コイントスについて(2024.07.12)
[ここからは1,000文字に含みません]
二十三日目です。
なんとなく1ヶ月は続けようかなと思っていた「滝から一匙分をすくう」ですが、三十日目以降はお題を拾うのではなく家の本から選ぶということをしてみようかと考えています。
見た目のいい本をすぐに買ってしまうたちのため、どうしても読んでいない本が積み重なっていくので……その溜まりに溜まった言葉の水の栓を開けた時に吹き出すそれを、今度は滝と形容しようかと思います。
一匙分はその中から、自分に入れようと決めてみて。
先日、交流のある伊藤美緒さんの個展にお邪魔してきました。
重ねたり削ったり、指や筆を使ってみたり、自由で偶然性にあふれながらでも「美しさ」との対話をつなげるような作品が好きです。
また行きたいなあ。
[ここまでは1,000文字に含みません]
コイントスについて書いていく、よーいスタート。
生きる中で、本当の本当に重要な場面でやったことはありませんでした。
物語の中では生死を決める大事な決断を行うとき、もしくはその事象自体を「コイントス」なんて言ったりしますが、現実そんな大事なことを1/2の確率に託せるか…というと、そんなことはないようです。
もしくは自意識の問題もあるかも知れません。
想像してみてください。あなたのよく知る人が大事な選択を前にした時、ふとポケットから財布を取り出し、その中から硬貨を一枚指の上に載せる。そして、「ここまできたらもう、こいつしかいないな」と言って自分に表か裏かを聞いてくる。
……ではここであなたにお聞きします。この状態で、あなたは友人に「へっ、馬鹿野郎が」というように、心のそこから乗れるでしょうか?「なんかやってら〜」と一抹も思わず、その時の選択と運命を共にできるでしょうか?
私だったら顔に出さずとも「えっほんとにそれで決めちゃうの?」とは思うし、何よりその選択の結果悪いことが起きたら「もう少し慎重に決めればよかったのに……」と後悔してしまうような人間です。
私にハードボイルドは向いていません。
ふと、「コイントスにもっとも似合う日本の効果はなんだろう」という疑問が浮かびました。
例えば1円玉だと軽すぎるし、なんかバカにされているような感じさえします。1円玉が決められるのはせいぜい「普通のナスを袋で買うor長めのナスを1本買う」くらいの選択だと思います。
では5円玉は……割とありな気はしますが、まだちょっと軽いような。大きさもさることながら、真ん中に穴が空いているのが痛いですね。「ご縁」という洒落はいいものの、これもちょっと残念な気がします。あと直感的にどっちが表か分かりにくいし。同じ理由で50円玉も却下。
100円玉はどうでしょう。硬貨としてのデザインは結構綺麗ですが、いかんせん身近すぎるというのは弱点な気がします。ダイソーやセリアで使うコインで自分の命運を左右するって、なんかリーズナブルだなあと。激落くんやチープな造花と一緒に「〜〜の運命」が売られてたら嫌ですよね。残念ながら落選。
やはり500円玉は強いですね。サイズ感も親指で弾けるちょうどいい感じですし、色も金色でかっこいい。旧硬貨か新硬貨かはちょっと揉めるところな気がしますが、私は意外と新硬貨でも悪くはないんじゃないかと思っています。あの二重の感じがなんか高級感があるし、外国のコインっぽいから格好がつくのではないでしょうか。模様もなんだかいい感じですしね。
ちなみに、日本の硬貨のなかでもっともコイントスに相応しい硬貨は絶対にこれだと思っています。
カッコ良すぎる。
(文字数:1090文字)