
OKCサンダー特集!!
オールスター休暇を折り返した時点で、オクラホマシティー・サンダーとクリーブランド・キャヴァリアーズが44勝10敗とトップ争いを繰り広げていました。昨日サンダーがウルブズにOTで敗れたため、トップのキャヴァリアーズと1ゲーム差がついてしまいましたが、現在ネット・レーティングではサンダーが12.6とリーグトップ、ESPNのBPIで優勝確率43.2%とタイトル獲得最有力候補になっています。しかも、サンダーはスターティングセンターでDef-EPMがリーグ4位のチェット・ホルムグレンが復帰し、更に既にリーグ断トツトップのディフェンスに磨きがかかると予想されます。
今回はそんなサンダーのヘッドコーチであるマーク・ダイグノールト(ラストネームのDaはデではなくダと発音し、Lはリダクションしないので、ここではダイグノールトにしています。見慣れないかと思いますがご勘弁を🙏)が、どのようにしてフロリダ大のアシスタントからサンダーのヘッドコーチになったのかを描いた記事「ビリー・ドノヴァンのフロリダ時代のスタッフからNBAオールスターゲームのコーチへ:マーク・ダイグノールトの軌跡」を紹介します。
(*訳は重要と思われる部分だけ抜き出しているので、内容すべてに興味がある方はリンクからオリジナル記事に飛んでください。尚、記事が有料の場合がありますので、ご了承ください)
ビリー・ドノヴァンのフロリダ時代のスタッフからNBAオールスターゲームのコーチへ:マーク・ダイグノールトの軌跡
マーク・ダイグノールトは15年前、MBAを取得するためにフロリダ大学にやってきたが、キャンパスでの仕事が保証されていたわけではなかった。
シカゴ・ブルズのヘッドコーチを務めるビリー・ドノヴァンは、ゲインズヴィル(フロリダ大がある場所)での伝説的なキャリアの終盤に差し掛かっていて、フロリダ・ゲーターズをNCAAチャンピオンシップ連覇に導いたばかりだった。そのオフシーズンに、ラリー・シャイアット、ロブ・ラニア、リチャード・ピティーノという3人のアシスタントがチームを去った。ドノヴァンはその空席を経験豊富な候補者で埋めたが、プログラム内でのさらなるサポートが必要だった。彼の親友のひとりであり、プロヴィデンス大学時代のチームメイトだったライアン・フォードは、ホーリークロスで一緒にコーチをしていたデイグノールトと親しくなっていた。そして、フォードが彼らを引き合わせた。ドノヴァンはダイグノールトを下級スタッフとして採用したが、NCAAのルール上、彼は練習中にコートに立つことすら許されていなかった。
「彼は最初、ほぼボランティアのような形で働き始めたんだ」とドノヴァンは言った。「いろいろなプロジェクトをこなしていた。練習計画をつくったり、個々の選手とフィルムを見て分析したり、働きまくっていた」
このことが、何よりもダイグノールトを今の舞台へと押し上げたきっかけだった。現在の彼は、NBAコーチ・オブ・ザ・イヤーを受賞し、リーグ首位のオクラホマシティ・サンダーを率いるヘッドコーチでありながら、まだ比較的無名な存在でもある。40歳の誕生日を迎えるまであと数週間という若さながら、すでにNBA最高のヘッドコーチのひとりと見なされている。
ダイグノールトはよく「自分の人生を100回やり直しても、この結果になるのは1回だけだ」と話している。
当時のサンダーは、まだオクラホマシティでの歴史が浅いチームだった。GMのサム・プレスティーは、ケヴィン・デュラント、ラッセル・ウェストブルック、ジェームズ・ハーデンを3年連続でドラフト指名するという偉業を成し遂げたばかりだった。そして、次なるトッププロスペクトのひとりが、ブラッドリー・ビールだった。プレスティーとサンダーは、ビールを注目選手のひとりとしてリストアップし、彼をスカウトするために何度もゲインズヴィルを訪れた。そして、その過程で彼はフロリダ大学のプログラム自体にも感銘を受けた。
