半年間のパペットカウンセリング経過と発見
皆様、こんにちは。
以前、パペットカウンセリングを始めた話を語らせて頂きました。
人形と会話することで、気持ちを整理したり、労わったりします。
私の場合、誰かに対して行うまで達していなくて、自分対パペットでやろうという段階です。
パペットのセリフが浮かばない
あれから、もうすぐで半年が経ちます。
私は相変わらずパペット達と毎晩寝ており、職場に連れていったり、お出かけに連れていったりしています。
バスの外の景色を見せたり、ポーズを取らせたり、「かわいいね~」と呼びかけたり。
時には日向で干したり、縫って直したり。
外出する前と寝る前、ゆったりしている時間はパペットの顔を見るようにしています。
病院の事務員さんとか、病院で飼っている猫とパペットでちょっと遊んだりもします。
肝心なのが「声に出して話すこと」なのですが、年明けからのどを壊し、パペットを使って喋ることは全然していませんでした。
いえいえ、そもそも、カウンセリング用のパペット達が到着してから、ネガティブな感情についてパペットと話さないように意識していました。
それは精神科でも同じで、ネガティブというのは自分で乗り越えるものという価値観があったので言えなくなっていました。
又、「人形に持ち主の念がこもって、呪いのようになってしまう」と怪談話で聞くこともあるため、自分が人形に負担をかけたくないと思ったのも事実です。
そうすると、全く喋る内容がないんですよね。驚くほどに!
パペットに起きた変化
自分の負の感情とか、辛さにどう接していたか。
周囲に深く語ることもあまりなく、パペットにも語らず、自分の心の中だけで言語化していました。
それで対処できているのだと思っていました。
職場の繁忙期で毎日コーヒーを飲んでいたり(=カフェインの働きで、脳に無理をさせていた)、のどを痛めたり、発達障害由来の疲れやすさ、私生活のあれこれが重なったことで、ぼろぼろに辛いはずなのですが、これを病院でもあまり話せていませんでした。
当然、パペットにも語っていませんでした。
朝、ふとんの周りでひっくり返ったパペット達を枕元に並べるのがせいぜいでした。
そして何が起きたかというと、パペットが悲しそうな顔に見えてきまして、それがずっと続きました。
先日、職場の繁忙期の最終日に、帰りのバスで揺られているとパペットカウンセリングのインスタLIVEが始まっていました。
講師からの指摘
参加者の皆さんがどんどん質問をしていました。
私は「最近、カムカムちゃん(大きな口を開け閉めできるパペット)だけが悲しそうに見えます」
とコメントしたところ、講師のくまひげさんから、
「もしかして、あなたの気持ちの反映じゃないですか。違ったら申し訳ないですが、ちょっと悲しいところがあるのじゃないですか。
カムカムちゃんみたいに口が開かなくなってるのではないですか。実際に声に出して語り掛けてみましょう。するとパペットは言葉を返してくれます。言葉のやり取りで人生の悲しみや辛さと向き合いましょう。」
というお返事を頂きました。又、
「仕事もすごく忙しくして、のども痛めて、頑張れば頑張るほど空回りしているようなところがあるのではないですか」
と言われました。その日、仕事で辛く悔しいことがあったのも影響して、バスの席で泣きました。
帰宅し、布団の中で、怒り担当としてつくられている黄色いパペットに最近の怒りを語ったところ、
「そりゃそうだろうがよぉ、ありえねぇだろうよぉ」
ときっぱりした返事がありました。
関西弁が湧いてきた
関西で働いていた影響か、関西弁でしか表現できない感情が色々あるのですが、最近は仕事上、動転しているお客さん達に冷静に対処するため、一日中、なるべく標準語の敬語だけで話したり考えたりするよう意識しており、まったく関西弁を使っていませんでした。
翌日、パペットに対して怒りの話をしていると、私の中から関西弁が出て来たのです。私の感情を的確に表現してくれる声のトーンでした。
それに対して、「悲しそう」に見えていたカムカムちゃんが何を言ったか。
「きょおおおおお~~~~」と歌い出したのです(メロディがないため、捉え方によっては吠え声のようなものですが、近所迷惑な声量ではありませんでした)。
アルファ波と言うんでしょうか?マイナスイオンみたいな、とても心地いいエネルギーがカムカムちゃんから湧きだしているのを感じました。
カムカムちゃんは声を出す機会を待っていたのだなあ、と感じました。
人形に念がこもる?!
