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住民票の閲覧制限できた

役所に行ってきました。

事前に電話で言われてた通り、
窓口の、比較的若い職員さんに、閲覧制限をかけたいと伝えたところ、かなり動揺していて、「電話の担当は誰でしたか」と聞かれました。
そのまま少し待ったので、電話の担当のかたの名前を控えておけば良かったかもしれない。

事前の電話に出てくれたのは女性でしたが、手続きの際は、男性の職員が、相談室へ通してくれました。本当に良い人で、閲覧制限の手続きに慣れているようで、頼もしかったです。

終始ものすごく額に汗をかいていらして、ずっとご自分で拭いていた。
私みたいな人達の事情も、聞いて「考えすぎでしょ」とか突き放さず、理解できる人のようで、本当に良かった。

その職員さんは、私が戸籍を分けてることにも気づいて、その方が安心ですしね、と言ってくれた。


手続きの後、生活保護の窓口にも行ってみました。
お年寄りがたくさん待合室に座っていて、職員さんに大きい声で呼ばれていた。

私は相談室に呼ばれて、女性の職員さんが、親身になって相談を聞いてくれた。私の場合は、来月末に入るお給料が生活保護の審査額を超えてることから、9月分を受け取っても、来月返すことになるだろう、とのことだった。

また、私はシェアハウスに住んでいるが、シェアハウスは仮の住居としてしか、認められないため、継続して生活保護を受けたいのであれば、引っ越さなければならないとのことだった。

例えば今月だけ受給するとして、この地域の家賃相場を考えると、シェアハウスで暮らした方が安いだろうとのことだった。

そして、生活困窮者の相談に乗る窓口というのを教えてくれて、同じ相談室に、その窓口の職員さんが来てくれた。フードバンクみたいな、食べ物を分けてくれるサービスが使えることになりました。その場で、役所にあった保存食もくれた。

生活保護は断ったけど、でも、本当に必要だと思ったら、いつでも来て下さいねと何度も念押しされました。


その後、障害福祉の窓口で、聞いてみた。
私は、昔、足が変形したことで、病院で勧められた高い靴とか、特定の靴下メーカーの靴下しか履けないし、他にも色々あるんですが、いつも収入を圧迫しています。
これって補助は下りますか?と言った。

障害福祉課では、障碍者手帳があることが前提で、対応を行うので、保健課とかでしょうか、とのことだった。時代が違うし、私はその件で、障碍者手帳を取得できるのかもしれない。取りあえず考えるのをやめた。


そして、事前に連絡しておいた警察署に行った。
住民票の閲覧制限は、警察署に行くのが必要だとネットで読んだからだ。事前に、役所と警察署に電話したときも、分かりました、といった感じだったし、当然だと思っていた。

しかし、役所で直接手続きする際、「住民票の閲覧制限をかけるのと、警察署でも話をしてもらって、閲覧制限をかけるのと、両方可能ですが、どうしますか」と聞かれた。当初の予定通り、警察署に行くことにした。

「今から行きます」と電話したら、「役所では何か言われましたか?」と聞かれた。これは、到着してからも、生活安全課の警察官から、何度も繰り返し言われた。

先述した役所のかたに、後ほど、このように聞かれたんですが、警察署に行く人は少ないんですか?と電話したら、「何でしょう、皆さん行かれますけど、警察に行くことは普通ですからね。何だろうなー?」と言っていた。

そういえば、最初に、所轄じゃない方の警察署に予約を取ろうとした際、「住民票の閲覧制限ですね。そういった手続きは、前例がないので、ちょっと待ってくださいね」と言われた。

ここは、かなり規模の大きい自治体なので、そう言われて驚いた。一定数の男性は、痴漢を実際にされてる女性なんか、ほぼいないだろう、と思っていると、何かで読んだ。その警察官個人には、実感がない、ということではないだろうか。

所轄に到着し、担当の警察官は、比較的若い人だった。とりあえず相談の記録として残すが、住民票の閲覧制限をかけられるかどうかは、判断の権利は警察署にはないと言っていた。すごくいい家庭に育った若い男性、という感じで、私が話してる事情も、あまりピンと来ないようだった。

「母親と仲が悪く、うまく行ってないってことですね」みたいな感じだった。とにかく、警察でできることは、例えば私の母が、シェアハウスを発見して押しかけてきた際に、110番をしてくれたらかけつけることだ、と言った。

最後には、「お母ちゃんは、いえ、親御さんは」と言っていたけど、お母ちゃんって呼んでるくらい、実家と仲が良いのだろう。

私とは相談室で話していたけど、時折、ドアを開けたまま上司と相談するから、内容が何となく聞こえてしまっていて、辛かった。

今まで警察に相談したことはないんですか、と言われた。

予備校時代、辛くて家に帰れず、携帯電話のバッテリーも切れたし、深夜に、無人の交番に備え付けの緊急電話機か何かで電話したら保護されて、私が口を割らないものだから、ものすごく眠さを堪えた複数の警察官が、頑張って粘って、私の事情を聞き出そうとしてくれた。

結局、毛布を貸してくれて、警察署1階のソファで、デスクで残業する警察官たちの横で眠った。


その数年後に110番をかけたことはあった。何かあったらお世話になりますね、いえ、今のところ大丈夫ですと言った。あれから、一度も通報しなかった。例えば母が押しかけてきたとき、110番を呼んでも良かったんだと、今日警察官と話して知った。

昔、縁を切ろうとか、行方をくらまそうとしたとき、父から「住所を教えないなら捜索依頼を出す」と言われた。私がすごく悪いことをしている側だと突きつけられたみたいに、心臓が縮み上がった。でも、これからは、私は警察に相談の履歴があるし、行政に住民票の閲覧制限もかけてもらったから、立場が違ってくるだろう。


DVだDVだと言いたい訳じゃないが、役所は、私の家族全員の情報を控えた。警察は、母の情報を控えた。手続きを進められて良かった。今日は何度も人前で泣いて大変だった。帰宅したら、BBCドラマのブラウン神父で泣いた。

今の恋人と、もし、このまま結婚することになったら、私は新幹線沿線の都市に住む。そうすると、親は、押しかけてこようと思えば、来るだろう。そのとき、また、住所を教えなければ警察に言うとか、連絡があったとして、気持ちがぐらついていたら、教えてしまうかもしれない。

私の友達は、そういった関係から逃げたあと、5年くらいして、初めて私に住所を教えてくれた。私はその友達の逃げてた相手と、仕事でもプライベートでも交流はないし、遠方に住んでいたが、それでも怖かったのだと思う。

その友達の線の引きようを見て、私は、そこまでしないと安心できないのは当然だし、私は自分のために線を引いてあげられてるだろうか、と思った。

友達が、そこまで出来たのも、私が、ここまで手続きが出来たのも、両方、パートナーの存在あってこそだと思う。
友達がパートナーを得て、たくましくなった姿を見たのは、私の栄養になった。

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