オリヴァー・ウィンターボーンは当時フロリダ大学のスタッフを務めていて、NBAにステップアップすることを目指していた。プレスティーがゲインズヴィルに来るたびに、ウィンターボーンはコーヒーや食事、ちょっとした会話の場を設けた。ダイグノールトもできる限りその場に参加していた。NBAでのキャリアを夢見ていたわけではなかったが、プレスティーのリーダーシップやカルチャーづくり、業界全般についての視点に興味を持っていた。彼はよく手書きのメモを取っていた。ふたりは、マサチューセッツ出身という共通点もあり、強い絆を築いていった。
2015年4月、プレスティーは驚くべき決断を下した。ドノヴァンをフロリダ大学から引き抜き、スコット・ブルックスに代えてヘッドコーチにした。それは、デュラントがサンダーで過ごす最後のシーズンに向けた大きな変革だった。
2014年8月、プレスティーはすでにウィンターボーンとダイグノールトをフロリダから引き抜き、ウィンターボーンをフロントオフィスに迎え入れ、ダイグノールトをサンダーのGリーグチームであるオクラホマシティ・ブルーのヘッドコーチに任命していた。ダイグノールトがこの10年でプロの頂点に上り詰めたことを考えると、これはプレスティの見事な手腕のひとつだったといえる。
ダイグノールトは最初、この申し出を受けることに慎重だった。将来の妻となるアシュリー・カーはフロリダ大学の体操チームのコーチをしていた。ふたりはゲインズヴィルに根を下ろしつつあった。Gリーグは、今ほど華やかでも評価が高いわけでもなかったが、プレスティーの後押しと信頼が決め手となった。彼はちょうどダーコ・ラヤコヴィッチ(現在のトロント・ラプターズのヘッドコーチ)をNBAのアシスタントコーチに昇格させたばかりだった。サンダーの球団内で成長し、昇進していく道があった。
GリーグのシーズンはNBAよりも開始が遅く、期間も短い。そのため、ダイグノールトはブルーのヘッドコーチを務めた5年間、サンダーのプレーオフやトレーニングキャンプでは実質的なアシスタントコーチの役割を果たした。そのおかげで、デュラントとウェストブルックが活躍していた時代のプレーオフをプレスティーと共に観戦し、彼の考えを学ぶ機会を得た。
2016年2月、悲劇が起こった。モンティー・ウィリアムズの妻がサンダーの本拠地近くでの交通事故で亡くなったのだ。当時ドノヴァンのリードアシスタントだったウィリアムズはチームを離れた。ダイグノールトは一時的にアシスタントコーチに昇格し、その年のサンダーはウェスタン・カンファレンスのファイナルズでゲーム7まで勝ち進んだ。
2019-20シーズン前、ダイグノールトは正式にサンダーのアシスタントコーチに昇格した。そのタイミングでシェイ・ギルジャス=アレクサンダーとル・ドートがチームに加わり、デイグノールトはデベロップメント計画の中で重要な役割を果たすことになった。
その夏、サンダーは再建を加速させ、クリス・ポールとデニス・シュルーダーをトレードし、若きギルジャス=アレクサンダーにチームを託した。ドノヴァンとサンダーは袂を分かち、ドノヴァンはシカゴへと向かった。
プレスティーは2022年の記者会見でダイグノールトについての話をした。プレスティーは毎シーズン、ブルーのロードトリップに1回同行している。プレスティーはサウスダコタ州スーフォールズのベストウエスタンにいた。ジャネロ・パルゴは当時チームのNBAベテランだった。ダニエル・ハミルトンは若い有望選手だった。プレスティーはスポーツバーで彼らと一緒にいた。
「彼らは話をしていて、どういうわけか、マークのことが話題になった」とプレスティーは言った。「ジャネロは『おい、マークの言うことを聞いた方がいいぞ。彼はいつかNBAのコーチになる』と言った。それは何年も前のことで、私が『彼は私が見ているものを見ているんだ。OK』と思ったのは初めてだった。」
プレスティーは2020年11月にダイグノールトをサンダーのヘッドコーチとして雇った。彼らは彼の最初の2シーズンではあまり勝てなかったが、成長過程にいたギルジアス・アレクサンダー、ドート、ダイグノールトたちは、その時に優勝候補として芽生えた適応力、カルチャー、プレースタイルが培われたと言うだろう。