又、「人形に念がこもって、呪いの人形になってしまうのでは」という不安がどうしても消えませんでした。
くまひげさんがプロデュースしたこれらのパペット達(アニミィ)は、「持ち主が寝静まった夜になるとアニミィアイランドに帰るが、アニミィアイランドは人間の世界と異なるので、人間の負の感情がいいものに変わる」という初期設定があります。
たくさんの人達の意識の中で、そのように深く定義づけている以上、パペットをいじめない限りは、パペットに念がこもることが起きにくいんじゃないかと思います。
パペットの在り方は神社の狛犬に似ているかもしれない
又、とあるお方と昨年末より、様々な寺社仏閣を巡りました。
そのお方は、目に見えないことをよくよくキャッチして深めて考えていらっしゃるのですが、神社に対で置かれている狛犬(こまいぬ)との関わりをたくさん学ばせて頂きました。
狛犬さんって何て気高くて優しくて温かい存在なのだろう、とよくよく感銘うを受けました。どれだけ身を削って人間を助けようとしてくれているか。
そして、その方が狛犬さん達をどれだけ労わって尊敬しているかも胸打たれるところがありました。
狛犬さん達に仕事の関係者と会ったように話しかけているのです。
神社に行く時の気持ちが大きく変わりました。
かわいくって賢くて心温かい狛犬たちが愛全開でこちらを見ていて、お会いできるというだけで、寂しさがぐっと減ります。
又その方からは、人間が神社で神様たちに感謝を伝え、祈ることにどれだけ意義があるのかも背中で教えて頂きました。
もしその方が、狛犬さん達との関わり方を教えるワークショップを開いたら、すごく沢山の人が救われるんじゃないかと思いました。
狛犬たちとの関わりと、パペット達との関わりも似ているところがあると思いました。パペットは、私が思っていたより一回り二回りも大きい懐の持ち主で、感謝しながら、やさしさを受け取り、もっと信頼して頼って良かったのです。
精神にケアが必要な理由
そもそも人間の脳みそというのは、他の動物より精神的に我慢ができるよう作用するウイルスがいるそうで、結果的に疲労を長期的に溜め込み、うつ病など、精神の病気を引き起こすのだそうです。
こちらの益田先生は、「精神疾患は、脳みそという臓器の病気だ」と以前他の動画で語っていました。
精神科の受診にも変化があった
くまひげさんが、オンライン上でのパペットカウンセリング講演会(無料)を定期開催して下さるようになったことで、自分の状況を振り返りやすくなりました。
自分の中で考えたり、感情を言語化することも大事ですが、自分だけだとうまく行かなかったり、うまく行っていないということも意識できないこともあります。
他の参加者が質問している内容は、自分がうすうす思っていたことでもありますから、特に発言せずに見ているだけでも発見とか進歩があるんですよね。
それと今回、パペットとのかかわりを通して、負の感情をもっとしっかりケアした方がいいと分かり、精神科の受診するときに、これまでと違う工夫をすることにしました。
日本の精神科は医療制度上、1人の患者が一度の診察において5分話すのが精いっぱいなんですよね。
その5分間は、前向きな進歩とか回復した部分を中心に話していました。
医師に「いい感じですね」と言われよう、というのが回復に取り組む励みにもなっていました。
家でリラックスしている状況ならまだしも、病院で、次の患者さんまで時間を押さないように気を付けながら辛いことを声に話すのは大変です。
辛いことを、友人と笑い話にできるならまだしも、病院でわざわざ言葉に出して語るなんて気持ちが重いなあというのもありました。
とはいえ自分の努力や責任だけじゃなくて、環境や周りのせいで何かが起きたりもします。すると、災害と同じで、対処しきれない疲労も発生します。
