『ネバーランドの白川さん』を読んで
高校生なのに子ども向け番組が好きだなんて言えない…。
これは私が長年抱えていた想いと通ずるものがある。
中学生になるまでには周りが順調に「卒業」出来るモノを好きでい続けることがなんだか罪深いものように感じられる。
ただ、好きだから、それだけなのに。
物語冒頭で主人公・白川さん(シラ)は一生懸命周りの期待する「白川様」を演じている。
本当は魔法少女が大好きであわよくばその話をしたいのに、引っ込み思案な性格から周囲に言い出せない。
それに対し立石俊(タテ)は友人を励ますときに、戦隊モノの名ゼリフを漏らしてしまうほどオタクである自分を隠そうとという意識はやや薄い。
『ネバーランドの白川さん』は似ているようで似ていないこの2人が恋も部活にも一生懸命な様子が描かれている作品だ。
第1巻のイチオシシーンは第1話の後半、お祭りのシーンだ。
夢を語るタテの笑顔を見て白川さんはこう思う
子供の頃から好きなものをずっと好きなままの仲間=゛ネバーランドの住人゛
その仲間であると思っていたタテの「大人」な部分に白川さんは動揺する。
子どものままでいたい、でも大人にならないといけない。
思春期に誰もが感じる葛藤だろう。
少し気持ちが沈んだ白川さんにタテは
と笑みを浮かべながら伝えた。
タテからしたら思ったことをそのまま伝えただけかもしれない。
けれど白川さん、白川葵にとってはありのままの自分を誰かに肯定をしてもらえた大きな出来事だった。
私はこの場面を読みながら高校時代にニチアサを卒業できていないことがばれてしまったとき、
友人が「分かる―、長年の習慣は抜けない!どの世代好き??」
と何でもないように受け入れてくれたあの日を思い出した。
この出来事をきっかけに白川さんの中でタテが「オタク友達」から「気になる人・好きな人」へ変わっていく。
その後「美少女・白川葵」が赤面したり恋に悩んだりする様子はそれは絵画級に、あまりに美しい…。
なにより白川さんの瞳は吸い込まれそうなほど大きく輝いている。
これは私がことのは紬先生の画力に吸い込まれているとも言える。
本誌でも読んでいるため1巻より少し進んだ2人も知っているが、これ以上はネタバレになるのでここには書かないでおこうと思う。
シラとタテと同じネバーランドの住人としてこれからの物語が楽しみだ。