自己紹介:はじめてのnote
◉noteをはじめてみた理由
昨日、京都にあるロームシアターにて折坂悠太のライブを観てきた。
音楽は勿論のこと素晴らしいのだけれど、より虜にされるのは言葉の一粒を語尾まで決してとりこぼさず大切に話す彼の話口調、そして頭の中で感じたことに向き合って、それを歌詞であれ話の中であれ複雑な日本語を端正に使って紡ぎ出していく表現力。本当に凄い。
そんな彼を前にして、
「嗚呼、自分ダメダメだわ。」
と演奏に聴き入りながらも頭の片隅でネガティブな思考が渦巻いていた。
私は看護師として働いている時でも、プライベートであっても日々感じることがあってもそれを言語化しているかと聞かれたら答えは全くもってノーである。
昔から頭の中で散り散りした考えが浮遊している感覚の波から抜け出せない自分がいる。
子どもの頃はそんな風であっても気に留めることもなかったのだが、大人になり、看護師として働き出し、猛烈な虚無感と危機感を覚えてひとりで苦しくなっている。
しかしこの悩みは誰にも打ち明けず。
なぜ苦しいのか、自分でもよくわからない。
これも有耶無耶に自分の思考を停止させたが故に生じた漠然とした不安なのだろうか。
なぜ自分が言葉を紡ぎ出す人に憧れ、そして自分の拙さに気付きつつ苦しいと感じるのかもnoteで文章を書きながら見つめていきたいと思っている。
どうでも良い話も書き留める。
使い方はがっちりかためずに柔軟にいけたら良いと思う。
◉プロフィール(看護師してる経緯が主)
地元の高校卒業後、東京の福祉系の大学に進学。
なんで福祉かと聞かれたら、"弟が自閉症だったから。"大学進路を決めなければならなかった高校生当時の私の身近な関心といえば、それくらいしかなかった。だからとりあえず福祉だった。
そんなちゃらんぽらんな理由で入ったものだから、大学では熱心に勉強しなかった。アルバイトに明け暮れる日々。そして敷かれた線路を走り続け就活へ。ぼーっとした気持ちで就活を続けていたら畑違いな某ハウスメーカーの営業職にたまたま内定が決まっていた。しかしそんな矢先に弟が強度行動障害を自閉症に併発。自傷行為が続き精神科に措置入院となる。そこで目にした光景は、四肢をベルトで固定された弟の姿だった。いわゆる身体拘束である。そして猛烈な臭気。それは1週間履き替えられることのなかった弟の下着から発せられていたものだった。
当時の私はその光景があまりにショッキングで、悲しみという感情を通り越して、ムカついた。もちろんケアを怠った看護師にはムカついたが、ムカつきの矛が最も向いたのは、自分だった。
弟は障害があるから、声をあげて訴えることができないから、ケアを怠られた。弟はいわゆる社会的弱者である。こういう弱者に追いやられてしまう人に対する悲惨な現状を目の当たりにして、私、なにをのらりくらりやってんだと情けなくなった。そして目の当たりにしたってなにも出来ない自分に心底呆れた。悔しくなった。
その日、家に帰って看護師の仕事内容をネットで検索した。ムカつきながら。綺麗に羅列された仕事内容を見ているうちに、「そんなムカつくなら自分が看護師になればよい。実際に働けばそんな無力な自分のことも少しは許せるんじゃないか?」そういうまったく自己中な思考が降ってきた。
そして内定した会社に内定辞退の連絡を入れて、何故か私は勢い余って地元(関東)を離れ、旅行で何となく居心地良く感じた京都に引っ越してみた。そして看護学校に入学し直し卒業する。
そして、京都に移住して早5年。
今看護師2年目修行の日々。血液内科病棟で働いている。
どんな病棟で働いているのか質問を投げかけられ、血液内科と答えれば、8割以上から"採血たくさんとるところ?"と返事が来る。
いわゆる血液がん(全てではないが)の患者を受け入れ治療する病棟。
扱っている代表的な疾患で言えば、白血病。
なぜ血液内科か?別に興味があったわけでもない。実習でカッコ良いベテラン看護師(女性)がその病棟に居たから選んだ。これ以上書けばキリがないので別の機会で看護師の日々のことは綴ろうと思う。
こんなちゃらんぽらん人間の日記を誰が好んで読むのだろうと思うが、公開することで誰かしらの目には留まるのだから真面目に書き上げろという圧の意味を込めてnoteを利用する。
あくまでこれは私の頭の中の整理棚なのである。
(でも、もし1人でも見てくれる人がいるなら
純粋に嬉しく思います。)