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喉が枯れている日

喉が枯れている。

前回のnoteで、音声入力で書くことにしました!!と嬉々として書いたにも関わらず、全然声が出ず、当然、音声入力も使えなくなった。
noteが書けないのはまだしも(いや、こうやってスマホでぽちぽちして書けているわけだが)、いろいろ考えたことを近くにいる人間に話せなくなっていて、思考のやりどころがなく、ちょっとつらい。だからこそいまここに書いている。

海外留学している友達が突然SNSで長文をめっちゃ更新する現象、あると思うんだけど、母語でワーッと思うままに話せなくなったことによる思考のやりどころだったのかもしれないな。


今日は片道15分くらいのスーパーに散歩しがてら買い物に行ったので、その間、ずっと考えごとをしていた。

考えごとの内容は、長くなりそうなので、また別で纏めようと思うけど。

今度の4月まで私は仕事がお休みなので、その間、資格の勉強をしつつ、パーソナルジムで筋トレを始め、その間で、一応、休みの理由であるところの子供の世話をしている。
どうしても苦手な運動は後ろ倒しにしてしまうので、筋トレの効果はびっくりするくらいまだ出ていないが、、自分のやりたいことを整理して、自分の自由に使える時間をそれにどう充てるかを決めていくのは、結構楽しい。

朝から上の子を保育園に送り、そのままジムでパーソナルトレーナーとお話しながら筋トレして、帰宅して下の子のミルクをあげながら資格試験の対策講座に参加して、終わったら夕飯の準備をして、保育園の迎えに行って、帰宅したら怒涛のご飯お風呂タイムからの寝かしつけ。夜、ふ〜〜、今日はめっちゃいろんなことしたな〜、と充実感に包まれて寝る。1日にギチギチに予定を入れるのは達成感がある。

が、やはり、自分の思考が深められるのは、1人でいるとき、誰とも話していないとき、何もインプットをしていないとき、だなーと、あらためて感じる。

具体的には。先週末に資格の学科試験があったので、最後の1週間くらいは流石に根詰めて勉強をしていた。ただ、「丸覚えしたアレって、例えば日々の暮らしのこういうことだったんだな?」と感じるのは、試験を終えた今、ジムでエアロバイクを漕いでいたり、スーパーに向かって歩いていたりする時だったりする。

Twitterもネットサーフィンも面白いし、読書もYouTubeも面白い。だけど、暇な時間についSNSを見ると、ついインプットの時間になってしまって、自分の考えが研ぎ澄まされるタイミングは無くなっちゃうな、と思う。


マリウスとお姉ちゃんマリレナちゃんのYouTubeチャンネル、マリ・アンド・アスの第1回を見た時にも呟いたんだけど、

私は仕事をし始めてからそろそろ10年になる。立場の変化もあるし世の中の変化もあるけど、たかだか10年の中でも、単純作業がものすごく減ったと感じている。
入社1年目には、いろいろな使用済みの用紙をパンチで穴あけして紐でくくり、倉庫に送るという作業があった。今は入社◯年目としてそういう雑用はしないし、そもそも紙そのものが減ったから、その作業はたぶん1/10くらいになったし、その1/10の作業も新入社員ではなくて総務専門のパート社員の方がやってくれるようになっているみたいだ。
当時は大量の紙を運ぶ仕事を面倒くさく思っていたけど、ひたすら紙に穴を開けて紐を通す時、その日習った仕事のこと、世の中の不条理なこと、行き帰りの電車で読んだ本のこと、いろいろずっと考えていた。いまはそんな時間がない。

だからたまに、意識的に、インプットをせずにいる時間をとることが大切な気がする。具体的には?1人で有酸素運動したり、散歩したり、寝る前にスマホを触らずに考えごとをしたり。マインドフルネスってなると、そもそも考え事しちゃダメなんだっけ?

そういう余裕がないと、世の中の不条理、いまこれって変じゃない!?っていうことへの、気づきが鈍麻していくと思う。わたし自身、仕事が本当に立て込んでいる時とか、そんな感じだったから。世の中の不条理をこのまま維持したい人からしたら、反抗心を起こすかもしれない人たちを、きっと思考の暇を与えないくらい忙しくするところから始まる、気がする。

というわけで、この声が出ない期間、それはそれで、面白い期間としてとらえていこう、と思う。

てかマリアスチャンネル2回め出てた!!見なきゃ!!!

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