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市民後見人という言葉を知った

発達障害の薬が増えてから、副作用も増えたようで、疲労と眠気に負けそうだ。

帰宅時、玄関で靴を脱ぎ、台所にまっすぐ向かう。食事を終わらせてから、眠気覚ましのコーヒーとカバンを持って自室に入る。

単に、今までは汗をかく季節だったので、自分の臭いがきつく、風呂に行けたのかもしれない。


身近な人の関係で、とある行政機関を訪れたときに、市民後見人という言葉を知った。パンフレットを一通りもらってきた。単身の、高齢者や認知症の方が、自分の生活の管理が難しくなったときに、預金の管理だったり、さまざまな契約を代わりに行ってくれる代理人のことらしい。

買い物とか介護といった、身の回りの具体的な世話は行わない。市民後見人は、例えば福祉を利用するときの契約といった、法律行為を行うらしい。

医師の診断、それから家庭裁判所による判断が下って、市民後見人が必要かどうか決まるのだそうだ。

市民後見人になるには、養成研修を修了する必要がある。
また、報酬は、家庭裁判所に申し立てをして認められた額が、本人の財産から取得できるらしいので、ボランティアに近いのだろうか。

とりあえず近所に住んでいるとか、知り合いである等といった、ふわっとした理由だけでは、選任されないのだ。そこが良いと思う。

私が子供の頃からの、親の脅し文句は、「お前は将来一人になって孤独だ」というものだった。私が去年、生存の危機に追いやられたときも、親が放った言葉は、そういった旨だった。

また、私がどれだけその話題を止めてくれと説明しても、子供を持つよう言ってきた沢山の人達も、「将来面倒をみてくれる人が必要だろう」という主張が多かった。

市民後見人がついてくれれば、私が将来、認知症の独居老人になったとき、私と血縁関係のない、しがらみのない人が、そこそこ無理のない範囲で、私の家事や福祉利用について、ある程度妥当な判断をしてくれるだろう。

私は体が弱いというか、実家のすさまじい状況が重なって、あちこち発達に異常をきたした部分があり、40代後半から60代くらいの衰えをしていると思う。もちろん白髪や皺が少ないから、パッと見た感じは若い人だが、少し歩けば、どうしてそんな歩き方なんですか、等と聞かれる程度には、問題が重なっている。

あと10年ほどしたら、いくつかの身体障害が行政から認定されるだろうと推測する。

恋人も様々な健康問題があるため、我々は子供を持たないと思う。私は実家と縁を切り続けているので、将来身近に、血縁の相手は残らないだろう。

私が独居老人になったとき、市民後見人がついてくれるのを期待する。逆に、恋人が独居老人になったときもだ。おそらくだが、相当な部分はデジタル化されて、市民後見人は、リモートで判断してくれるのではないだろうか。


昭和の頃は、近所の人達をお互いに気にかけて、軒先まで入っていき、それこそ先述の市民後見人のように、独居老人の世話を焼いていたという。
その、「ご近所同士だから」「昭和だから」という感覚が全然分からない。

自分はそういう感覚だ、なんだ今の若者は、と大きな声で吠える年上の人達と一緒に行動したこともあった。彼らは自分から言わないが、向き合えない精神疾患とか加害的な傾向が強く、振り返れない過去が、わりと直近にあった。向き合えなさすぎて、精神疾患に関する知識が何十年も止まっているような感じの人もいた。こちらからも、軽く話題に出すことすらできない感じがあった。

彼らは、周りの若い人を自分の子供とか、家族とか呼ぶことを強く好んでいたし、孤独死とか、一人になるのを怖がっていた。
今は、成年後見人という制度があるから大丈夫だろう。


実家とつながりを切るまでは、頭の中で使っていたメモリが多くて、こういった行政の制度を読んでも、しっかり頭に残ることがなかった。もっと感情的な出来事がたくさん起きて、日々、そちらに気力を引っ張られていたからだ。やはり、出てみれば違うのだ。

海外に定住した人達は、日系一世と呼ばれる。しがらみが少ない移民の方が、革新を起こすといった話を聞き、うらやましく思ったことがある。
私は海外に定住できるほどの心身のたくましさがなかった。体はどんどん変形していて、貧しいのに、ある面では、多くの人よりも金がかかる。
婚約とか結婚指輪がほしいと思っても、しっかりした値段の貴金属の指輪をはめると、変形した指が強く引っ張られて涙がにじんでしまう。

でも、日本の中でも日系一世みたいなことになってきた。今はまだ、顔も名前も知らない、生まれてすらいないであろう誰かが私の市民後見人になってくれるかも、介護者として、ロボットを指揮して世話してくれるかも、と思うと、「還る」という言葉が浮かぶ。

私の、人生の最後の「親」のような人達が、ずっとずっと先に、この無数の星の中で生まれてくるのだ。そんなの、おおきな生命みたいなものを信じてしまうではないか。未来と時間に対して、自分の背骨から、信仰のような力が湧いてくるのを感じる。

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