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高専4年~大学院までの6年間の費用を、ほぼ自費で賄った件

一応、35年以上前の話です。今は参考にならないかも…。旧世代のオヤジの回顧なので、ご容赦ください。

結論から言えば、
バイト代を充てた(高専1年~4年、学部3年)
学部では懸命に勉強した(大学院で育英会一種奨学金を貰うため)
身売りした(企業奨学金を貰うため)
   ・お祝い金100万円の存在
   ・高専4~5年までは実家通いだった
ということなんだけど。



はじめに

2025年から、条件付きで大学無償化制度が始まるらしいが、要綱を読んでみると、育英会の給付型と大して変わらない気がするんだけど…。私見だけど、高校はまだしも、大学の無償化ってどうかと思ってます。

TVなどでは、親が”教育費の負担が大きいから大変だ”という放送をよく目にする。勉強するのは親ではないし、メリットを享受するのも親ではないのに、ご苦労なことだと思う。まぁ、将来楽できると期待する親もいるかもしれない。

私は、高等教育を受けたければ、基本的には自分自身でその環境を作るべきだと思っている。幸い周囲もそういう人間が多かったので、仕送り何万じゃ足りないというTVの報道に、何ら悲観することもなかった。学費のため、一度就職して学費を貯めて入学したきた強者もいたなぁ。

35年以上前の話です。その間、物価上昇に併せて高等教育の入学金や授業料も高騰。現在、国立大学の修士課程2年間で必要な入学金や授業料は¥1,353,600-らしい。私が大学3年次に編入した時は、2年間の入学金や授業料は¥751,600-。ほぼ倍近くになっている。初任給は倍にはなっていないのにね…。最近の人は本当に大変だとは思う。が、それはそれ。


重複するけど、私は、自分自身のためであれば、自身で対処すべきだと考える人です。この考え方は高校生の時から一貫しています。まぁ、そういう風に親に仕込まれただけなんだけど…。なので、運転免許(自動車/バイク/船舶)は当然自腹だし、高校3年生以降(相当)の学費は基本的には貰っていません(※お祝いは貰いましたが)。


さて、親が仕送りしてくれなかった私が、高専/大学/大学院での学費/生活費を如何に工面したかについて述べていきましょう。


高専4/5年次の学費

感覚的には高校4/5年生みたいな感じです。クラスの面子は1年次から一切変わらない(退学/留年は別)し、3年生で卒業式もないし、受験(共通一次?センター試験?)もないので、高校生活が2年延長みたいな感じだった(授業内容は全然違う)。しかし、親からすると義務教育は終了しているとの判断。4年次の授業料の振込用紙を前に、授業料の支払いはしない旨を告げられた。

当時の授業料は、半期(前期/後期の2期制)で¥48,000-位だった記憶がある。高専はバイトOKだったので、入学して直ぐに新聞配達やファミレスでバイトを始めた。父親が常日頃(中学の頃から)、高校3年生以降の授業料は一切出さないと言っていたからだ(自分がそうだったからか?)。ただ、当時16歳でできるバイトって超低賃金(時給350~400円)だった。それでもファミレスのまかない¥100-(ステーキ以外は何でもOK)は魅力だった。

因みに運動系部活にも入っていたけど、朝練はなし、夕練習もナイター設備ないし、寮生の食事時間まで。休日は試合以外練習なかったし…。なんでバイトもできました。


併せて、通学費(バス&電車&バス)を懐に入れ、自転車で片道14kmを通ったりもしていた(親承知、通学経路がコの字だったので、ショートカットでき、大幅な時短にもなった)。月1万円くらいは節約できた(1年間継続)。原付の免許を取ってからは、親戚から譲り受けたバイク(ハスラー50)で学校に通った。通学時間が大幅に減ったことで、通学経路にあるガソリンスタンドでのバイトも始めた。バイト代もよかったし、4/5年次は交通費も出してくれなかったのでガソリンが優遇価格も嬉しかった。

そんなこんなで、4/5年次の学費は何の問題もなく余裕で支払えた。実家通いで、生活費が必要なかったこと、都度高利率だった定期預金にぶっこんだことも大きかった。


ともあれ、入学当時から、高専卒業後の進路として大学3年次編入を目論んでいた私は、実質4年間のバイト(5年次はバイトする暇なかった)で大学の入学金&前期授業料+αを貯蓄することができた。当然だが、進学を考えていたので、バイト三昧ではなく、勉強も自分なりにきちんとしていたつもり。学校の成績はそこそこいい成績だったと思う(推薦貰えたし)。その甲斐あってか、大学へ無事編入することができた。※編入確定した夏以降、反動でちょっとハメ外した気も…。


大学3/4年次の学費と生活費

私の進学先(3年次に編入)は、実家から350kmも離れており、学校近辺に親戚もいない。なので一人暮らしが確定。つまり、学費だけでなく、生活費も必要になってくるのだ。当然、自分が好きで進学して家を出たのだからと、生活費も自腹だ。

生活費は、大学のある場所で大きく変わるだろう。都会では一体いくらかかることやら…。一般的には平均すると年100万円程度と言われているらしいが、恐らく都会ではそんな金額では済まないだろう。幸いにも進学先は当時陸の孤島と呼ばれていた僻地。かなりお安く上げることができる地域ではあった。

実家を離れる際、親が編入祝いとして100万円をくれた。これは本当に助かったし嬉しかった(初めて帯付きの札束を見た瞬間)。これで、私の進学先であれば、少なくとも2年間の生活費だけは何とかなりそうな目途がついたからである。もしこれがなければ、その後の展開も変わっていたかもしれないし、留年/休学もあったかも。感謝しかない。

