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[名所散策] 鹿島神宮

ネタ集めも兼ね、訪問した名所散策を記録に残しておこうと思い立って。

まずは、超有名な、日本三大神宮(by 延喜式神名帳)の一つである鹿島神宮。自宅から近い全国的に有名な観光名所。全国に約600ある鹿島神社の総本社で、日本建国かつ武道の神様と呼ばれている建御雷大神/武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)を祀る神社。香取神宮と息栖神社と併せて東国三社とも呼ばれています。


通常、本殿は参道に対向して配置されているのだが、鹿島神宮では本殿が参道に対して直角に配置され、北方を向いている。北方地方(蝦夷)に睨みを聞かせているというのを聞いたのは、ブラタモリでだったか?


大鳥居(二之鳥居)をくぐった先にある案内板。進行方向に向かっての配置図。位置関係はいいけど、距離や施設の大きさのデフォルメがすぎます。

ちょっと縮尺がいい加減だけど…。


実際のノースアップでの位置関係。社務所が異様にでかい…。

鹿島神宮境内領域 @Google Map


昔の鹿島神宮への参拝は、船で一之鳥居(西)をくぐるところから始まった。その一之鳥居(西)は、写真左端の二之鳥居(大鳥居)から西に2km程離れた、北浦湖畔からそびえている水上鳥居となっている。潮来方面から、旧神宮橋を渡ってくれば、進行方向右側に見ることができる。因みに、一之鳥居(西)<2013年再建>は底からの高さ18.5m、幅22.5mで水上鳥居としては日本最大。


今回は、市商工会の向かいにある、平日無料の駐車場に駐車するので、一之鳥居(西)はまたの機会に。


駐車場から参道を歩き始めると、信号手前に大きな石のモニュメントがある。信号も街灯も、観光地らしく?参道チックになっている。

アントラーズエンブレムを抱いたサッカーボールが鎮座


ここから240mの参道を歩くと、鹿島神宮への入り口、二之鳥居に到着。

二之鳥居

以前は石造りの鳥居だったそうだが、東日本大震災で倒壊。2014年に境内に自生する杉を用いて同じスケールのものを再建したらしい。樹齢は500~600年物。流石一般市民が立ち入れない森。こんなところにそんな樹齢の木がまだあるなんて…。


参道を進み、手水舎を超えると、楼門がそびえたつ。残念ながら現在令和の大改修での改修中で、くぐり初めは2026年前半が予定されている。文化庁の協力もあり、今は7ケ年計画の後半。作業覆布で覆われているので、写真は撮らなかった。



楼門をくぐると、右手に拝殿と本殿が見えてくる。その奥にはご神木(樹齢1200年)があるという。本殿は拝殿の横にまで進まないと見えてこないし、ご神木に至っては、気が付かない/知らない人が多いんではないだろうか?

拝殿をちょっと通り過ぎたところから


本殿とご神木


拝殿は楼門と同じく、令和の大改修で改修工事が行われており、既に完了している。本殿は改修されていないため、屋根が苔むしたまま。


本殿や社務所を過ぎると、奥宮に続く奥参道が続く。

奥参道への入り口


参道、本殿/社務所のエリアは綺麗な石畳が敷かれているが、奥参道は踏み固められた土で、奥宮まで400mの真っ直ぐな道が続く。わずかに緩い下り坂になっている気がする。


奥参道


奥参道に足を踏み入れると、いきなり数℃体感温度が下がる。鬱蒼とした森は、荘厳な雰囲気とともに、なぜか落ち着く。森林浴効果?


奥参道に入ってすぐのところ、左側にちょっと入ると、さざれ石が設置されている。

鹿島神宮のさざれ石

日本国歌の歌詞に出てくるさざれ石。本来は小さな石という意味だったが、小石群の隙間に炭酸カルシウムや水酸化鉄が入り込み、長年かけて一つの塊になった「石灰質角礫かくれき岩」と呼ばれる岩石があり、それが『君が代』に出てくる巌(いわお)であるとして、現在ではその巌がさざれ石として認識されるようになったとのこと。日本各所、特に神社仏閣に多く設置されている。


さざれ石の横には、鹿園がある。

鹿島神宮の鹿


鹿島の鹿。鹿島アントラーズのAntlerは、鹿の枝角という意味であり、鹿島アントラーズのエンブレムもこの鹿である。

アントラーズのエンブレム


因みに、今年の天皇杯の初戦が、奈良クラブであったが、奈良クラブのエンブレムも奈良だけあって鹿(ちょっとリアル)であり。対戦は鹿対決と言われた。辛くも勝利したけど。

奈良クラブのエンブレム


奈良の鹿は鹿島の鹿が由来されている説もある。これは、春日大社建立の際、建御雷命が鹿島神宮から白鹿に乗ってきたとされ、そのお供が居着いたというもの。実際は、そういった歴史的史書の記載から春日大社周囲で鹿を神聖視した結果、現在のように野生のシカと触れ合える国内唯一の場所になっただけだろう。


奥参道を400m歩くと、奥宮に到着する。

奥宮

令和の大改修にて回収された奥宮。武甕槌大神の荒魂が祭神とされている境内摂社。こちらも参道には対向せず、直角に北方を向いている。


奥宮の裏に回ると、綺麗になった屋根に、避雷線が見える。鎌倉時代の大火事(原因は不明)の際にも、本殿と奥宮は燃えなかったようだが、近年の天候以上を考えると、落雷対策は必須だ。

奥宮を裏から。きれいな屋根と避雷線


奥宮の裏を更に進む(奥参道月当たりを右に進む)と、200mほどで要石に着く。

要石

昔、地震は大鯰が起こすとされ、要石はその大鯰を押さえつける地震からの守り神として信仰されたもの。手前に見える凹形状の小さな石が要石。水戸藩主徳川光圀(水戸黄門)が7日7晩要石の周りを掘らせたが、穴は翌朝には元に戻ってしまい根元には届かなかったという言い伝えもある。

不謹慎ではあるが、地中レーダーで岩の大きさを見てもらいたいところ。鹿島台地の端っこでもあるので、もしかしたら本当に巨岩かもしれないし…。


奥参道から要石への脇道



奥宮に戻り、奥参道を奥に進むと急な下り坂になる。150mほどの下りを降りると、御手洗池(みたらしいけ)に到着する。

御手洗池

崖からの湧水が一日に40万L以上流れ込み、水深は1メートルほどで非常に澄んでいる。この池に大人が入っても子供が入ってもその水深は乳を越えないといわれ、鹿島七不思議の1つに数えられている。毎年1月20日(大寒)に近い土日のいずれかで、大寒禊が実施される。県内外からの200人ほどの人が毎年参加、入水している。



因みに、脚の悪い方などは、御手洗池から本殿に戻ることは厳しいかもしれない。そんな方には裏技が…。実は御手洗池側には、隠れた無料駐車場がある。表参道で平らなエリアを探索したのち、戻ってこちらの駐車場に車で移動すれば楽しめるし、下りが大丈夫なら、誰かに回ってもらえばOK。ほとんどの人は知らないんじゃないかな?

御手洗池側の境内入り口にも大きな鳥居がある。これも東日本大震災で倒壊し、現在は新たに設置されている。


境内には他にも弓道場や武徳殿、多くの摂社があるが今回はスルー。


それほど急いで歩かなくても、ゆっくり回って50分程度の散策。ちょっとした息抜きにはとてもいい場所で重宝しています。

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