがレイカーズを110-102の勝利に導いた。40歳を超えて40得点以上の試合を複数回記録したのはNBA史上初めてのことだ。

ジェームズは、試合当日にしっかり休息を取れたことがエネルギーの源になったと言った。彼は、チームが午前4時にホテルに到着した後、正午まで睡眠を取り、その後、左足と足首の治療を受け、さらに数時間の睡眠を確保した。

「彼はクリスマスからずっと欠場していたし、本人も言っていたけど、バスケットボールをはじめてからこんなに長く欠場したのは初めてらしい…でも、私たちがここで最終的に彼と目指しているチームになるためには、彼がボールを持たなければいけないし、彼が私たち全員を配置しなければいけないし、自分自身でいなくてはいけない。私たちがNBAで見てきたルカの7年間、私たちはそのルカを求めている」

「だから、私たち全員が彼に合わせて自分のゲームを変えていく必要がある。ただ、それも一晩では成し遂げられない。それは分かっている。でも、私のメッセージはずっと、『ただ自分でいろ。私たちに合わせる必要はない。私たちがあなたと一緒にやれるようにする』というものだ。彼が必要とするものなら何でもサポートする」

レイカーズがポートランドに宿泊することになったため、ジェームズは試合後、ドンチッチの予定を確認した。

「なあ、ドン」と、お気に入りの映画が『ゴッドファーザー』であるジェームズが、そのマフィア映画にインスパイアされたニックネームで新しいチームメイトを呼びかけた。「今夜はどこに行くんだ?」

「寝るよ」とドンチッチは答えた。「寝なきゃいけない」

2月22日、デンバー:クォーターバック、ワイドレシーバー、そして大きな勝利

ドンチッチとレイカーズにとって、デンバーへの遠征は難しいものだった。
レイカーズはデンバーで8連敗中で、最後に勝利したのは2021-22シーズンの最終戦だった。ドンチッチもダラス時代に4連敗していて、最後に勝利したのは2022年12月6日だった。

試合開始直後、彼のプレーが試合の流れを決めた。最初の試合と同じように、ドンチッチはジャマール・マレーのシュートミスをリバウンドすると、ペイントエリアから見事なアウトレットパスをジェームズに通した。ボールは完璧なタイミングでジェームズに届き、簡単なダンクにつながり、レイカーズは4-0とリードした。

「私は生まれつきのワイドレシーバーで、彼は生まれつきのクォーターバックだから、相性は完璧なんだ」とジェームズは言った。

ドンチッチは2Q終盤にもジェームズへのロブパスを決め、ジェームズはこれをダンクで仕上げた。

「彼との初めてのアリウープを決められてうれしいよ」とドンチッチは試合後に言った。「次は彼が私にそうしてくれる」



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