雑感:教訓のパターン

について考えてみた。

いやね、友人からのお悩み相談をよく受けるのだけど、繰り返す中で、誰にでも、なんにでも使える汎用教訓とはこれだ!と思えるパターン、じゃないな。要素が見つかった気になった。

例え話から断定的にいう

人のふんどしで相撲を取るというか。
例を挙げると、ラピュタの上で高笑いするムスカのようになるな!
うん。なるほど意味わからん。

正規化すらされていない多数をそのまま参照させる

例はわかりやすい。人のn倍努力すべし。とかそれ系。
ITやさんとすれば、機械学習を利用して、あなたは、比較的この分野は得意なようです。と、スコアリングしたりする。
ま、IT業界において、勤勉なやつらは仕事しなくていいよ。邪魔だから帰って。楽するために今がんばるやつらは一生の仲間だ。と思うですけどね。

つまり

とにかく、相手は理解していなくてもいい。そのために、抽象的で、納得した気にさせればいい。経緯が残らず言葉だけ残って、勝手に別の解釈されて、別の意味になる例なんて、壁ドンとかをはじめ、枚挙にいとまがない。

わかったような、わからない言葉こそ、教訓になるための要素ではないかとおもう。

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