「人生がどうなるかはクレイジーだ」とドノヴァンは言った。「私たちが(フロリダで)キャンプをしていた時、彼がそこに座っていて、私に会うのを待っていたのを今でも覚えている。彼は24歳か25歳で、ただ仕事が欲しくて、無償で働くことをいとわなかった。そして、もし、『あなたはNBAのヘッドコーチになってオールスターの試合をコーチするんだ』と言ったとしたら、誰もそれを信じなかっただろう?だから、私はそれが彼とオクラホマシティーの人々、選手たち、彼のスタッフたちを物語っていると思う。彼は素晴らしい人間だから、私は本当にハッピーだ」
そんなダイグノールト率いるサンダーのシーズン後半の注目するべき記録を紹介します。
平均得失点差
サンダーの現在の平均得失点差は(per NBA)+12.6で、このままいけば歴代最高記録を更新します。
これまでの1位は1971-72シーズンのレイカーズ(+12.28)でした。次に、1970-71シーズンのバックス(+12.26)、1995-96シーズンのブルズ(+12.24)が続いています。しかも、上位6位までの全てのチームは優勝を果たしています。
しかも、その時のレイカーズとバックスはエクスパンションでリーグが14チームから17チームになり、チームのクオリティーが希薄した後の記録で、3位のブルズも同じようにチームが27から29チームに増えた恩恵を受けたもので、いずれの記録もブーストがかかっています。それを考えると、今シーズンのサンダーの強さは圧倒的です。
2ケタ差(10点差以上)の勝利数
サンダーはこれまで2ケタ差で勝った試合数は37試合にもなり、それは全試合の64%にも上ります。これまでの2ケタ差勝利数のリーグ記録は、平均得失点差記録を持つ1971-72シーズンのレイカーズの50試合になります。この時のレイカーズの2ケタ差勝利率は61%なので、このままいけば、サンダーは記録を更新しそうです。
カンファレンス・トップシード2チームの勝利数:
現在リーグ上位2チームのサンダーとキャヴァリアーズの勝利数は合わせて93で、このペースのままいけば134勝になります。これまでのトップ2チームの最多勝利数は1995-96シーズンのブルズとソニックスの136勝で、サンダーとキャヴスはその記録に迫る勢いを見せています。特にイーストの再建チームはタンキングを加速させるでしょうから、不可能な数字ではないと思います。
ちなみにブルズとソニックスはNBAファイナルズで激突しています。もし今年のプレーオフの決勝でサンダーとキャヴァリアーズの対戦になった場合、NBA史上初(per NBA.comのスタッツ)のリーグ1位のオフェンスとリーグ1位のディフェンスの戦いにもなります。すでに両者のレギュラーシーズンの対戦は終わってしまっているので、No.1オフェンス対No.1ディフェンスの戦いを見るのはプレーオフのファイナルズでしか見ることは不可能です。それを実現するためには両チームともカンファレンスのライバルたちを破って勝ち抜かなくてはなりません。はたして、今シーズンのファイナルズはどうなるのでしょうか。シーズン終盤からプレーオフまでの展開が楽しみです。
次にシェイ・ギルジャス=アレクサンダーの記録にも目を向けてみましょう。
オールインワン・メトリック
NBAにはいろいろなオールインワン・メトリックがありますが、メジャーなものを見て行くと、シェイ・ギルジャス=アレクサンダー(以下SGA)の名前が常に上位にあがってきます。これだけ縦断的にトップ争いをする選手はナゲッツのニコラ・ヨキッチとSGAしかいません。
現在EPMではSGAがトップを走っています。SGAは、PER、LEBRON、VPM、MAMBA、DPMではヨキッチに次いで2位、BPMでは7位になっています。PERに関しては、ヨキッチが自身が持つ最高記録を更新中のため追いつけないでしょうが、VPMとMAMBAは僅差で1位になれる可能性も残されています。このままサンダーがウェスト首位でシーズンを終えれば、SGAのMVPは間違いないでしょう。