今回パペットと向き合ったことで、ネガティブな部分も病院で伝える必要があると認めることができました。
SNSで時々目にするのですが、精神科の診察前に、最近の身の回りの出来事や浮き沈みを紙に書いておき、診察時に医師に渡すことで、医師もすぐ読んで把握しやすく、治療に生かせるという話がありました。
それなら出来そうだと思い、私もやることにしました。
先日パソコンで箇条書きにしたものを、印刷し、次の受診の際に持って行くことにしました。
これは無理のない範囲で、継続しようと思っています。
ネガティブな経験や感情、症状を声に出して語り直すことで疲れたりもしますし、出来事とか変化ってたくさんあるし、医師側もメモに書くのは大変ですよね(診察であれこれ考えながら5分で打ち込む量って、ふつうに考えて、それほど多くないですよね!)。
今後の展望
今回、
→パペットと向き合うが、言葉が出てこない
→喋らずできる関わりを探す
→喋らずとも撫でたり持ち歩いたりする
→仕事が繁忙期になり、体を壊す
→ますます、パペットと会話しなくなる
→パペットが悲しそうに見えてくる
→状況をプロ(講師)に伝えることでアドバイスをもらった
→気づきと次の行動につながった
という一連の流れが半年間で起きました。
これは半年間、自分とパペットとの関わりをいちおう注目していたからなんですよね。
注目し続けられていたのは、仲間がいたからです。
実は、パペットカウンセリングを応援したいという志のあるお仲間に、講演会を開催しないかとお声がけ頂いて、計画中です。
すると、当然ですが、パペットカウンセリングの近況はどうですか、となります。
パペットに対して全然言葉が出てこないということも正直に伝えるしかないですし、それに対して反応をもらえると、ああ自分はまだ伸びしろがあるのかもしれないと思い始めます。
又、イベント開催にむけて取り組んでいることで、「自分はパペットカウンセリングでどこかの誰かを救うために動いている」という使命感があるので、パペットと喋れないからといって、自分のことを否定しなくてすみました。
計画の連絡のたびに思い出しますよね。
何も言葉が出てこないし、パペットのセリフも浮かばない状況を一人で続けていたら、「合わなかった」と早々に諦めて、「また、できないことが増えた。パペットにも悪かった」等と思って傷ついたかもしれません。
気づけば、自分のパペットカウンセリングの状況を定期的に言語化せざるを得ない状況を頂いていたのです。
それだけでも、今気づけばたいへんありがたいことでした。
それと、私はパペットカウンセリングを友達とか身近な人に対してやれるかというと、正直、あまり前向きではありません。
自分のパペットが今回語ったような、ぶっきらぼうな喋り方を人前で引っ張り出したくないという気持ちです。
この辺はどう乗り越えていけるのか?
又、次にパペットカウンセリングの講演会へ参加できるとき、ぜひ質問として送ろうかと思います。
精神の治療は、仲間とつながることで、自分自身の継続とか治癒が、他者の回復にもつながっているんだと実感しやすくて、たいへんよろしいと思います。
私が子供の頃は、精神の治療をしているということは世間に知られてはならず、ひた隠しにするものでした。
まったくもって大っぴらに語れなかった時代を経て、ようやく、つながりを作って相互に回復をしていけるような世の中に変わりました。
この流れは止まるものではなく、着実に増え、豊かに伸びていくばかりです。
読んで頂き、ありがとうございます。
最後まで読んで頂いた皆様が、次に人形と話したとき、その様子を密かに眺めているアニミィアイランドの妖精たちが、うきうき喜びながら「どぅわーーー」と合唱するおまじないをかけます。
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