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【音源付】自分なりに般若心経をサンスクリット語で歌う

皆様、こんにちは。
今年の7月に、サンスクリット語での般若心経を聴き始めて、ゆるく聴き流しておりました。お友達から「れいなさん、歌ってみたくなるんじゃないですか?」と教えてもらったからです。

れいなさん、声がきれいだし、歌ってみたくなるんじゃないですか。…ノセるのがうまい

外国語といえば、英語がある程度話せるとか、中国語をほんのちょっとかじってるとか、そのくらい。
言語を専門的に学んだわけではない私。

いや、無理だろ、とっかかりは読めても。
実際、その歌を教えてくれたお友達も、「20年くらい聴いているけれど、まったくチンプンカンプン」と言っていました。

きっと、これ以上分かるようにはならない・・・そう思いつつ、何となく気になっておりました。

その2か月後に突然ひらめき、ChatGPTを駆使して自分なりに教材を作って練習してみたところ、完成から5日間で何とか歌える(読める)ようになったので、ご紹介したいと思います。

教材作ってから5日間で
見ながらであれば、音読できるようになったって、ホントなんですよ。※ただし、アルファベット表記が必要。簿記の勉強してたときは
「3級を1週間学んで合格した」という
インフルエンサーさんを
「まじかよ」と思った

また、読み上げた音声を、ある方(仮に「みつ豆さん」といたします)が歌のように編集してくださったのですが、驚きの仕上がりで、あんぐりいたしました。あれは、自分の声ではありますが、いわゆる癒しの力を持つ音楽というものではないでしょうか。もう何度も再生しております。

記事の後半で、フル音源がダウンロードできます。試聴用の短い音源は、昨日の記事にて再生いただけます。


今回の記事のゴール

真言って何だろう

祈りを捧げるために、般若心経を読み上げたい。お坊さんにお願いするのも素晴らしいことだけれど、朝目が覚めたとき、自分で読めたらいいのに。

そう思ったことがあります。子供のころ、本家の大きい仏壇の前で座って、小さなお経の冊子を開いてみましたが、文字が小さいし、読み仮名がついていないし、そもそもメロディの感じが分かりません。

何だかすごく単調になってしまって、魅力的に思えず、自分の声の響きもつまらなく感じ、がっかりして閉じた記憶があります。

読経は日本語よりかは、元々のサンスクリット語であった方が効力を発揮するという、真言宗の開祖である弘法大師・空海の言葉があります。

この言葉は、先日開催されていた展覧会で掲げられておりました。

真言って、お寺で唱えることありますよね。カタカナで書いてあり、見た感じで言葉の意味は分からないけれど「〇〇菩薩の真言です。3回唱えてください」なんて掲示されている、あれです。

元のサンスクリット語で「マントラ」と言われたりもします。

知らぬ間に仏前で、サンスクリット語の発音、してたじゃん!って思いませんか。

子供向けの小説で
マントラが登場するので唱えてみたことが
ありました。
何か起きそうで怖かった。香月日輪「地獄堂霊界通信」

仏教伝来から1000年以上経っていて、お経は漢字がたくさん並んでいる印象がある。日本語は豊かな表現ができる。それでもサンスクリット語で読ませられてきたのであれば、やっぱりできるだけそちらの方がいいんだな・・・というのは、すぐ理解できますよね。

サンスクリット語って実際、短いマントラを唱えるとき以外に聞いたことないけれど、何となく触れにくい。般若心経のように長い内容になると、自分には難しそう・・・そう思われる方も多いのではないでしょうか。

お先に挑戦してみました

実際、いくつかの動画でサンスクリット語の般若心経を聴いてみたところ、わりとカタカナから遠くない感じだったんですね。発音のかけ離れ方で言うと、日本語<サンスクリット語<英語という感じです。英語よりも敷居が低いんですね。

英語学習を義務教育でやってきたとか、小中高校は通ってないけれど、自分なりに観光客の道案内とか海外旅行先で喋ってみた、独学してきたとか、そういうことであれば全然「この感じか~」と拍子抜けするぐらいかと思います。

日本語のお経の方が
重々しい響きな
感じがするのは、
なぜ?!←それも好きだけどね
楽しげとはちょっと違うかな。ベトナム旅行した際、
鮮やかな法衣のお坊さんたち、
お経はすっごい軽やかで南国っぽいメロディ。
思わず民家の前で足を止めた

今回、サンスクリット語で般若心経を読んでみる目的

またまた!スピリチュアルな話になってしまいますが、自分を整えるためにも、周りの方々をますます幸せにしていくためにも、般若心経を生活に取り入れていきたいと思います。

その中で、祈りとして成立した!と自分が感じられるような程度、サンスクリット語の発音ができれば、それが良い。今回は、そこをゴールにしていきたいと思っております。

私は読み上げるときに、日本のお坊さんとはまた違う方向に声を響かせて、朗々とやってみたんですけれど、どこかの国の寺院で、他にも人々がまばらに座ったり立ったりしている状況で、共感して、心の温かいつぶつぶを交わし合いながら読み上げている、そんな景色が視えるのです。

とりあえず、それで心が開ければ、あとは難しい会話ができなくても、寺院に集まっている人達と楽しく過ごしている。そんな自分の姿まで、不思議と映像で視えてきます。

自分の体感としては、そんなところでした。

特にそういったスピリチュアルなインスピレーションを感じずとも、静かな時間を得られたとか、自分の声の響きが好きになったとか、そういうことだって十分、ゴールや成果と言えると思います。

ですから、意外とハードルが低くないですか?

自分が祈るときに、
十分使えると思えれば
それで当記事の目標は達成‼発音や喋りは、どれだけうまくても、そうでなくても。
聞く相手の精神状態、実力、気分、トラウマなどで
ケチをつけられることがありますから、キリがない。
(実は相手自身がその言語を勉強中で過敏だったとか…)

今回、あなたの読み上げる内容に点数を付けようとか、そういうつもりはございません。ただ、自分の内在神とつながれた。そんな風に思えるまで、やってみませんか。そういうつもりで、ご提案いたしました。

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