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ただの心の中の私の押し問答とつぶやき(笑)

誰かと似ていることで安心する人もいる。
誰かと同じだから安心する人もいる。
誰かと似ていることが嫌で別のことしたつもりでも結局誰かと似ていることに後で気づく人もいる。

小さい頃から図体がでかい私は、食べても太らない骨と皮状態のガリガリの父といつも比べられていて、”まぁ〜おとうさんはこんなに細身なのに、弥生ちゃんは〜!お父さんの栄養までとりよるやろ?”と大人たちにしょっちゅう言われていたのだ。ある時から頻繁に言われる言葉に”笑ってごまかす”という技を身につけて行った。
誰かのことを比較して直球を投げている時、それを発してる人は一体スタイルがいいのだろうか?性格がそんなにいいのだろうか?と思ってみてしまう。大抵そういう人は人相に出ていたり、態度に出ていたりするので、そういうのを逆にまじまじみてしまう。”自分は標準だし自分はまとも”と思っているのだろうかな?!
それで従姉妹がめちゃくちゃ美人さんでね、彼女と出かけてる時も近所によく言われていた”まぁ〜!●●●(いとこの名前)ちゃんは綺麗でスタイルいいのに、こんなに違うもんかねぇ〜”と、平気で顔見て言われることもあったけれども、やっぱりそういう人の顔をまじまじみて私の心の中は”まぁ〜よく平気で人のこと比較するなぁ〜”と思っているのだ。まぁいいのです。それも私の中の人のあらゆるデーターベースになっていたので。

実はね、いまだに言われるんですよ。母と暮らすようになってからは、”お母さんは細いのにね?”と。(で?と心の中で思ってしまいますが(笑))やっぱり人って比較したがる生き物なのかなぁとその時にしみじみ感じてしまうのです。

比較することで安心するのかな?
強いて言えば、私は父方のばーちゃんに体型もやることも似ているそうですが、若干”私は誰とも違う!”と思って反発してしまう自分もいて(苦笑)、それでも誰かに似ていることが嫌だけれど、遺伝というか、繋がりがあったからということも含めて何かしら同じ社会に生きたので似てしまうのは仕方ないのかと思ってしまう自分もいる。

という心の中の押し問答をしているのである。(最近よくまた比較されるので)誰にも似てないので、やっぱりきっと私は橋の下で拾われた子なのだ(と父がいつもわたしに言っていた(笑))。いや、ちゃんと自分で生きてるのでいいのです。
要するにあらゆる角度からいろんなものの見方ができて、一方から見てる人はそう思うし、反対から見てる人はそうなんだろうし、何についてもそうなんだろうしと思うと、結局みんな一緒か。とも思うのです。誰もわからないような話の私の中での私同士の会話にお付き合いいただきありがとうございました。