編入したのが、ど田舎の国立大学。編入時に使用したお金は、入学金/前期授業料/移動費/家賃などで約60万円程。生活費に関しては、今は参考にもならないだろうが、学校周辺に多数存在していた下宿(廊下共同の長屋形式、風呂/便所共同。1K6畳)の価格が激安。光熱費(電気/ガス/水道)込みで月1万4千円。なので、食費を合わせても、初年は貰った祝い金だけでも何とかなったのだ。そうでなければ成り立たなかっただろう。

周囲の環境も貧乏学生には都合がよかった。一番近くのコンビニまでなんと4km。無意味に高い買い物などできなかった。しかも周囲に街灯すらないエリア(今はかなり開発されている)で、本当の暗闇というのを平地で初めて知った場所だった。夜間の外出などちょっと恐ろしかったし、冬は道路が雪の壁て歩道がなくなり、危険なことこの上なかった。当然、不健全?な遊びの誘惑は皆無。大家さんが米農家で、ちょくちょく米をくれていたのも本当に助かった(ちょくちょく手伝いに駆り出されたけど)。

当時は、近隣域に他に大学がなかったため、家庭教師や塾の講師といった高額バイトが豊富だった。また、空いた休日に日雇いとしてスキー場の雪止めマット設置や高速道路/新幹線の工事バイト、宅配の倉庫整理なども、面白くてかつ臨時収入にもなった。

長期休暇では住込みで、学部3年の夏は海の家、冬はスキー場のバイトにもいった。学部4年になると研究室に配属されバイトどころではなく、まとまったバイトは一切できず、週二の家庭教師のみだった。


こうして書くとバイトしてばっかりのようにも見えるが、それでも力の限りバイトに励んでいたわけではなかった。これには理由があって、学部における成績上位者になるために、ある程度は勉強時間を確保するため、そうそうバイトばかりしてはいられなかったからである。『学業が本分、学部の勉強は基礎として大事』というのは確かにそうだが、所詮教科書の範疇。書いてあることの記憶と理解だけだと思ってはいる。私の真の目的は、成績上位者となり、大学院での育英会の第一種奨学金の貸与資格を得ることであった。

育英会の奨学金は、返還不要の給付型返還要の貸与型があり、貸与型には無利子有利子の2種類がある。給付型の奨学金は親の収入で判定されるので、私のように仕送りが無いとかは一切関係ない。このため給付型は到底望めない。なので、無利子の第一種奨学金を狙ったのだ。

但し、第一種奨学金とはいえ、学部(学士)までは家庭の経済状況が判定基準となるので申請すらできなかった。が、大学院(修士)は条件が異なっていた。学生課でバイトを調べていた時に、冊子でたまたま知ったのだが(当時はネットなんかなかった)、大学院では、第一種奨学金の貸与基準が、学部の成績が重視されるのだと。なので、成績上位者となるべく、生活に支障のない収入を維持しながら、懸命に頑張ったのだ。


大学院1/2年次の学費と生活費

結果、学部で頑張った成果として、大学院進学時に育英会の第一種奨学金を受けることができた。これで、返済義務はあるものの、月7万2千円を2年間支給されることとなった。2年で¥1,728,000-だ。これで卒業時には晴れて¥1,728,000-の借金確定。卒業後、国の機関や教職につかなければ、14年縛りで年12万円の返還だ。

嬉しい誤算だったのは、当時は企業奨学金がとても多く、就職を希望する職種からもいくつも募集があった。支給条件が大学院生ということもあり、進学後にすぐに申込み、6月から月7万円の支給を受けることができた。これは、入社後3年経過すれば返却不要というもの。この企業奨学金支給決定でほぼ内定をもらったも同然なので、併せて順風満帆。就職活動すら行う必要がなくなった。※高専/大学編入/大学院/会社/転職と、全てで試験といった試験受けたことない…。

こうして、なんと修士時代は月14万2千円を取っ払いで支給されていた。流石にこの金額があれば生活費は余裕。が、修士課程での研究室は厳しく、バイトを行う余裕は一切なかったので、本当に助かった。まあ、貰い過ぎ感が半端なかった(入社数年しても学生時代の手取りの方が多かった)が…。

結果、卒業時の借金が育英会から¥1,780,000-。貯蓄残高が¥730,000-。もし親からの祝い金が無く、もしくはどちらかの奨学金が得られなかったら、すんなりと卒業は厳しかったかもしれない。


こうやって経緯を数字とともに見ると、現在の高騰した入学金/学費、更には生活費高騰の中、全額自分で全てを賄うことはかなり厳しいかもしれない。本当のど田舎の大学なんて、最早なくなっていることだしね。最早いろいろな誘惑も多いでしょう。が、全額親にお願いなんて、ちょっと考えた方がいいと思うんだけどね。親の老後の生活費もあることだし。

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最後に、私は大学院にまで行ったが、行くべきか/行かざるべきかに私見を。

私自身に鑑みれば、”大学院進学は良かった"である。進学した大学で、大学院進学者に課される卒論代わりの4~5ケ月ものインターンシップは、大学院時代の研究姿勢だけでなく、別の会社の勤務形態の理解と比較にとても役に立った。複数の会社(高専でも3週間のインターン実施)を、さわりとはいえ経験していたので、その後の転職にも忌避感はなかった。

卒業時に行きたい会社を選択できたこと、入社時に所属したい部署を指定できたのも、大学院卒で、かつかなり尖った専門性を有していたからだと思う。転職時にもその専門性は非常に役に立った。勿論、利点に伴う悪影響も少なからずあるんだけれどもね。

ということで、やりたいことがはっきりしているのであれば、大学院進学はするべきだと思う。逆に、特に思うことがないのであれば行くべきではない。22-24歳の時期を自分探しで無為に過ごす必要はないからだ。そもそも大学院はそういった場所ではない。



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