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いとおかし4 正算僧都

「やきもち」


正太


 その昔、京の北、賀茂川べりに、正太という十になった男の子と母親がありました。父がいくさで命を落としたために、母が一人、わずかな畑と手仕事で、その日のかまどにやっとのことで、煙を立てておりました。
 
 ある日、お山のお坊さまがこの家をたずねてきました。亡くなった父親の友達で、いくさ続きの世の中に嫌気をさして、縁を頼って出家され僧侶となられたのでした。

「おそくなりましたが、友の遺髪をお持ちしました。それと、仏前へのお供えです。」
さしだされたのは竹包み。正太はなんだろうと、目を丸くして、竹包みを見ています。母親は深く感謝しました。

 「ありがとうございます。思わぬことでうれしゅうございます。」
「友にはいろいろとお世話になりました。お弔いもできぬままの永の別れとなりましたが、お二人のことを気にかけておられました。どうこれをお父さまといただかれて下され。」
と、お坊さまは、お厨子のかわりに薪で台をこしらえ、可愛い木仏さまを置かれました。そして、遺髪と竹包みをお供えになりました。それから、お手合わせなさいますと、母親も合掌礼拝。するとなんと、教えてもいないのに正太も仏さまに手を合わせて、深々と頭をさげたのです。

やきもち

 
 お坊さま、その様子をご覧になられて、心を打たれました。この暮らしぶりでは、さぞ、十分に食べられてはいないだろう。それならと、お供えの竹包みを早速下げられ、どうぞいただいてくださいと開けますと、そこには、「しおあん」の入ったもちが四つ。いかにも美味しそうです。
 
「これは、近頃お山でも喜ばれる、おもち、やきもちです。火であぶっていただくと、一段とおいしいですよ。」
 いわれるままに母が火で焼きますと、香ばしいいい匂いがあたりに漂う。おなかをぐう、といわせたのは、食べ盛り育ち盛りの正太です。
 
 にっこり微笑んだお坊さま。子どもだから、正太がすぐに手を出すかと思って見ていますと、正太は、母親の顔ともちとを見比べながらじっとしんぼうして、手を出さないのです。それを見て取った母が、
「お坊さま、主の供養にもなりましょうから、どうぞごいっしょにいただきましょう。」
と焼きあがった餅をすすめられ、正太にもおあがりなさいと言って、三人で一つづつ分け合いました。それならと、正太も喜んで食べました。

 お坊さまと母の二人は、正太の父親の思い出話に花をさかせます。目の前には、もちが一つ残っています。それに気が付いたお坊さま、
「正太さん、どうぞお食べなさい。」
とすすめましたが、正太は、
「もうおなかがいっぱい。母さんが食べればいいよ。」
というなり、外に出て行ってしまいました。

 ああこの子は、日ごろから自分は食べるものも食べずに、子どもに食べさせてくれている母親の苦労をちゃんとわかっているのだな、とお坊さまは感心しました。
 
 そこで、母親にこの子を自分に預けてくれないだろうか、山へ連れ帰って、お坊さんとして育ててみたいと思うのだが、と相談をもちかけました。
 

正算の誕生


 山に入れば、食べることの心配はなくなります。また、あなたも身一つなら生活も楽になりましょう。もちろん、正太さんが修行をつんで位もあがれば、里へも自由におりてくることもできるようになります。それまで五年、「可愛い子には旅をさせろ」と、私に預けていただけませんか。この子のために、お坊さんにしてみませんか。
 
 こういうご相談。いつの時代も子の幸せを親は願います。母の返事は、もしも正太が望むならば、お受けするということ。そこで、お坊さまは正太の気持ちを聞きました。
 
 正太は、日ごろから無理を重ねる母親のからだを心配していたのでしょう。「はい、それなら、お坊さんにしてください」と決意したのでした。こうして、正太は比叡山に上がり、名を改め「釈正算」となりました。
 
 大きなお寺に沢山のお坊さん。比叡のお山には見たこともない建物がいっぱいです。また、猿や鹿、猪に栗鼠など生き物があちらこちらから顔を出す。様々な野鳥があるいはさえずり、飛び回りする。木々も高く森も深いのです。夜になると真っ暗がり。その中にお寺のお灯明だけが、あかあかと仏さまを照らしています。
 
 入山してもしばらくは、童子・小僧の仕事は、山道辿って水くみや、師匠のお世話など、朝から晩まで雑用です。その合間に少しずつ手習いやお坊さんの勉強を教わります。怖い先輩も沢山いて、叱られたりもしますが、ずっと一人で育ってきた正算には、それも楽しいことでした。
 
 正算は、元来が賢い子であったのでしょう。文字の読み書きもすぐに覚え、お勤めの仕方に作法も覚えて、仏教の学びもすすみました。こうして、一年二年と月日は飛ぶようにすぎました。
 

比叡山のくらし


 しかし、正算が十二歳になり、正式に入門して一人の師匠に住居も決まると、今まで見えなかったことが少しずつ見えてきます。自分と同じ時期に入門したものでも、貴族の子弟には早くに部屋が与えられること、都から様々なお供物が山にとどくと、それらの僧侶には、衣服や寝具が豊かに与えられること、そして僧綱といわれるお坊さんの位もどんどん昇進して、一五,六歳でも、童子を抱えて世話をしてもらう立場になること、等々。

 もちろん、父の親友のお坊さまが、先輩として何かと世話をしてはくださいますし、里の母からのとどけものを、年に一回ぐらいですが、お使いしてくださる。けれども、天皇家や貴族の家の子弟に比べれば雲泥の差です。夏暑く冬寒い、比叡の一年に慣れればなれる程、そういう違いが目につき、堪えます。比べるなといっても、なかなか辛いものがあったのです。
 
 その上、母から山への進物が途絶えると、病気であったという事情を知らない正算は、
「ああ結局は、母も口減らし程度に思われて自分を山に追いやったか」
と思い込み、学ぶ意欲や修行に向かう心を失ってしまいました。そして、そその日食べられればよいではないかと、怠惰な日暮しをするようになってしまったのです。
 
 約束の五年目を迎える冬。一年あまり病に臥せり、やっと元気になった母が見上げる、比叡のお山は雪景色。
「ああ、正算はどうしているだろう。あんなに雪がつもったら、寒かろうなあ。打ちかけ一枚送ってやれぬとは、情けない母じゃなあ。」
そう思うと、いてもたってもいられない母が里にはありました。

お坊さんのお使い

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